2021/05/13
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『クララとお日さま』早川書房
カズオ・イシグロ/著 土屋政雄/翻訳
クララにとってお日さまは、特別なものでした。
AFであるクララにとってお日さまの光は、大切な栄養源なのです。
でも、それだけでは決してありませんでした。
クララにとってお日さまとは、祈りの象徴であり、神さまでもありました。
クララは、お日さまがもたらす奇跡を知っていました。お日さまが持つ偉大な力を信じていました。
クララは、お日さまの力を借りるためなら躊躇うことなく自身を差し出したでしょう。彼女を守るためなら、怖いものなど何もありませんでした。
クララにとっての“彼女”は、それほどまでに大切な存在でした。
ロボットのクララと、少女ジョジー。
病む時も健やかなる時も――どんな時にも、お日さまの光は二人に降り注ぎ、あたたかな光が二人を守ってくれていました。
たとえ共に過ごす未来が訪れなかったとしても、お日さまは変わらず二人を守ってくれることでしょう。
二人の出会いは、クララが展示されていたAFのお店でした。
AFとは、AIロボット“人工親友”と呼ばれるもので、様々な機能を持つ、姿かたちの違うロボットが子供たちの“友達”となるべく売られています。
クララは旧型のモデルで嗅覚がないことが欠点でしたが、優れた観察力と学習への意欲を持ち合わせていました。その瞳に映る全てを記憶し解析すること。また外の世界、とりわけ「人」を観察することで、その行動の奥に潜む感情をも読み取る能力がありました。
これは他のAFにはない、クララだけが持つ素晴らしい能力でした。
ショーウィンドウに飾られたクララに、ある日一人の少女が歩み寄ってきました。
クララの推測では14歳半の――青白く痩せた少女は、注意深く歩きながらクララのもとへ辿り着きました。笑った時に顔にやさしさがあふれるのが、印象的な少女でした。
「あなたのお友達って、きっと誰かの完璧なAFになると思う。
でもね、昨日、この前を通りながらあなたを見て、あっ、この子だって思ったの。
ずっと探してたAFがここにいたって」
二度目の来店で、少女はクララにこう問いかけました。
「だって、絶対に無理強いはしたくないの。
それはフェアじゃないもの。
わたしはあなたに来てほしい。
でも、あなたが、いやだ、ジョジーのところには行きたくないって言えば、わたしもママにそう言って、あきらめる。
でも、来てくれたいのよね?」
この少女――ジョジーは、クララに決して無理強いはしませんでした。クララの意思を尊重しようとしました。
けれど、これはとても珍しいことでした。なぜなら、人とAFの関係において、選ばれることも、選ばれた後どのような運命を辿るのかも、すべての主導権は人間にありました。
AFの役割はあくまでも、その高い知能を有効に用い「子供たち」の人生をより素晴らしい方向へと導くことです。
ですからそれ以外のこと、たとえば互いの心の交流や、その過程の中で生まれる愛などを――AFとの関係において必要とする子供、あるいは親は――ほとんどいませんでした。なぜならそれは、社会的成功のためには必要のないことだと、
でも、ジョジーは違いました。彼女は初めからクララとの対等な関係を望んでいました。クララとフェアな関係を築くことで、二人の間に“本物”の友情を育てようとしていました。
本物の友情は、心の交流なくして構築することはできません。もちろん、一方的な想いだけで、育まれるものでもありません。
ジョジーはクララに心があるかどうかなど、疑問にも思っていなかったでしょう。
ジョジーの灰色の瞳に宿るやさしさと聡明さは、何が本当に大切なことなのかを見抜いているようでした。
初めての来店から随分長い時間を要しました。ジョジーの熱意と母親の葛藤に、ようやく折り合いがつき、クララはジョジーの家に行くことが決まりました。
ジョジーの幸福を願い、彼女の支えになる日々が始まっていきました。
