ryomiyagi
2020/12/04
ryomiyagi
2020/12/04
大河内さんは、19歳でJALのキャンペーンガール、20歳で人気芸能人への登竜門とも言われたクラリオンガールに選ばれ、芸能界でモデルや女優としてのキャリアをスタートさせました。そして21歳のとき、当時阪神タイガースで“亀新フィーバー”を巻き起こしていた新庄選手に出会います。
スラッとした体形に茶髪でうつむきながら歩いてきた入団3年目、20歳の彼は、まだあどけない顔で、年下のように見えました。スタジャンを羽織って、でも足元を見るとヴェルサーチのメダルが付いた革靴。ちょっとちぐはぐで、第一印象は「田舎のジャニーズ(ごめんなさい)」でした。
新庄選手へのインタビューをきっかけに知り合った二人は、連絡を取り合うように。大河内さんの好みのタイプではなかったという新庄選手ですが、精一杯のアピールをしてくれる新庄選手の純粋さや優しさに、次第に惹かれていきます。そんな新庄選手の性格を表すエピソードが大河内さんが22歳になる誕生日の出来事。新庄選手は大河内さんの誕生日をお祝いするため、サプライズでホテルでのディナーを予約してくれていました。
彼の家に行くと、壁には彼のお気に入りのヴェルサーチの服一式がかかっていたのです。だけど私はホテルを予約してくれていたことなど知らず、いつものようにカジュアルな装い。すると彼は大好きなヴェルサーチの服を私に気づかれないようにそのままそっと奥にしまい、私のスタイルに合うシンプルなシャツとデニムに着替えて「さあ、行こう!」と。
相手に気を遣わせまいと思いやる新庄選手のそんな人間性に惹かれて、お付き合いをしていたと大河内さんは言います。
順調に新庄選手との関係を深めていった大河内さんですが、ある日転機が訪れます。「別れるか、芸能界をやめるか、選んでほしい」、そう新庄選手に言われたのでした。
新庄選手は当時の球団史上最年少四番打者として、シーズン100安打を達成するなど波に乗り始めたころ。一方、大河内さんも演じることの面白さに夢中になり女優としての活動を本格化させていた時期でした。関西と東京、それぞれでキャリアを磨きながら忙しくする日々。大河内さんの事務所の方針で交際を公にできないことに対しても、二人のフラストレーションはたまっていきました。そしてついに、新庄選手は「このままでは野球に集中できない」と大河内さんに選択を迫ります。
大河内さんは逡巡したものの、最終的には芸能界を辞めることを決意しました。
芸能界から身を引こう。この人の成長をそばで応援したい。彼が野球に集中できるよう、全力を尽くそう。そんな気持ちが沸々と湧き上がり、私は「大河内志保」であることをやめたのです。自分自身のキャリアを犠牲にすると言う感覚ではありません。私たち2人がともに表舞台で輝くことはできないと、私も芸能界でプロとして活動する中、わかっていました。隣にいる者の影が漆黒のように黒いほど、光は強く輝くと。
芸能界を引退してから、大河内さんは新庄選手の身の回りの世話をするようになり、新庄選手のガールフレンドだという甘い気持ちは薄れたと言います。代わりに、ファンに夢を与える野球選手のパートナーとして、新庄選手をファンにもっと喜んでもらえるようなスターにしよう、そんな覚悟が生まれたのでした。
おままごとのように中途半端に寄り添うのではなく、プロのパートナーとして乾坤一擲、運に身を任せて彼と一緒に本気で夢を追おう。
そうして大河内さんは、新庄選手のしなやかで強い体を作るための食事作りに体調管理、日々のプレーを見守ることはもちろん、メンタル面でのケアから荷物運びに至るまで、あらゆる面でサポートする「裏方」になったのです。
『人を輝かせる覚悟』では、「裏方」として大河内さんが実践してきたパートナーを支える方法の数々が紹介されていますが、中でも印象深いのは次の言葉です。
大切な人をサポートするためには、相手の話をしっかり聞いたり観察したりして、いいところや得意なこと、苦手なことを知ることがすごく大事です。その上で、「あなたは絶対に間違っていない」「あなたのこの部分は本当に素晴らしい」という肯定のエネルギーをバンバン出しながら接してあげれば、きっと勇気百倍でしょう。彼も、私が一番の見方で、いつもそばにいて絶対に裏切らない存在だということは、わかってくれていたと思います。
本編では、メジャーリーグ移籍後の慣れない海外での節約生活の苦労や、お金の管理を任せていた知人男性との金銭トラブル、新庄選手とのすれ違いから離婚の経緯も明かしてくれています。そのような様々な苦難を経験しながらも、常に前向きに肯定することを忘れなかった大河内さんの姿勢は、離婚後のセカンドキャリアでも活きているよう。
(離婚)当時の私は37歳。あと10年若ければと思う気持ちもありました。新しいことをやり始めるには遅いのではないかと不安になったのです。そんなときには、今の年齢に10を足してみましょう。私は本来47歳だと考えるのです。10年巻き戻ったとして何がしたいかを考え、やりたかったことに挑戦してみる。そうすれば10年得しちゃうわけです。
「裏方」として生きてきたがために、離婚してからすぐのうちは自分が何をしたいのか、何ができるのかわからなかったと大河内さんは言いますが、すぐにそのポジティブさで持ち直しました。
大河内さんは現在、モデルやタレントとして芸能活動を再開する傍ら、「裏方」時代に培った「食」の知識や経験を生かし、健康に楽しく生きるための料理方法を研究されています。今後はその成果をアウトプットして人の役に立てたいと、生き生きとした語り口で記した大河内さん。「挑戦はいつからでも始められる」「自分にはたくさんの可能性がある」。そんな前向きな言葉を伝えてくれる本書、『人を輝かせる方法』で大河内さんは、新庄選手を最大限 に輝かせることが出来た大河内さんだからこそ知っている、自分自身の輝かせ方も教えてくれているようです。
文・写真/藤沢緑彩
『人を輝かせる覚悟 「裏方」だけが知る、もう1つのストーリー』
大河内志保/著
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.