過体重、学習障害、生殖障害……なぜ子どもたちの健康状態は50年前より悪化しているのか?
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ryomiyagi

2022/01/10

プラ容器、感熱紙レシート、缶詰、難燃剤……いまだ身近にある化学物質の危険性を公衆衛生・環境保健の世界的権威が指摘! そして、いま私たちに何ができるのか? 『沈黙の春』の現代版ともいえる注目の書、レオナルド・トラサンデ『病み、肥え、貧す』から、読みどころをピックアップします!

 

1962年、ニューヨーク市の遊び場を見てみよう

 

4歳から12歳の子どもが数十人、コンクリートの遊び場を走りまわり、鉄のジャングルジムをのぼり、交替でスチールの枠組みのブランコを漕ぎ、厚板でできたシーソーに乗っている。子どものはしゃぐ声があたりに響き、ニューヨーク市の往来の騒音は背後にわずかに聞こえるのみ。船が港に停泊し、工業区域の煙突からは煙がもくもく出ている。午後3時を過ぎ、学校は放課後だ。ほぼどの子の母親もそばのベンチに座り、わが子を都会のオアシスで自由に走りまわらせている。

 

 

私のような小児科医からすると、ほとんどの子が予防接種を受け、百日咳や破傷風、ジフテリア、ポリオの危険がもはやなくなっているとみなせるのはうれしい。おたふく風邪や麻疹も過去のものになっている。そればかりか、1962年の予防接種支援法により、連邦政府は幼くてとくに脆弱な市民を、しばしば命にかかわるが避けられる病気から守る責任を負うようになった。

 

水痘(水疱瘡)のあとが残っていたり、風邪が治りきっていなかったりする子どもが何人かいるが、そうした子も、ほかの点では以前の世代に比べてきわめて健康だ。予防接種の普及とペニシリンなどの抗生物質の発見によって、1950年代後半から1960年代初めに生まれた子どもは、医学研究の大幅な進歩の恩恵を受け、かつては幼児死亡率を高めていたたくさんの感染症から守られていた。大半の子どもは平均的な体重や身長で、見るからに健康そうだ。そして、世界じゅうから何世代も移民を受け入れてきたマンハッタンの一般的な民族・人種の多様性が表れている。

 

この人種のるつぼの遊び場で詳しい調査をおこない、子どもや母親の血液や尿を採取して分析したら、健康についての私の所見がおそらく裏づけられるだろう。さらに検査をして感情と社会性の発達の指標やIQを調べれば、子どもは均一なスコアを示し、集団内に大きく外れた値はほとんどないはずだ。

 

いっぽう現代の遊び場では……

 

では、2019年の同じニューヨークの遊び場を想像してみよう。コンクリートの遊び場は、人工芝と、古タイヤでできた柔らかい地面が継ぎ合わされたものになっている。金属とゴムのブランコや、ジャングルジム、シーソーはなくなっている。その代わりに子どもを迎えるのは、階段と、すべり台と、体育館にあるような器具がごちゃごちゃ並べられたものだ。色は派手――鮮やかな青と黄色、赤、緑、オレンジ――で、カラフルな取り合わせが安全に遊べることを保証している。子どもは追いかけっこをし、1962年と同じ歓声があふれている。街の喧噪は増し、船の汽笛や工場の煙突は消えている。街路や空気はきれいになり、周囲のベンチを見わたすと、母親や父親など、子どもを見守る人はみなスマートフォンを手にしている。

 

この現代の遊び場をもっとよく見ると、ほかにもいくつか大きな違いに気づく。全体として、子どもの背丈も体重も増している。155センチメートルの男児は、12歳にも見えたが、まだ9歳だ。胸や尻の感じから14歳と見てとれる女児が、実は8歳である。大人も違っている。彼らのほぼ半数が過体重、つまりかなり肥満に近い。

 

また、こうした子どもと見守る人をもっとよく調べて、細かく身体や精神の検査をすれば、ほかにも気がかりな点が見つかるだろう。少なくともひとりかふたりは自閉症スペクトラム障害と診断されていて、数人の子どもはかなりの学習障害を示し、男児の13%超と女児の5%超はADHDのはずだ。多くの子どもには食物アレルギーがあり、かつては高齢者や虚弱児しかかかっていなかった疾患――糖尿病、高コレステロール血症、高血圧――の徴候も見られる。彼らの将来を調べたら、男児の多くはやがて精子数が少なくなり、女児の多くは子宮内膜症や不妊など、生殖障害を抱えることになるだろう。要するに、子どもの基本的な生体・生理の状態が1、2世代で変わってしまったのである。
何が起きているのだろう?

