落合博満――勝負とプロ意識に徹した指揮官の記録|鈴木忠平『嫌われた監督』

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『嫌われた監督』文藝春秋
鈴木忠平/著

 

プロ野球が開幕して1か月。春から初夏へ向かうさわやかな空気の中、コアな野球ファンならずとも、球場に足を運んでみようか、と思える季節になってきた。ペナントレースが進行しているが、シーズン前にメディアに注目された割になかなか勝てない球団が出るなど、序盤から監督の手腕が問われる厳しい世界でもある。

 

本書は中日ドラゴンズの落合博満監督の就任から退任までの姿を追った。強打者として鳴らした落合氏は通常イメージする監督の範疇には収まらない異形の存在であった。その落合氏は、就任早々から度肝を抜く采配でファンや野球関係者を驚かせた。

 

2月のキャンプ初日から紅白戦を敢行したり、チームを支えてきたベテランのスター選手を相手に若手をレギュラー争いに挑ませたり、完全試合目前の投手を交代させたりなど、常識にとらわれない判断の数々が紹介される。

 

そこにあるのは、勝てるチームを徹底して追求した姿である。徹底した観察で何をなすべきかを考えていく。ある日、記者がいた場所に落合氏がやってきて、定点観測の必要性を説く。記者はその意味が最初はわからない。だが、取材を重ねるうちにおぼろげながら理解するようになる。それまでならアウトになっていた打球がヒットになる守備の綻びの兆しから、ベテラン選手の力の衰えを見抜くなど、落合氏の眼力は鋭い。

 

落合氏の特徴は感情や情実を交えないドライな関係だった。選手と食事は共にしない。ゲームには感情を捨て去り、話す相手は限定する。情報管理を徹底し、保秘を守れない者はコーチや裏方を含めてチームからいなくなる。こうした厳しい姿勢を貫いた。

 

当然ながらチームには当初、困惑と抵抗が生じたが、次第に選手も理解し、チーム成績も伸びて、落合氏は勝つことで評価される監督となる。だが、勝負に徹するあまり、「落合の野球はつまらない」という評価も出て、それが後の人事につながってゆく。だが、あくまで冷徹に勝負にこだわった姿が本書に描かれる。

 

その一方で、見込んだ選手には、ある時は直接的に、またある時には禅問答風に助言して、潜在力を伸ばす配慮も見せる。著者は「おそらく落合は常識を疑うことによって、ひとつひとつ理を手に入れてきた」と記す。

 

様々な反発があったものの、本書を読むと落合氏が中日ドラゴンズというチームに遺した財産が確実にあったことがわかる。それは本書を通して読むとじわじわとわかってくる。選手や記者が落合流をじわじわ理解していったのと同様である。プロ野球に限らず、世の中には様々なタイプの指導者がいるが、落合氏の手法は他の人が真似できるものではないだろう。だが現実的なプロフェッショナリズムの固まりであり、その姿からは勝負に徹する指揮官の厳しさが伝わってくる。

 

さらに、落合氏は著者もジャーナリストとして鍛えたことがわかる。駆け出し記者で取材もおぼつかなかった著者が、落合氏の信頼を得てその胸の内を深く聞けるまでに成長した様子が一連の文章から読み取れる。著者もまた落合氏が見込んだ一人であったのかもしれない。型破りな監督との長い対話の中で、優れたスポーツジャーナリストに成長した著者自身の記録でもある。

 


『嫌われた監督』文藝春秋
鈴木忠平/著 

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ビジネス・経済分野を中心にジャーナリスト活動を続けるかたわら、ライフワークとして書評執筆に取り組んでいる。英国の駐在経験で人生と視野が大きく広がった。政治・経済・国際分野のほか、メディア、音楽などにも関心があり、英書翻訳も手がける。

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