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チャンスはしばらくして巡ってきた。

 

あるときふと美雪のデスクを見ると、一通の封筒が置かれていた。それは業者への発注書で、部署が関係するイベントで配るノベルティーの制作を依頼するためのものだった。

 

その瞬間、ピンと閃くものがあった。

 

私は誰も見ていないのをたしかめるとそれを手に取り、そっと無人の会議室へと入っていった。ハサミで切って中の書類を取り出すと、書かれた数字を改竄する。そして別の封筒にまた入れて、何食わぬ顔で美雪のデスクに戻しておいた。

 

その数日後、仕事中に突然、えっ、と大声が聞こえた。見ると美雪が誰かと電話で話していて、しきりに何かを確認していた。

 

やがて切ると、慌ててどこかに電話を掛ける。次に受話器を置くころには、顔はすっかり青ざめていた。

 

「どうした、白石」

 

異変に気づいた先輩が聞いた。

 

美雪は狼狽した表情で口にした。

 

「……例のイベントの件なんですが」

 

納品先にとんでもない量のノベルティーが届いたらしいと美雪は言った。

 

「なるほど……」

 

先輩も途端に顔色を変えた。

 

「とりあえず、先方の言い分は事実なんだな?」

 

「業者にも確認しましたが、たしかにその数で注文を受けていると……」

 

途中から、私は嬉々として聞いていた。

 

間違いない、自分が改竄した書類のもたらしたトラブルだ。

 

私は美雪に言ってやった。

 

「えっ、発注ミス? ウソでしょ? ありえなぁーい」

 

美雪の顔はますます青くなっていく。

 

「まずは急いで謝りに行くぞ!」

 

先輩は美雪を連れて走って社を出ていった。

 

これは大目玉が確定だ――。

 

案の定、夕方戻ってきた美雪は、部長から呼び出しをくらって厳しく叱責されていた。美雪は泣きこそしないものの、力なくうなだれている。

 

それ以上その場にいると、どうにも顔がにやけて危険だった。

 

作戦は大成功だ――。

 

私は怒られている美雪を横目に、軽い足取りで打合せに出てそのまま帰ったのだった。

 

しかし、翌朝出社して驚いた。ついウキウキしていつもより早めに出社したのだけれど、もうかなりの人数が揃っていたのだ。

 

ただ、みんなくたびれた顔をしていて、まさかと思って先輩のひとりに耳打ちした。

 

「あの、もしかして徹夜だったんですか……?」

 

「ん? ああ、そうだよ」

 

「どうして……」

 

「昨日、白石がやらかしてくれただろ? その後始末が大変でさぁ。このあとも、朝イチで改めて関係各所にお詫びの行脚だよ」

 

私が無言になった意味を取り違えたのだろう。先輩は慌ててこう付け加えた。

 

「いや、おまえには関係ないことだから、全然気にしなくていい」

 

そうじゃない!

 

私は叫びだしそうになった。

 

一緒に残らなかったことを悪いと思っているわけじゃない! 大変なことをしでかしたのに、なんで美雪は先輩たちから助けてもらったりしてるんだ!

 

たまらず私は資料室に駆けこんだ。いまなら鏡は、美雪ではなく自分の名前を挙げるはずだ。いまの自分の怒りを鎮められるのは鏡だけだ。

 

「鏡よ鏡、同期で一番仕事ができるのは、だぁれ?」

 

鏡に尋ね、固唾を飲んで言葉を待った。

 

けれど、返ってきたのは予想に反した言葉だった。

 

「それは白石美雪」

 

「なんでッ!」

 

反射的に叫んでいた。

 

「そんなのおかしいでしょ!?」

 

しかし、何度聞いても鏡は同じ答えしか返さなかった。

 

私は気が変になりそうだったが、やがて何とか冷静さを取り戻してその原因を考えた。

 

もしかして、人にフォローしてもらえるのも仕事ができるうちだと鏡は判断しているのだろうか……。

 

そんなの認めたくはなかった。認めたくはなかったが、そうとしか思えなかった。

 

よーし分かった。それならそれでいいというもの。

 

私は決意を新たにする。

 

だったら、誰もフォローできない大失敗をさせるだけだ――。

 

再びチャンスを窺う日々がはじまった。

 

しかし、今度はそう簡単に事は運んでくれなかった。

 

フォローしようのないほどのミスとは、どんなものか。それが閃かなかったのだ。

 

しかし、チャンスは唐突に巡ってきた。

 

部署の定例会議を翌日に控えたある日のこと、部長がみんなを集めて言ったのだ。

 

「急な話だが、明日の会議に社長が出席されることになった」

 

部長はつづけた。

 

「全員に、日頃の業務のことをプレゼンしてほしい。各自準備をよろしく頼むよ」

 

社長直々に何だろうと思っていると、会議のあと、先輩たちの話が耳に入った。

 

「なんだか最近、社長が妙に社員のことを気にしてるらしいな……」

 

「クビ切りする人員を見定めてるとか……」

 

それを聞いて、これだ、と私の中に電撃が走った。そして次の瞬間には、自分のやるべきことを思いついていた。

 

もう明日に追っているから、時間はない。急いで準備しなければ……。

 

翌日の午後、会議の前に私は給湯室であるものを用意した。

 

それは自分と美雪、二人分のアップルティーだった。

 

私はマグカップ二つを会議室に持ちこんで、会議の準備を先にしていた美雪の前にひとつを置いた。

 

「お疲れさまー。これ、よかったら」

 

美雪は目を丸くした。

 

それもそうだろうな、と私は思う。同じ部署の同期なのに、普段は話すことすらほとんどないのだ。

 

