美人は赤ん坊でもわかる? 美しさの謎を科学的に解き明かした一冊

馬場紀衣 文筆家・ライター

『なぜ美人ばかりが得をするのか』草思社
ナンシー エトコフ/著 木村博江/訳

 

 

トップモデルは人びとの目を引きつける。みごとにデザインされた服は女性たちの憧れになる。鍛えぬかれた裸の肉体は芸術になる。鏡を見ている人を眺めると、たいてい自分に対していい顔を作っているし、写真に撮られるときには、もっとも自分を良く見せるポーズでレンズの前に立とうとする。最近はナチュラルな美しさが好まれつつあるようだけど、自然な美も派手なメイクと同様に「作りこまれた」ものであることを思いだして欲しい。

 

「私たちが生きているのは、醜悪な美の時代だ。美の道徳性が疑われ、醜悪なものが、ざらついた魅力を発散する時代である。」著者は、こんな言葉で本書をはじめる。

 

「美は肉体にも想像の中にもひとしく存在する。私たちは美に夢を吹きこみ、あこがれでみたす。裏返して言えば、美への憧憬はたんなる現実からの逃避にすぎなくなる。そこで私たちは言い古された言葉で、すり抜けようとする。すなわち『美は見る者の目に宿る』。つまり、喜びが感じられるものはみな美しいというわけだ(言外に、美は言葉であらわせないという意味がこめられている)。しかし、これでは美そのものに意味はないと言うのも同然だ。」

 

では人は何を見て、なぜ美しいと思うのか。美とは、いったいなんだろう。著者は、人びとが飾ることに夢中になり、写真が修整されて肖像画が理想化されるのは、人間が芸術作品でありたいと望むからだという。それは同時に、他者に愛され、受け入れられることへの願望であり、心の渇望を満たそうとする行為でもある。

 

子どもは思春期の若者ほど美しさを問題にしないと思われがちだが、心理学者ジュディス・ラングロワの意見はちがう。この学者によると、赤ん坊でさえ美しいものと醜いものを見分けることができるというのだ。ある調査では、赤ん坊は白人、アジア系といった人種的なちがいを超えて、複数の顔の中から美しいものを大人たちがするのと同じように、しっかり識別したという。美しさを認識するには学習など必要ないのだ。

 

赤ん坊にとって重要な人物とは自分の生存に関わる存在なので、相手の顔が美しいかどうかで行動を変えるなんてことはないだろう。とすれば、この調査結果は「乳幼児が美しさを感知すること、そして人間の顔には人種的ちがいを超えて共通した普遍的な美の特徴があることを示唆している」と、著者は述べる。

 

乳幼児の好みは大人の好みの雛形であり、赤ん坊たちは左右非対称のものより左右対称のものを、表面がざらついたものより滑らかなものを長く見つめていたに過ぎない。それはまた、何を美しいと感じるかという美の認識が文化によって教え込まれたものではないという発想をもたらしてくれる。

 

肉体的な美は精神的な美を表すとの考え方はプラトンまで遡ることができる。古代ギリシアの女性詩人サッフォーは「美しきものは善」と書き残している。健康的な身体や色鮮やかな植物、海や月を美しいと感じる人はたくさんいるだろう。しかし「美しい人」となると、その定義はあいまいだ。本書は、進化生物学や心理学、美術史家たちの言葉などをまじえながら、美という不確かな難問にできるだけ科学的・客観的な答えを見いだそうとする良書である。

 


『なぜ美人ばかりが得をするのか』草思社
ナンシー エトコフ/著 木村博江/訳

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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