 

見えない汚染物質――――身の回りのEDC

 

このあいだの57年に何がそんなに劇的に変わり、それによって子どもの体質や健康状態がひどく悪化したというのか? 何がきっかけで、何が原因で、ほんの一世代前にはきわめてまれだった重い病気が幼いころから発症するようになったのか?

 

民族の構成は違うとしても、ニューヨークに住む人の総数は1962年からあまり変わっていない。それに、ほとんどの点で、この市は良い方向に変わった。市そのものは、一度ならず財政危機をしのぎ、最貧地区の荒廃も経験したが、その後復活して栄え、輝かしい新たな高みに至った。大気汚染は減った。医療へのアクセスは向上した。市の法律は、だれでも求めればシェルター(保護施設)に入れることを保証している。家の価格はかなり上がったが、市全体としては最も脆弱なところをうまく守れるようになっている。

 

だがこれは、ニューヨーク市だけの問題ではない。あらゆるコミュニティーの環境が、いまや私たちの体に入る内分泌攪乱物質(EDC)に包囲されているのだ。数千ではなくても数百の化学物質が環境に持ち込まれて満ちあふれ、何百万もの人の身体や脳を文字どおり変えている――つまり損傷している――という話であり、どれだけ多くの疾患が、大人にはまだ明白な影響がないとしても、子や孫に影響を及ぼすかという話である。そして、私たちが家庭と呼ぶコミュニティー――都市のものであれ、郊外や地方のものであれ――に、子や孫の健康へのひどい脅威が隠れているという話でもある。
このすべては、あくまで先進国の暮らしがもたらした結果なのだろうか? 答えはイエスでもありノーでもある。

 

 

こうした疾患の多くは、座りがちの生活習慣、砂糖たっぷりで極端に口当たりがいい加工食品、運動不足、それに生の果物や野菜を摂らない食生活に原因をたどれた。ヒトゲノムの配列決定により、糖尿病や肥満といった慢性疾患、ADHDや自閉症といった脳機能障害、子宮内膜症や精子数減少、男女の不妊といった生殖障害の原因の一部も突き止められるようになった。しかし、よく調べるほど、全体の図式は複雑に見えてくる。複数の研究から、環境曝露が遺伝子の発現を変え(遺伝コードの配列は変えない)、病気や機能障害をもたらす可能性が明らかになっている。これは、いわゆる生活習慣病をここまで大幅に増やした要因がほかにあり、これまでは隠れていたことを示唆している。

 

世界じゅうの多種多様な研究から今わかっているのは、隠れた要因のなかに、私たちの土壌や農場や食料、化粧品や衛生用品や家具、あるいは、庭、芝生、田畑、遊園地などの野外スペースにしみ出た化学物質への環境曝露があるということだ。原因と結果を結びつける証拠は、このあと記す四大化学物質でとくに強力なものとなっているが、内分泌攪乱物質となる化学物質はほかに1000以上も知られている。しかもこれは少なめに見積もった数だ。多くの化学物質は調べられてもいないので、科学者と医学界の両方の目をかいくぐっている。

 

有害化学物質は「当て逃げ」する

 

健康への影響について、とりわけ強力な証拠がある四大化学物質は、殺虫剤、難燃剤、可塑剤、ビスフェノールで、これらは食品や飲料の缶の内面塗装に使われている。当初、こうした化学物質は、ウイルスや細菌の感染のように、体内に残留しなければ悪さをしないと考えられていた。だが今では、化学物質自体は数日以内に排出されることが多くても、長く体への影響が残ることがわかっている。そしてなにより恐ろしい話がこれだ。このような化学物質との接触の影響は、何年もあとにまで尾を引き、次の世代に受け渡されることさえある。私はこれを、有害な化学物質の「当て逃げ」効果と呼んでいる。そうした物質には、私たちのだれにでも、とりわけ器官がまだ成長の途上にある乳幼児に対し、長期にわたり人生を変えるほど強い影響があることがわかっている。その影響は、次のようなものだ。

 

・IQの低下
・肥満
・2型糖尿病
・先天異常
・不妊
・子宮内膜症
・注意欠陥・多動性障害(ADHD)
・子宮筋腫
・精子数減少
・精巣がん
・心臓病
・自閉症
・乳がん

  
こんなに多様な症状にどうして共通点がありうるのかと思うかもしれない。共通点はある。しかもそれは、米国でまだ規制されておらず、製造され何百もの製品に商業的に使われつづけている数千の化学物質のどれかや混合物と直接関係があるような、内分泌攪乱のマーカー(標識)だ。

 

私たちの家や食べ物や環境に存在する化学物質のすべてはまだ調べられていないが、研究結果は、先述の4種類の化学物質(殺虫剤、難燃剤、可塑剤、ビスフェノール)と、健康のために欠かせない少なくとも三つの機構(脳・神経系、代謝、生殖機能)の疾患とのあいだに、確実とは言わないまでも強いつながりがあることを裏づけている。

