2021/06/28
小説宝石
『檸檬先生』講談社
珠川こおり/著
冒頭で飛び降りの遺体が描写される。彼女はなぜ死んだのか。物語は過去から始まる。小中一貫校に通う小三男子の語り手が、音楽室で中三女子と知りあう。二人はともに、音を色と、色を音とともに感じる共感覚を持っていた。「檸檬先生」、「少年」と呼びあうようになった二人は、校内の人がこない部屋でたびたび会う。彼は彼女から共感覚についてや勉強を教わり、一緒に出かけるなど親しくなる。
第十五回小説現代長編新人賞を史上最年少の十八歳で受賞した珠川こおりの『檸檬先生』は、感覚描写が優れている。「少年」は「檸檬先生」より共感覚の幅が広く、音だけでなく数字や名前にも色が見える。その影響で同級生とうまくつきあえず、いじめられている。色が不意に語り手を襲ってくる場面は、ドラッグによる酩酊がドラッグ抜きで起きる趣だ。芸術家である彼の父は海外を旅しており、母は昼だけでなく夜も風俗店で働き生活費を得ている。同級生は母のことをあてこすり「少年」に「色ボケ」のあだ名をつけたが、それは色を処理しきれない彼を蔑む言葉ともなっている。
「少年」は、檸檬色に見える「檸檬先生」に魅かれていく。だが、自分の思うままに過ごしているかに思えた彼女の現実も、やがて浮かびあがる。感覚が鋭くなる一方、若さゆえできる行動が限られるのが青春小説の苦みであり、本作で共感覚の設定は苦みを強めるものになっている。また、二人は過剰な感覚を有しているが、少年を異性と意識しなくてもいい年齢差が少女の気安さに結びついており、その面での感覚はまだ希薄である。とはいえ、子どもは大人になるのだ。彼らをとり巻く色の変化が切ない。
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『東京ディストピア日記』河出書房新社
桜庭一樹/著
コロナ禍の日々を再認識する等身大の記録
大きな災害や事件の影響が長引いたことは覚えていても、恐怖から慣れへなど心の変化がどうだったかは、あとからよく思い出せなかったりする。その点、コロナ禍の日々を再認識するきっかけをくれるのが、桜庭一樹『東京ディストピア日記』だ。二〇二〇年一月から一年間の等身大の記録である。行動範囲の中心は東京の隅田川沿いの下町で、外国人観光客の減少、飲食店の業態変更や休業が、日常風景の変化としてとらえられている。街で耳にした言葉が書きとめられ、人々の気分の浮き沈みを追体験できる内容だ。生活の尊さをあらためて思う。
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