“ただならぬ”諏訪の風土から学ぶコロナ禍での自分の生かし方

藤代冥砂 写真家・作家

『諏訪式。』亜紀書房
小倉恵美子/著

 

 諏訪という土地は、ただならぬ、と常々感じていた折に、本書と出会った。
 諏訪には、縄文の遺跡が多い。国宝を含む土偶や土器などの出土品の質と量などからも分かるように、国内でも有数な縄文遺跡を抱く。
 さらには、明治期の製糸業はシルクエンペラーとして世界に響き、時計、カメラ、バルブなどの昭和の精密機械、岩波、筑摩などの出版業の興った場所でもあり、また、古くからの神事である諏訪湖の御神渡りは、諏訪地方だけでなく、日本の命運を公式に占うものであったり、4つの諏訪大社が諏訪湖を囲んでどんとあったりと、なんだか盛りだくさんな土地なのだ。

 

 地中に目を向ければ、フォッサマグナと中央構造線という2つの巨大断層が交差し、至るところで温泉が湧き出している。
 そんなコンテンツ盛り沢山な土地に縁あって十数年通っている私だが、当初は八ヶ岳や南アルプスの登山基地ぐらいにしか考えていなかった。だが、訪れるたびに縄文時代から現代に至るまで、幾重にも折り重なった基層の豊かさに惹かれる続けることになってしまった。
 たとえば、古代からこの土地の名産である黒曜石は、その流通のための四方の峠を越えていくルートが先史時代からあり、つまり移動する民を抱えていた土地であった。
 移動を抱く土地は、多くの情報が入ることになり、それは物だけでなく、文化や信仰もそうであったろうし、そのような許容する土地の性格は風土の一部となって、人の生き方のベースとならないわけはない。

 

 一般的には奥まった自然豊かな山岳地のイメージが諏訪にはあると思うが、実際のところは、先史時代から現代へと面々と続く文化度の高さを内在している人の豊かな土地であることをも、本書は数多の例を添えつつ語ってくれている。
 私は、実業、教育、文化、政治、芸術に星の如く多くの人材を輩出してきた諏訪という土地の不思議さに惹かれながら、本書を読み進めるうちに、必然的に「風土と人」について考えていた。
 諏訪の美しい山河は自然と同調する大らかさを育て、冬の厳しい寒さは耐え忍ぶこと、信仰の厚い人々は、謙虚さをそこに育つ者に平等に与えたことだろう。

 

 諏訪が一般民衆レベルで秀でていたことは、例えば海苔問屋での成功が挙げられる。
 農閑期における副業を行うために地元を離れることを藩が認め、ある一派は江戸の大森周辺に海苔の収穫加工などに雇われ、そこでの精勤ぶりが認められ暖簾分けが進み、あれよあれよという間に、彼の地での八割方の海苔問屋は諏訪勢によって占められた。そればかりか、海苔の行商に行ったついでに、産地を開拓し、有明や三陸の名品は、諏訪の人たちが興したものだ。
 これは諏訪の冬の寒さが育てた労働に対する姿勢と我慢強さのおかげかもしれない。また、縄文人時代から人が住み続けたことからも、地の利があることも想像でき、つまり諏訪には人が住んだ時間の層がたっぷりとあって、綿々と受け継がれた生活巧者的な資質がもともとあるのかもしれない。
 だが、一方で、諏訪出身の私の友人が呟いていた言葉も忘れられない。
「この壁のような山脈に囲まれた土地から、早く出たいと、学生時代から校舎の窓の外を眺めながら思っていた」
 もちろん学生時代には、故郷から出ることを夢見る人は多い。だが、諏訪の盆地からは壁の如しの山脈が目に見えてあって、それが何かを乗り越えていく心を育むことは想像に難くない。いつかあの山の向こうの世界へと、そのシンプルな思いは、シンプルであるからこそ、持続力もあるのかもしれない。

 

 本書を読みつつ、諏訪の歴史、自然、可能性、などをたっぷり味わい、その魅力に触れたあとで、やはり思うのは、「風土」についてだ。
 風土というのは、どこに行っても、それぞれ違う条件のもとで存在している。それを生かしつつ、自分たち人間をも生かす。それが無理ない自然な土地との関係性だろう。
 だが、言葉で綴るのは簡単だが、そこには先人の知恵を受け継ぐことも必要条件で、つまり地域社会の充実とその継続が欲しい。少子化などで、ますます廃村や過疎化が増える中で、その土地の記憶や知恵が失われていく時、私たちが失うものは巨大だと思う。
 テレワークの普及などで、地方移住のアイデアを持つ人も増えているが、地域社会はもとより、その土地の自然と文化を趣味のように無理なく学ぶことで、文化的な掘り起こしができるのなら、それは土を掘り起こすと同じくらい大切で夢があると思う。
 テレワークなどは、実際顔を合わせなくて済むのに対し、地域での人との繋がりが、旧来の顔をしっかり合わせることを求められるならば、移住者にとって、それへの不慣れ感はきっとあるだろう。現代人の距離感と、デバイスを間にした地域との関係の持ち方も小さくないテーマになるだろう。

 

 現代の諏訪というのは、その辺を考えるにもいいサンプルとなっているらしい。地縁もなく新しく住み始めた若い世代同士の繋がりと、地元の人との繋がりも生まれている。
 風土を愛し、生活を巧みにこなす。そんなことをいろいろ考えるきっかけになる本書であった。

 

『諏訪式。』亜紀書房
小倉恵美子/著

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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