春、生命が芽吹き、新たな「道」を歩み始める季節に読みたい『風姿花伝』

坂上友紀 本は人生のおやつです!! 店主

『風姿花伝』岩波文庫
世阿弥/著 野上豊一郎・西尾実/校訂

 

春夏秋冬それぞれの季節に心に浮かんでくる本があり、桜の季節になると何とはなしページを捲りたくなるのは世阿弥の『風姿花伝』です。
おそらく日本に住まうかなりの人がそのタイトルは知っていて、読んだことがある人もまた相当数だと思われるこの本は、巻末の「校訂者のことば」に曰く、「昭和二年十一月、岩波文庫に収められ、「万人の書」として刊行されて以来、国民必読の古典のひとつ」だそうですが、もとをただせば一子相伝の「秘伝」として、室町時代の猿楽師・観阿弥、世阿弥親子が大成した能の、その流派内でのみ密やかに受け継がれてきた教えでした(※)。

 

(※)室町時代から明治四十二年に故吉田東伍博士により「能楽古典世阿弥十六部集」として学会で発表されるまで、長らく世間一般には秘密とされてきた教え。ちなみに、かの有名な「秘すれば花」という言葉の初出も『風姿花伝』!

 

室町時代に書かれた、しかも能に関する話に特別興味があったわけではなく、どちらかと言えば「聞いたことあるし、読んでみよー!」くらいのミーハーな気持ちで手に取ったのですが、正直こんなに面白いだなんて……!
能のことではありながら、さまざま「道」を極める話にも通じ、さらには「いかに生きるかの指南書」と言ってもよいほどです。

 

例えば本書中、「風姿花傳第一年来稽古條々」の章には「七歳頃から五十過ぎ(当時の晩年)までの能楽師の稽古の有り形」が著されているのですが、この章のさわりをごく簡単に意訳してみます。

 

「七歳ぐらいの子に、良いの悪いのとやいやい言い過ぎると能が嫌になるので、自然とすることをさせているほうが、良さや風情が出てきます。何かをさせるより得意とする藝を見つける方向で!」

 

「十二、三歳ぐらいの子は、何となく能っぽく演じられるようになってきて、年齢特有の刹那美や声の良さが備わっていれば、欠点は隠れて長所がいよいよ花(華)やかに☆ ただ、この時期の花やかさは、『誠の花=散ることのない花=稽古と工夫を極めた所に成立するもの』、ではありません。だから、こういう刹那的に花やぐ時期こそ、態(わざ)を大事に、身の動かし方も発声も舞も、一つ一つ型をきちんと守って大事に稽古しましょー!」

 

……といった感じで年齢ごとに七つに分け、その年頃を迎えた能楽師がどういう稽古をすべきかが説かれるのですが、仮にこれを「読書道を極めるための教え」に変換してみると、

 

「七歳ぐらいの子に、これが良いの悪いのとやいやい言い過ぎると本が嫌いになってしまうので、自然と手にするものを読ませていた方が、本を好きになり大切に扱う気持ちが出てきます。無理強いするより、好きなジャンルを見つける方向で!」

 

「十二、三歳ぐらいの子は本を読む姿も板についてきます。割と難しめの本でも読めないことはなく、読むスピードも大人より速いことも。しかし、難しい本を速く読んだからといって読書道を極めたことにはなりません。そういう時期こそきちんと一言一句、意味を汲み取り声に出しながら読みましょう!」

 

……みたいな? 
勝手な変換をしてしまいましたが、「読書道」じゃなくたって通じます。極めたい対象はおのおの違えども、どう極めていくかの心構えは人皆さほど変わらないからで、ゆえに『風姿花伝』はこれだけ万人に読み継がれ得るのではないでしょうか。
しかしながらに険しい道。何となれば、ちょっとでもサボったらすぐに「極み」から脱落するやないかーい!

 

好きこそものの上手なれに始まり、年齢ごとの稽古を経て、「物學(ものまね)」一つにも要点を押さえて演じるべし! 持って生まれた性質は如何ともしがたくとも、性質が良いからといって稽古しなければ成長はなく、良さを伸ばし続ける努力を最大限にし続けてようやく、能に花やかさを持ち続けることが出来るのです。……サボれない!

 

初読時、すでに私が通り過ぎていた年の人への教えを目にし、あの頃こういう風に過ごしておけば……!と若干しょんぼりもしましたが、人生のどこを起点としても、これからを生きていく上で大事にしたいことに多く気づかされたので、やはりこの教えを知らないままでいるよりも、知れてよかったです。それに、もちろんですがこの教えが例外なく正解というわけでもない。

 

ところで『風姿花伝』は室町時代の著作だけに、古めかしい文体が読みづらくはあるのですが、なんせ校註が細かくついているのでわかりやすく、

 

1.章ごと、あるいは段落ごとに、わからなくとも一回通しで読んでみる。
2.校註を見ながら読んでみる。
3.意味がわかったところでもう一回読む。
4.最後に声を出して読む!

 

……と、一章or一段落につき四回くらいずつ繰り返してみると、段々にわかってくることもあれば、最初は流した言葉が二度目には妙に心に引っかかることも。また、現在と当時とで使い方や印象が異なる言葉があるのも面白いです。

 

時に、『風姿花伝』の「花」が意味するところは、現代ではどちらかというと「華」の字で表されるところのもの。少し重複しての説明になりますが、本書には能の持ちうる「花(華)やかさ(=観阿弥・世阿弥が思うところの「能」を極めた人がある境地。または、その流派の能楽師たちが目指すべきところ)」をどう極め、極め続けるかが綴られています。

 

「草花」についてでも、いわんや春の花について書いてある訳でもない。それでも春が来れば紐解きたくなるのは、本書中「花傳第七別紙口傳」の中にも、「そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季(折節)に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、玩ぶなり」、「申楽も、人の心に珍しきと知る所、即ち面白き心なり」とあるように、「(能を演じる時の、もしくは大枠で言えば、生きるにあたって人の持つ)花やかさ」は結局のところ草花由来のものだと言え、だからこそ一斉に生命が芽吹く春に読み返したくなるのかもしれません。また、この「花」は自然界の理と同じく必ず「散る」(散り方や、散った後の振る舞いについても記されている)ために、桜の姿からさらに強く喚起されるような気がします。

 

最後に、ここで言う「花」が顕すものがよくわかる短歌と、そもそもにおいて「風姿花伝」が意味するところとを、本書から抜粋しておわります。

 

色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 小野小町
(「第三問答條々」より)

 

(略)道を嗜み、藝を重んずる所、私なくば、などかその徳を得ざらん。殊さら、この藝、その風を継ぐといへども、自力より出づる振舞あれば、語にも及び難し。その風を得て、心より心に傳はる花なれば、風姿花傳と名附く。
(「第五奥儀讃歎云」より)

 

『風姿花伝』岩波文庫
世阿弥/著 野上豊一郎・西尾実/校訂

この記事を書いた人

坂上友紀

-sakaue-yuki-

本は人生のおやつです!! 店主

2010年から11年間、大阪で「本は人生のおやつです!!」という名の本屋をしておりましたが、2022年の春に兵庫県朝来市に移転いたしました! 現在、朝来市山東町で本屋を営んでおります☆ 好きな作家は井伏鱒二と室生犀星。尊敬するひとは、宮本常一と水木しげると青空書房さんです。現在、朝日出版社さんのweb site「あさひてらす」にて、「文士が、好きだーっ!!」を連載中。

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