 

化学物質が社会にもたらす「損害」を算出

 

私たちの置かれた状況はひどいものだが、良いニュースもある。かつて私たちは、化学物質を自分たちの環境から追い出すことに成功したことがあるのだ。鉛、アスベスト、水銀、ヒ素、タバコを例にとろう。長い年月がかかり、何度も企業の抵抗に遭ったが、科学者や医師はついに、こうした化学物質の有害な影響について政策立案者を納得させた。いまや、わざわざ大きな声を上げる必要はない。ありがたいことに、こうした化学物質のよく知られた害から身を守るための規制が今では用意されているのだ。

 

鉛とアスベストと水銀の研究から得られているとりわけ重要な成果のひとつとして、化学物質の危険性が社会全体にもたらす莫大なコストが明らかになったことが挙げられる。実のところ、環境化学物質が子どもの脳の発達に及ぼす影響は微妙で、親でさえ気づかないかもしれないが、集団全体への影響はとても大きい。たとえば鉛の場合、いくつもの研究から、低レベルの曝露でも恒久的に脳機能が損なわれたりIQが下がったりすることがわかっている。ここで、平均的な米国人のIQスコアがおよそ5ポイント下がったとしよう。平均的なIQが100ぐらいだとすれば(この場合、人口の2.5%が、知的障害として通常定義される70を下回る)、IQスコアが5ポイント下がると、340万人以上が新たに知的障害に相当するようになる。これは正確には57%の増加だ。知的障害をもつ米国人の数が、600万から940万に増えるわけである。

 

 

経済的な面では、複数の研究が一致して、米国で生まれた(知能の点で)平均的な子どもは生涯でおよそ100万ドルを稼ぐと見積もっている。IQスコアが一ポイント下がると、稼ぐ能力は2%、つまり2万ドル落ちる。毎年400万人の子どもが生まれているとして、1年間で生まれる子ども全員のIQが1ポイント下がれば、生涯に稼ぐ能力、ひいては国全体の経済生産性が、800億ドル落ちることになる。この落ち込みは、IQの低下だけでなく、ADHDや肥満、生殖異常、がん、心臓病――まだ規制されておらず、稼ぐ能力に悪影響を及ぼしつづけている何千もの化学物質による、さまざまな疾患――の増加も考慮すると、いっそう大きく、とてつもないものにさえなる。

 

1970年代にガソリンから鉛が次第に取り除かれると、鉛の濃度は1デシリットル(0.1リットル)あたり約12マイクログラムにまで低下し、これに応じて、2000年代に生まれた子どものIQは、1970年代に生まれた子どもに比べて2.2〜4.7ポイント上昇した。いまや子どもがガソリン中の鉛にさらされることはなくなっているので、今日までに米国の年間の経済生産性は1100億〜3190億ドル上昇したと推定されている。そう、3億の米国人がそれぞれ、毎年1000ドルもの還付金を受け取っているようなものなのだ。私たちが正しいことをして、1970年代にガソリンから鉛を取り除いたおかげである。

 

世界に話を広げると、ガソリン中の鉛の段階的除去により、経済が毎年2兆4500億ドル分刺激されつづけている。これは、国内総生産(GDP)の世界総計の4.3%に相当する。見てのとおり、これはIQと稼ぐ能力との対応を意味しているのだ(鉛は今も一部の塗料に使われているので、まだ世界のGDPの1%が失われていると言える)。
鉛汚染の科学研究は、米国でガソリンなどの製品への鉛の使用を規制するよう、公共政策の変化をうながした。それでも、ほかの化学物質、とくにEDCによるコストはまだかかっており、経済機会も失われたままだ。

 

本書(『病み、肥え、貧す』)ではこの先、こうした問題に取り組むことになる。だがありがたいことに、わかりやすく信頼できる情報源があるので、全体像をつかみやすいばかりか、行動を後押しする手だても得られるだろう。私はあなたを怖がらせたいのではない。なるべく希望をもたせ、楽観的にさせ、勇気づけたいと思っているのだ。

 

新たな現実を知って受け入れるのは、えてして困難で不愉快なものだ。それどころか、考えを変えて、知らず知らず自分を危険にさらしている可能性に対して心を開くのは、だれにとっても難しい。それは私にもわかる。有害な化学物質にまつわる事実を認めると、不安や疑念や恐怖の引き金を引くおそれがある。しかし、あなた自身や愛する人を守るためだけでなく、化学の凶行を止めるためにも、あなたができることはたくさんあるのだと心にとどめておいてほしい。

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病み、肥え、貧す

病み、肥え、貧す有害化学物質があなたの体と未来をむしばむ

レオナルド・トラサンデ/中山祥嗣[監修]斉藤隆央[訳]

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