機械に詳しい女性、泣き虫の屈強な男性がいるのはなぜ?「典型的な女性、典型的な男性」は世界に存在しない

馬場紀衣 文筆家・ライター

『ジェンダーと脳 性別を超える脳の多様性』紀伊國屋書店 
ダフナ・ジョエル、ルバ・ヴィハンスキ/著 鍛原多惠子/翻訳

 

 

本書の著者、ダフナ・ジョエルは神経科学者である。ジョエルが提唱した脳のモザイク論は「大半の脳は男性的な特徴と女性的な特徴の特有の〈モザイク〉から成る」というもので、神経科学界に波風をたてた。もう一人の著者、ルバ・ヴィハンスキはイスラエルにある科学研究所のサイエンスライターだ。サイエンスの専門家がタッグを組んだ本なのだから、面白くないはずがない。

 

男性と女性とでは、特定の脳領域の大きさやホルモンの分泌量が異なっている。この男脳と女脳というよく知られた概念は、男性と女性とでは根本的に違うのだという俗説と相性が良いせいか、一般論として私たちにとても馴染みのあるものだ。だから女性は生まれつき共感能力に優れていて、男性は活発的で攻撃的な傾向にあるなんていわれると、何となくそんな気がしてしまう。

 

女性と男性の身体に違いがあるように、脳にも性差があるという考えは何世紀ものあいだ女性を不当に迫害してきた。実際に、科学者たちは現代までに脳に数百もの性差を発見している。女性と男性とでは脳全体と各領域の大きさが異なり、ニューロンの構造、受容体の密度そして科学的伝達物質にも性差がある。それなら男女では脳の働きにも違いがあるのかといえば、どうも単純な話ではないらしい。

 

脳全体の大きさを除けば、新生児では女児と男児のあいだで脳の構造と機能に違いはないという。ただ私たちの脳はきわめて柔軟で、一生を通じてその形態を変化させている。ジェンダーの関わる経験によっても脳は変化するし、その他の多くの要因との相互関係によっても差異が生み出される。脳は人の行動を変え、人の行動もまた脳を変えるというわけだ。

 

そして脳とは生殖器のように、わかりやすく性別を分けられるものではない。「もちろん、私は女性と男性の脳に違いがないと主張しているわけではない」と述べたうえで、著者は次のように語る。

 

「私が言いたいのは、どの人の脳もそれぞれほかの人と異なる特徴を持ち、全体としてその人に特有のモザイクを形成しているということだ。これらの特徴のうち一部は女性にありがちで、その他の一部は男性にありがちなだけなのだ。この考えは、私たちの多くが何となく察知していることと符合する。人はみな『女性的な』特徴と『男性的な』特徴のパッチワークなのだ。それだけではない。この考えにもとづけば、真に『男脳』や『女脳』、あるいは『男らしさ』や『女らしさ』と言えるものは存在しないということになる。」

 

このパッチワークこそが「ヒトの脳のモザイク」を作りあげている。脳の構造それ自体には女性と男性とで違いがあるのに、ヒトの脳は女性的でも男性的でもないという結論は一見ると逆説的に聞こえるかもしれない。ここで注意しておきたいのは、著者は脳に性差がないとは決して主張していないということ。自分自身や身近な人のことを思い出してみてほしい。私たちの周りには、可愛らしいお嬢さんなのに中身はおじさん風だったり、女性なのに機械に詳しい人がいたり、人一倍泣き虫の屈強な男性がいたりする。典型的な女性、男性など現実世界には存在しないという事実を突きつけられた一冊だ。

 

『ジェンダーと脳 性別を超える脳の多様性』紀伊國屋書店
ダフナ・ジョエル、ルバ・ヴィハンスキ/著 鍛原多惠子/翻訳

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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