2021/04/22
藤代冥砂 写真家・作家
『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』光文社新書
樋口耕太郎/著
沖縄に住んで、十年が過ぎた。
つい、あっという間であると言いかけるが、振り返ると、どうにかこうにか、やれやれ、といった疲労感が少し滲むのが本音だ。
もともと千葉県出身の私が、学生時代に東京に移り、やがて神奈川県葉山に移り、2011年から沖縄へと流れていく動線は、一旦は中心に吸い込まれたものの、弾かれて遠くまで放たれたような、のっぴきらなさがある。
もともと、若い頃から、国内外の旅を繰り返し、移動や異文化に慣れ、本拠なしがデフォルト化されていたおかげで、多少なりとも図太くなっているという自負はあった。どこででもやっていけるという図々しさ。それが自分にはあると今でも思っている。
だが、沖縄に住むことには、居心地の良さと、ぎこちなさが同居していて、不動に思われた自分の図太さが、実はたいしたことではないと感じさせられる。その効き方は、時差でダメージを与えるボディブローのような嫌な感じだ。
ナイチャーが!
一度だけ、見ず知らずの人に、そう吐き捨てられたことがあった。薄々は感じてはいたが、ナイチ(本土)の人間に対する壁というのは、それがどういう感情にしろ多くの沖縄の人にはあると思う。他所者に対する壁は、もちろん、沖縄に限ったことではない。
だが、一見穏やかに見える人々や、癒しを感じさせる亜熱帯の自然などとの対比から、その壁は、必要以上に生々しく、ある種の問題として、目立ってしまうのも事実だろう。
私は、そういう壁を必要以上に意識しないようにしてきたし、それを特別問題視しないほどの緊張感のない日常を暮らしてきた。
だが、改めて本書のタイトルにあるような、貧困というアングルから、この美しい島を眺めてみると、沖縄の暮らしの中で砂利を噛むような感触を時々得ることの理由が、かなりしっくりと理解できた。
著者が語る沖縄から貧困がなくならない理由は要約すると、次のようになるだろう。
まず沖縄の社会は、出る杭を打つ精神構造がベースにある。幼い頃からなるべく目立たないように生きることを諭され、能力のあることを見せないように努力すらし、目上の意見は絶対であり、それに反することは、親族だけでなく、地域全体を敵に回すことになり、最新の注意を払って、公私の同調圧力下に留まろうとする。それは、昇進昇給を求めないことにまで行きつき、それが全国一の低賃金労働力を作り、それが沖縄企業を支えている。
かなり大雑把だが、このような消極的なメンタルを保持させるのは、沖縄の人がもともとそうなわけでなく、社会構造のせいでもある。現に、島を出た沖縄の人は、遠慮の要らない世界で、その才能を開花させることが多く、少なくとも島にいる時よりも生きやすさを感じているケースが多い。
話を島内に戻すと、打たれない杭になろうとするしかない社会構造下で、その常態化している貧困から抜け出すためには、まず個人が自己変革していかなければならないと著者は説く。
ここでの自己変革とは、自分を愛せるようになる、ということで、詳しい説明はここでは省くが、この本の、面白さは沖縄社会の分析から、自己啓発的な方向への大きな展開へあると思う。
社会構造はなかなか変わらないけれど、それをいつまでも待つ代わりに、まず自分を変えて自信を持って生きよう、という所へと読者を誘う。
さらに、沖縄の問題は、日本の問題の縮図であり、自分を愛することの必要性は、多くの人間にとっても大切なことと進める。
この話に、乗ることは出来るし、もちろん愛という帰結にもやっとすることも出来る。
で、私はというと、沖縄に住み続けることを既に決めたナイチャーである著者の心意気とある種の明るさから、一歩距離をとって眺める位置にいる自分を意識して、自分がウチナンチューでもナイチャーでもないことに、もやっとしつつも、それがやるせなくもないことに気づくのだ。この生活の柄を目の前にして、柄を評する気持ちがなぜか薄いのだ。
『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』光文社新書
樋口耕太郎/著