2018/07/23
吉村博光 HONZレビュアー
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』方丈社
内田洋子/著
私は、1994年に大学を卒業し、出版取次会社に就職した。入社してしばらくの間は、「取次とは何か」自問自答して過ごした。もちろん、誰かに訊けば答えは一発で返ってくる。でも、なかなかどれもしっくりこなかった。
入社して6年が経った頃、私はネット書店の商材担当になった。毎日300点前後の新刊の中身をチェックし、オススメしたい本を選び、自ら文章を書いてメルマガを配信する仕事を続けるなかで、ようやくその答えが見つかった。それは、非常に単純なものだった。
「お客様に、読書の喜びを味わっていただくこと」
だがその仕事は、簡単なものではなかった。まず、お客様がどんな本を求めているのかを正確にイメージする力が必要になる。そして、商品知識を増やし、中身をよりわかりやすく伝える表現力も必要だ。それらの力を縦横に駆使することで、ようやく、本と読者の幸福な出会いを生み出すことができるようになるのだ。
今も私は、やっきになって、それを続けている。
今回ご紹介する『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』には、出版取次の原点が書かれている。「ニーズを知り、商品を知り、それを伝える」その無限の連鎖。かつて私が見つけた「取次とは何か」という問いの答えとシンクロし、血が沸き立つような読書体験となった。
本書を読んだ夜は、サッカーW杯予選リーグ最終戦を控え、観戦用に妻がワインとプロシュートとチーズを準備してくれていた。23時に始まる試合を前に、2時間ほど仮眠をとるつもりで、私は5歳の息子の布団に入った。ほんの2分ほどで息子は寝息を立て始めたが、私は10分たっても眠りに落ちない。読みさしのこの本が、気になって仕方なかったのだ。
私は寝ることを諦めて、キッチンの明かりを細く灯した。内田洋子の活き活きとした描写が、古の南ヨーロッパの出版流通を支えたモンテレッジォの人々の息遣いをうす灯りのなかに浮かび上がらせた。
著者は、ある時、ヴェネツィアの路地裏でただならぬ雰囲気をもった古本屋を見つけた。本書は、それがキッカケとなって生まれた本だ。頼まれた本を必ず見つけ出してくる寡黙な店主に、本屋としての修行先を尋ねると、「代々、本の行商人でしたので」と答えた。
その原点は、イタリアのトスカーナ地方にある山深い村「モンテレッジォ」にあるという。村民はわずか32人。うち4人は90歳代という限界集落である。「何世紀にも亘り、その村の人たちは本の行商で生計を立ててきたのです。今でも盛夏、村では本祭りが開かれていますよ」と彼はいう。内田は驚いて、すぐに行動に出る。
「なぜ山の住人が食材や日用品だけでなく、本を売り歩くようになったのだろう。
矢も盾もたまらず、村に向かった。」 ~本書「はじめに」より
調べると、ヴェネツィアの古書店のように、モンテレッジォをルーツとする書店はイタリア中に広がっていた。著者は現地に赴き、その子孫たちの話を聞いてまわった。彼らがしてきたのは、各地の好奇心に答えていくことだ。ある時は、禁書をこっそり仕入れて石などにひそませて運んだ。その結果、彼らが人々の渇望を一番知る存在となった。
私は、「良書」ときくと背中がムズムズする。本はパーソナルなメディアである。良いか悪いかは読者が決めることだ。流通の立場にあって、「良書」という評価を下す傲慢さが私には耐えられない。本の流通とは、人々の好奇心に答えていくことではないのか。
「人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。
小さな村の本屋の足取りを追うことは、人々の好奇心の行方を見ることだった。これまで書き残されることのなかった、普通の人々の小さな歴史の積み重なりである。
わずかに生存している子孫たちを追いかけて、消えゆく話を聞き歩いた。
何かに憑かれたように、一生懸命に書いた。」 ~本書「はじめに」より
「ニーズを知り、商品を知り、それを伝える」果てしない戦いを続けてきた私にとって、モンテレッジォの人々の物語は涙なくしては読めないものだった。彼らの精神は、商売全般に通用する。全ての流通業に身を置く人に、読んでもらいたい本だ。
本書を読み終えた頃、サッカーのキックオフの笛が鳴った。プロシュートとチーズをつまみにワインを飲みながら観戦していると、サッカー大国イタリアにいるような気分になった。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』方丈社
内田洋子/著