2021/06/01
三砂慶明 「読書室」主宰
『東大卒、農家の右腕になる。』ダイヤモンド社
佐川友彦/著
私は、全国チェーンの書店で働いています。
全国各地に店舗があり、他店のスタッフと顔をあわす機会は多くありませんが、それぞれの店舗の売上データを見ながら、いま、何に注目すべきなのかをよく教えてもらっています。
『東大卒、農家の右腕になる。』という本の存在に気がついたのは、東京にいた同僚が仕掛け販売を行い、突出した売上を叩き出していたからです。
「いい本なんですか?」
同僚に電話してみると、
「え、まだ読んでないんですか? めちゃ良い本ですよ」
と即答でした。来店する客層も、本の属性も、自分の勤務店に合いそうだったので、
「早速読んで展開してみます」
と答えて電話を切ろうとしたそのとき、
「三砂さん、僕、会社やめます」と思わぬ返事がありました。
「え?」
「この本読んで、僕、思い切って農業に挑戦してみようと思いました」
「えええええ!!!!」
本を読んで人生がかわるというのはよく聞く話ですが、まさか同僚とは思わず、つい、絶句してしまいました。まだまだたくさんのことを教えてもらいたかったし、一緒にやりたい企画もあったので残念でもありましたが、同僚の想いを知れば知るほど、応援したくなりました。
『東大卒、農家の右腕になる。』は、「環境問題の解決に貢献する」という高い志をもった著者が、挫折し、夢をあきらめ、そこから立ち上がるために何をしたのか、その実践を具体的に書いたビジネス書です。
東大を卒業し、外資系企業に入社し、新卒2年目で結婚し、会社を代表するプロジェクトを任され、順風満帆の人生を歩むかに見えましたが、プロジェクトがうまくいかず、責任と重圧からうつ病になり、会社を退職します。
その後、創業期のメルカリで社会復帰しますが、スタートアップの成長期についていけず、またしても体調を崩し、退職します。
無職になって途方にくれた著者は、夢を捨てて都会から離れることを決心します。「やりがい」よりも「安心できる環境で無理なく働き続けること」を優先しつつ、自分の足で面白い会社、面白い仕事を探しはじめます。そこで出会ったのが、梨農家のインターン採用でした。
ただし、通常のインターンのプログラムと違い、段取りが用意されておらず、危機感を抱いた著者が自ら手綱を握って、「農家の経営力」の改善を掲げて走りはじめます。
事業計画は存在せず、生産データもなく、販売データもうろ覚え。
全体像も数字もない現状を、むしろ日本の農家の現状ではないかを考え、気づきを得ます。
「そうか。課題の山は、可能性の山なんだ。」
農家の現場に立てば、目の前の課題は「伸びしろ」。
インターン採用で働きはじめた阿部梨園に改めてラブレターを書き、畑にはでず、農家の参謀として、経営改善に取り組みます。
本書で描かれているのは、その100の成果です。読んだ人がすぐ着手して、すぐ成果が出るように、すべて実例で記されています。
カバーしている分野は、事務、生産管理、組織づくりから販売、人事と多岐にわたります。
中でも個人的に感動したのは、課題解決へのアプローチです。
課題解決は、あらゆるビジネスパーソンにとっての永遠の課題です。
「課題解決の障壁は、能力や知識の問題だけではありません。課題解決させてもらうための裁量や理解を得ることが、入り口にして最大の難関です。(中略)「いいこと」があるとわかっていれば、相手は断る理由がなくなります。
逆に、遠ざけなければいけないことは、課題解決に寄与しないすべてです。」
本書は農業生産者向けに書かれていますが、対象はむしろ、自分で自分の仕事をつくりたいと考える独立開業を目指す読者や、日々目の前の仕事に悩む読者です。
著者の清々しいまでに赤裸々な失敗談から得た気づきが、仕事術として結晶化しています。失敗や回り道にダメなものはない。すべてが人生の血肉になりうることを本書は教えてくれます。
この本を読み終わって思うのは、センスがよく、仕事もでき、尊敬している書店員たちがなぜ農業へ向かうか、です。この現象は、同僚だけのものではありません。
鳥取の名書店・汽水空港のモリテツヤさんは、本屋をやるために農業からはじめています。恵文社一乗寺店の鎌田裕樹さんも近い未来の就農を目指し、本屋で働きながら、農業や自然、哲学について学んでいるとご自身の体験をnoteに綴っています。いますぐこの問いへの答えはでませんが、来年あたり、また同僚に教えてもらおうと思っています。
『東大卒、農家の右腕になる。』ダイヤモンド社
佐川友彦/著