遠い海をはるばる渡ってきた手紙のような、手作業で造本された美しい絵本

坂上友紀 本は人生のおやつです!! 店主

『海峡のまちのハリル』三輪舎 
末沢寧史/文 小林豊/絵 

 

中ほどを過ぎたあたりで、衝撃的に美しいページが出てきたので思わずのけぞってしまった! ここ数年、本の値段がジワジワと高くなっている。紙を含めた物価の高騰やらなんやらと納得できる理由もある。だからこそ「どんな本なら」買いたいのか、売りたいのかがより切実になってきた。もちろん一番大事なのは中身で、それが全て。けれど「造本」までもが素晴らしいなら、これ以上文句はなーい! といいながら忌憚なくさらにつけ加えるならば、もちろん値段が安いにこしたことはないのだけれど、中身と造本に見合った値段であれば、人は買う。

 

ちなみに『海峡のまちのハリル』も「絵本」としては少しお高めの値段帯。だけど、これだけ綺麗なページが綴じ込まれていて、尚且つそこにたどり着くまでのどこを開いても、滋味深い色づかいによる緻密な絵が目一杯に広がっていて(色の出方が独特なので、一枚いちまい、矯めつ眇めつしてしまう)、書いてあることはといえば、見果てぬ時代の見知らぬ文化。しかも「実際にある国で受け継がれてきた技法でつくられた紙」の話! とくれば、か……買わざるをえーん!! きっと印刷とか装丁とか、わからんけどなんぼうにも大変だったのではなかろうかと、門外漢にすら慮らせるぐらいに素敵な造りの絵本です。ところで表紙に貼られている切手風のものやそこに捺印されたスタンプは、どちらも手貼りで手押しとのこと。また、確認したところによると、切手の色味も9種類あるそうです。……ヒェーッ!

 

こだわり半端ない『海峡のまちのハリル』の物語の舞台は、今から百年ほど前の、まだ「オスマン帝国」という名で呼ばれていた国の海峡のまち「スルタンテペ」。「七つの丘(テペ)」を持つというこの場所で生まれ育ったハリルが、父の帰りを待ちながら(海軍の船長で、遠くの国へ向かったきり行方不明になっている)、凄腕の「エブル(※)職人」であるじいちゃんのお手伝いをしています。じいちゃんのお使いに出かけるうちに、商店を営む日本人一家の子ども「たつき」と仲良くなり、ある日、一緒に市場に出かけることに。ハリルにとってはいつもの場所での日常も、異国人であるたつきとともに経験することで、まるで初めての出来事のように新鮮に感じられ、同じ時間を過ごすうちに、二人の間に少しずつ心のやり取りが生まれていき……。

 

(※)中国で生まれトルコで発達した、伝統的な絵画技法。世界においては「マーブリング」の名で親しまれている。日本の「墨流し」に近い技法で、水の上にインクを落として描く模様を紙に写しとる。

 

といった物語なのですが、読みどころの一つは、「ある国で長年にわたり受け継がれてきた伝統の一つ」である「エブル」を詳しく知ることが、ひいては「一つの国を肌身で感じる」ことに繋がっていくところ。興味深いことにエブルを描くために必要な道具づくりのことまで本書では紹介されているのですが、それらには著者のトルコ留学時の経験が色濃く反映されている模様です。以下、あとがきから抜粋。

 

トルコの絵画の文化に触れるよい機会だと思って、エブルを習いたいとフスン先生にその場で思いきってお願いした。(略)先生は、「まずは、道具づくりからはじめましょう」と告げ、一枚の紙を差し出した。必要な材料のリストだった。(略)しかし、訪ねるのは、観光では決して足を踏み入れない場所ばかり。(略)買い物自体が、異文化をめぐる旅だった。

(中略)

結果的に、ぼくはこの買い物旅行からはじまったエブルのレッスンを通じて、トルコという国、イスラームの文化について、いちばん多くのことを学んだ。

 

トルコで実際エブルを習ったことがあり、しかも最初に道具づくりから始めたその人が書かれているから、伝わるリアルさにも納得です☆

 

ところで、中国で生まれたエブルは一時途絶えかけ、消滅の危機を救ったのは中央アジアの少数民族・ウズベク人だったそうです。その末裔がイスタンブルにも移り住み、製本や装飾に関わる仕事をしていた彼らが手仕事の技術を守りぬき、今では「トルコの伝統絵画」として親しまれる技法にまでなったようです。そんな「エブル」自体に、トルコ人だけではなく多様な民族がそれぞれの特技をもちより、肩を寄せあいながらともに生きていた「オスマン帝国」の文化のあり方がよく現れている、とも著者は言います。(本書のあとがきから要約)

 

一つのものごとを深く知った人が、例えば木を見つめ続けた西岡常一さんや、アラスカの自然を見つめ続けた星野道夫さんが、限定されたある一つの事物について語りながらも、その言葉のなかにすべてに通じるような「真理」を内包していることがあるのに近いような気がするーっ! ……なんてふむふむ思いつつ。まるで遠い海をはるばる渡ってきた手紙のような異国の情緒を感じさせてくれる『海峡のまちのハリル』なのでした。

 

余談ですが、「事実は小説より奇なり」ではないですが「ここは物語として作ったのかな?」と読みながら勝手に決めつけたところも事実であると、あとがきを読んで判明しました。というのも、エブルを描くための筆の「柄」として「ある植物」が使われているのですが、あまりにロマンチックな材料がゆえにフィクションだと思い込んだのですが、素敵なノンフィクションだった……! 本で知ることの、なんと多いことかー!

『海峡のまちのハリル』三輪舎 
末沢寧史/文 小林豊/絵

この記事を書いた人

坂上友紀

-sakaue-yuki-

本は人生のおやつです!! 店主

2010年から11年間、大阪で「本は人生のおやつです!!」という名の本屋をしておりましたが、2022年の春に兵庫県朝来市に移転いたしました! 現在、朝来市山東町で本屋を営んでおります☆ 好きな作家は井伏鱒二と室生犀星。尊敬するひとは、宮本常一と水木しげると青空書房さんです。現在、朝日出版社さんのweb site「あさひてらす」にて、「文士が、好きだーっ!!」を連載中。

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