家族、というものはある種のパラドクスを含んだもの――これは、どの家庭においても言えることです。たとえば、光の当たる場所のすぐ隣に、真っ黒な闇が潜んでいることなどは、さして驚くことではないように。
しかしながらその闇は、子供の心に多大な影響を及ぼす危険なものです。
ジョジーの家でも、それは例外ではありませんでした。
ジョジーは、「向上処置」を施された少女でした。向上処置とは遺伝子操作のことで、この処置を施すかどうかで、その後の人生は大きく変わってきます。
向上処置を施されなかった子供は、施された「優秀」な子供が数多く進学する大学への入学が非常に困難になります。輝かしい未来へと繋がるパーティーの場に、居場所はありません。
向上処置を施されない子供の背景には、金銭の問題が見え隠れすることも、差別を助長しました。
しかし、この処置は危険を伴うものでした。日常生活をも困難になるような病気の進行。死に至る子供も、決して少なくはありませんでした。
「死」の悲しみは、ジョジーの家にも未だ生々しい傷として残っていました。その傷は、母と子の関係を捻じれさせ、歪ませました。母親の後悔と悲しみによる不安定さは、
ジョジーにも、深刻な病の症状が現れ始めていました。
心身の不調は彼女をじわじわと蝕んでいきます。ジョジーの中にある別人格の存在が強大になるにつれ、本来のジョジーの声はどんどん小さくか細いものになっていきます。
もう、ジョジーと母親のあたたかな抱擁は見られません。ジョジーと幼馴染の淡い恋の炎は儚くも消えかかっています。
少しずつ損なわれていくジョジーを、誰も止めることができません。さらにはその傍で、クララは、ジョジーの母親から秘密の計画を打ち明けられていました。
時間はもう、いくばくも残されていませんでした。
クララは、ジョジーを救うためにある決断をしました。
お日さまにしかジョジーの病気を治すことはできないと確信していました。お日さまの力を借りること以外に、考えられる方法はありませんでした。
しかし、お日さまに助けを求めることは、その対価となるもの、いやそれ以上のものを差し出さなくてはならないことも分かっていました。
クララにとって、ジョジーは何を差し置いても守らねばならない存在でした。それは、AFのクララにとっては当然の責務です。
しかし、クララはそれだけの理由でこの大きな決断を下したのではありませんでした。
ジョジーがクララに向ける眼差しが、クララがジョジーを見つめる日々が――
降りつもり、積みかさなって、二人の間に生まれていた「愛」がクララを突き動かしたのです。
物語には、終始美しく静謐な空気が漂っています。たとえそれが、人間の愚かさが露わになる場面であっても、弱さが露呈される場面であっても、どんな場面においても、その美しさに陰りが生じることはありません。
それはジョジーが、クララを見つめる瞳の美しさの象徴だったのでしょう。
クララが、世界を見渡す時の澄んだ眼差しそのものだったのでしょう。
物語は、人間の抱える多くの問題を浮き彫りにします。愚かさ、傲慢さ、未熟さ、それらが結局は自分の首を絞め、自身を損なう道を辿っていく様を如実に浮かび上がらせます。
優れた知能を持つAFが見つめる人間の世界はひどく矛盾に満ち、欺瞞に溢れ、今にも崩れそうな脆弱な土台の上で右往左往する人々の姿は、「私たち」への警鐘なのだと考えるべきなのでしょう。
しかし、クララが人間を軽蔑することは、一度もありませんでした。私たちの愚かな行いを、クララの瞳が追求することはありませんでした。
クララは、ただただ見つめていました。
世界の美しさを。強力な輝きを纏うお日さまの光を。
そして、ジョジーというたった一人の少女の中にある、彼女だけの美しさ、聡明さ、素晴らしさを。
クララが見つめていた世界に触れる時。
お日さまの光は、私をも照らしているだと信じられました。
燦燦と降り注ぐお日さまの光が瞳の奥で弾け、全身を駆ける時。
眩いほどの光が、私の隅々にまで満ちていくのを感じられるようでした。
それは、物語の中で起こった奇跡が差し出された、
『クララとお日さま』早川書房
カズオ・イシグロ/著 土屋政雄/翻訳