あなたの服装に「プロトコル」はありますか?『NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草』

戸塚啓 スポーツライター

『NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草 』講談社+α新書
安積 陽子 /著

 

著者と編集者には失礼だが、タイトルと内容がちょっと合っていない気がする。本書で紹介されている日本人のダメな例は、「クスリと笑われる」レベルではなかったからだ。

 

それはともかく、内容は面白い。

 

テレビで良く観る政治家の服装に関する記述には、思わず膝を打つ。安倍晋三首相やドナルド・トランプ大統領の着こなしがどうしてカッコ良く見えないのかを、分かりやすく説明してくれている。

 

誰かを笑ってばかりもいられない。

 

50歳になったばかりの自分としては、読んでいくとどんどん恥ずかしくなっていく。
スポーツの取材現場で、服装に関するルールを聞いたことはない。本書で言うところの「プロトコル(約束事)」はかなりあいまいだ。

 

たとえばJリーグの取材会場で、スーツを着た記者はほとんどいない。個人的にこれからの季節は、Tシャツかポロシャツとデニムの組み合わせが定番だ。革靴を履くことはまずない。

 

一対一のインタビュー取材では、襟付きのシャツにデニム素材でないアンクルパンツ、といった感じだ。取材対象と場所に応じて服装をちょっとだけ変えるのが、僕にとって唯一のプロトコルだ。

 

困るのは取材後に約束がある場合だ。スーツを着た同世代の友人にカジュアルな恰好で会うと、居心地がひどく悪い。友人たちは「うらやましい」と言ってくれるのだが、せめてセットアップでも着たほうがいいよなと思いつつあったところで、本書に出会った。

 

 

胸に突き刺さるようなフレーズがいくつもある。なかでも突き刺さるどころか、胸をえぐられたのはこれだろうか。

 

「自分が身に着けるものに対して無知でいることは、自分の外見に責任を持たない人間である」

 

うーん……自分は無知ではないと思うのだが、僕は何を持って「無知ではない」と思い込んでいるのか。色や素材に気を遣ってコーディネイトをしているだけだった。

 

この服を着ると、他人からどう見られるのか。
これから臨む場所では、どのようないでたちが適しているのか。

 

こうした「正しい装い」に関する教育が日本では成されていない、と著者は指摘する。ファッション雑誌で紹介されているトレンドも、実は正しいものばかりではない、とある。困ったら雑誌に頼る自分はドキリとする。ならば、どうしたらいいのだろう。

 

周りを観察しなさい、と著者はアドバイスする。習うより慣れよ、ということだろう。

 

サッカーW杯をロシアで取材中の僕は、各国のメディアが集まるプレスセンターで周囲を見渡している。日本人に限らず、カジュアルな装いの記者が多い。自分と似たような服装の外国メディアもいるのだが、ひねりを加えている人もいる。ちょっと肌寒いときに重ね着をするのではなく、ストールを使ったりしている人が。

 

そういう人はキリっとして見えるから不思議だ。姿勢が良くて自信に漲っているようにも見える。「欧米の人たちにとっての装いは、その人のアイデンティティなのだ」という

 

著者の言葉をロシアで実感し、「正しい装い」という概念を日本に置いてきた自分が、何だかとても残念で恥ずかしい。
スポーツの原稿で、僕は「流した汗は嘘をつかない」と書く。試合で結果を残すアスリートは、練習でたくさんの汗を流しているからだ。

 

著者は「服装は嘘をつかない」と書いている。プロトコルをわきまえた着こなしをすることを、50歳のスポーツライターは改めて決意したのである。

 

 

『NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草 』講談社+α新書
安積 陽子 /著

この記事を書いた人

戸塚啓

-totsuka-kei-

スポーツライター

1968年神奈川県生まれ。法政大学法学部卒業後、'91年から'98年まで『サッカーダイジェスト』編集部に所属。編集者・記者としてJリーグ、日本代表を担当。'98年秋よりフリーに。『Sports Graphic Number』などのスポーツ誌で様々なスポーツノンフィクションを手がける。近著に『僕らはつよくなりたい~東北高校野球部、震災の中のセンバツ』(幻冬舎)、『不動の絆~ベガルタ仙台と手倉森監督の思い』(角川書店)、『低予算でもなぜ強い?~湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)がある。

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