2021/07/13
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『捨てられる男たち 劣化した「男社会」の裏で起きていること』SBクリエイティブ
奥田祥子/著
セクハラ、パワハラ、モラハラなど、ハラスメントに関する報道や事件は、連日のようにメディアやSNSをにぎわせている。
こうした中で、「ハラスメント疲れ」とでもいうべき状態になっている中高年男性も増えている。
「確かにハラスメントはダメに決まっているけど、なんでもかんでもハラスメントというレッテルを張って問題化すること自体が問題なのでは」と疑問を抱く人も多いだろう。
そんな中、奥田祥子氏の新刊『捨てられる男たち 劣化した「男社会」の裏で起きていること』(SB新書)が刊行された。本書のテーマは、「男性によるハラスメント」である。
『捨てられる男たち』というタイトルや、裏表紙の「男たちが陥る無自覚パワハラ」というコピーを見て、ハラスメント疲れの男性諸氏は、「もう読む気がしない」「読まなくても内容が分かる」と思われたかもしれない。
しかし、本書はそうした単純な男性批判本ではない。本書には、世間一般にイメージされるような、旧態依然とした男社会の価値観を振りかざす無自覚なパワハラ男性、モラハラ男性はほとんど出てこない。
逆に、自らが組織の中で働き方改革やハラスメント防止の旗振り役になっている男性たちが多数登場する。そうした男性たちへの10~20年近くにわたるインタビューを基に書かれているために、本書には一般の新書と全く違う重みがある。
ハラスメントをなくすための取り組みをしている男性が、なぜハラスメントをしてしまうのか。女性の権利やジェンダーの問題に理解があり、男社会の問題に自覚的な男性たちが、なぜ加害者として訴えられてしまうのか。
ここに、社会課題としてのハラスメントを考える上で、重要な論点が隠れている。
現在のハラスメントの問題点は、「加害行為に無自覚な男性が、女性を抑圧している」という単純な図式だけでは理解できない。
私が携わっているNPOの世界では、近年、ハラスメントに対する告発が増えている。
NPOの世界は、基本的にリベラルな価値観を持った人たちが集まっており、ハラスメントを許さない空気、そして勇気を出して声を上げた人を守る文化がある。
また声をあげられた側の人も、ハラスメントの程度や内容に関する認識の差はあれ、ハラスメントの事実があったこと自体はすぐに認め、謝罪する傾向がある。
男性がハラスメントに対して無自覚、というわけでは決してなく、自覚があるからこそ、「ハラスメントをした」と批判された場合、頭ごなしに否定したり、無視を決め込むようなことはせず、謝罪と対応を行う。
結果として、自覚や反省をする意識の高い人ほど「加害者」として告発されやすくなる、というねじれが生じる。
もちろん、理由や程度に関わらず、ハラスメントは決して許されないことである。しかし、ハラスメントが加害者の無自覚によって引き起こされているのだとすれば、既に自覚している人だけを選択的に叩く=「叩きやすい人だけを叩く」「燃やしやすい人だけを燃やす」だけでは、社会課題としてのハラスメントの解決にはつながらない。
また、意見の異なる相手を陥れるために「ハラスメント」が利用されることもある。『捨てられる男たち』の中でも、「ハラスメントの被害に遭った」と会社に訴えることで、気に入らない上司を陥れようとする部下の話が出てくるが、大企業のような営利組織だけでなく、非営利組織においても、「ハラスメント」を利用して、特定の個人や団体をSNSで炎上させたり、社会的評価を下げようとする動きは、陰に陽に行われている。
つまり、ハラスメントに対して自覚的な男性であればあるほど、ハラスメントを利用して「成果」を上げることを狙っている悪意のある者にとって、格好のターゲットになってしまう、という現実がある。
社会課題としてハラスメントの問題を考える上では、こうした現状を踏まえて議論する必要があるのではないだろうか。「男性側の無自覚」「男社会の問題」という紋切型かつ抽象的な言葉でまとめるだけ、「価値観がアップデートされていないから」といった、個人の意識の問題として矮小化するだけでは、問題は決して解決しない。
さて、タイトルだけを見て「もう読む気がしない」「読まなくても内容が分かる」と思っていた男性諸氏も、がぜん興味が湧いてきたのではないだろうか(そうでないと困るが)。ハラスメント疲れの中高年男性にこそ、ぜひ読んでほしい一冊である。
『捨てられる男たち 劣化した「男社会」の裏で起きていること』SBクリエイティブ
奥田祥子/著