でも、次の瞬間、美雪はパッと笑顔を咲かせた。

 

「わあ、アップルティーだ! もらっていいのっ!?」

 

頷くと、ますます美雪は笑顔になった。

 

「ありがとっ! いい香り……」

 

幸せそうな顔をして、美雪はひとくち口に含んだ。それを確実に見届けてから、私は自分の席についた。

 

やがて先輩たちがやってきて、遅れて部長が社長と一緒に入ってきた。張り詰めた空気の中、若手からプレゼンをはじめるように指示がある。

 

そして企んでいたそのときは、私が最初のプレゼンをしている最中にやってきた。美雪がこくりこくりと居眠りをはじめたのだ。

 

「おい、白石……」

 

隣の先輩が美雪を小突く。

 

すみません、と一度は起きるも、またすぐに眠りに入る。そしてそのうち、崩れるように美雪は机に突っ伏した。

 

すべては計画通りだった。アップルティーに混ぜておいた睡眠薬が効きはじめたのだ。

 

「白石」

 

社長の前で、さすがに部長も声を掛ける。

 

「おい、白石!」

 

隣の先輩が美雪を揺さぶる。

 

「ダメだ、完全に寝てます……」

 

部長が、ああ、と頭を抱えた。そしてすぐに社長に向けて平謝りしはじめた。

 

「誠に申し訳ございません……」

 

「それより、彼女は大丈夫なのかな?」

 

社長が言って、部長は顔を歪めながら先輩に告げた。

 

「おい、誰か白石を医務室に連れてってやれ……」

 

美雪は先輩に抱えられ、会議室を退場した。

 

「あの、つづけてもいいでしょうか?」

 

見届けてから、私は言った。

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

社長の言葉に、私はプレゼンを再開した。

 

――美雪はクビかな?

 

そう思うと気分が弾み、プレゼンもうまくいったのだった。

 

その日、美雪はデスクに戻ってこなかった。いつになく満たされて、仕事もずいぶん捗った。

 

翌日出社した美雪は、見るからに元気がなかった。注意も散漫になっていて、些細なミスを連発した。社長にアピールするどころか大失態を犯したのだから、無理もないだろうなと私は思う。

 

「おい、白石! しっかりしろ!」

 

美雪は抜殻になったかのようにぼんやりしていた。さすがの先輩たちもフォローの仕様がないようだった。

 

私は資料室に行き、期待に胸を膨らませて鏡を出した。

 

「鏡よ鏡、同期で一番仕事ができるのは、だぁれ?」

 

今度こそ、鏡は言った。

 

「同期で一番仕事ができる……それはあなた」

 

安穏の日々が戻ってきたと、私は快哉を叫んだ。

 

この自分こそ、同期で一番仕事ができる人間なんだ!

 

これでまた、自信を持って仕事に打ち込める――。

 

部署がざわつきはじめたのは、それから数日が経ったころだ。

 

「なあ、近いうちに緊急の辞令が下りるらしいぞ」

 

先輩たちが噂しあっているところに出くわして、私は尋ねた。

 

「辞令って、どういうものですか?」

 

「さあ、内容までは伝わってこないんだよなぁ……」

 

先輩たちは鈍いなぁと思わざるを得なかった。

 

そんなの、美雪への通告に決まってるじゃない!

 

「おい、みんなちょっと集まってくれ」

 

さらに数日が経ったある日、部長から声を掛けられた。

 

「全員へ伝達事項がある」

 

会議室に集められ、みんなで部長の言葉を待った。

 

「今月末で、白石が異動することになった」

 

部長はそう切り出した。

 

ドンピシャだ!

 

私は笑みがこぼれそうになりながら、横目で美雪の顔を見た。美雪は事前に知らされていたのだろう、嫌に神妙な面持ちになっている。

 

クビは何とか避けられたものの、きっと窓際部署への異動が告げられたのだ――。

 

けれど、部長がつづけたのは完全に想定外の言葉だった。

 

「じつは今度、社長直轄の新規事業部が立ち上がることになったんだが、白石にはその設立メンバーに加わってもらうことが決まった」

 

「えっ?」

 

混乱する私をよそに、部長は言った。

 

新部署は、社長の肝いりでしばらく前から水面下で立ち上げが計画されていたものらしい。そして社長はその新部署にふさわしい人材を探していた。先日のプレゼンはその一環で、お眼鏡に適った数名が抜擢されたのだという。

 

「で、でも!」

 

私は叫んだ。

 

「美雪は途中でいなくなったじゃないですか!」

 

部長は言った。

 

「妙な話だが、どうやらあれがかえって社長の印象に残ったらしいな。白石だけ後で呼びだされて、個別で社長にプレゼンすることになったんだ」

 

途中からは美雪に向かって部長は言った。

 

「それに、私からも白石のことは推薦させてもらった。白石はたしかに抜けているところがある。が、独自の視点がおもしろいし、行動力にも目を瞠(みは)るものがある。この半年で基礎もみっちり仕込んだしな。まあ、あとは社長直々にいろいろと叩きこんでもらえ。がんばれよ」

 

でも!

 

私がそう言うより先に、美雪が口を開いていた。

 

「ありがとうございます! 畏れ多いですが、精一杯がんばります!」

 

立ち上がり、みんなに向かって頭を下げた。

 

「短い間でしたが、本当にお世話になりましたっ!」

 

一斉に先輩たちから拍手が起こる――。

 

私は呆然となり、完全に思考が停止した。

 

どうして、どうして、どうして……。

 

「まあ、気落ちすんなよ」

 

先輩がそっと口にした。

 

「あいつが特別優秀だっただけなんだから」

 

鏡のところに行く気力は、もはや湧いてはこなかった。

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