2022/08/29
三砂慶明 「読書室」主宰
『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999〜2014』忘羊社
矢部明洋/著 高倉美恵/イラスト
本書を書誌情報からまとめると、ある一人の新聞記者が脳梗塞で倒れるまでの平成11年から平成26年の間に新聞で連載した映画評を一冊にまとめたシネマガイドですが、読んだ後の感想は、まったく違っていました。
著者の矢部明洋氏は毎日新聞の元記者で、毎日新聞福岡総局編『平成公費天国』では著者の一人に名を連ね、直木賞作家・葉室麟の『日本人の肖像』の聞き手をつとめたりとその仕事は多岐にわたります。
本書は著者の新聞記者としての仕事のうちの一つで、地道に書き続けた新作映画の映画評から選び抜いた150本が、「冗舌の芸」や「愛」、「名匠」、「快演、怪演」など独自の切り口から編集し直されています。
紹介する映画のジャンルは網羅的で、ハリウッド映画、アニメ、任侠、ピンク映画、単館映画、アジア映画にドキュメンタリー映画と幅広く、作品の概要から見どころがコンパクトにまとまっています。
こんな映画があったのか、こんな映画なら見てみたい、と思える作品が精選されているので、シネマガイドとしてももちろん一級品ですが、私が受けた衝撃はそんな生やさしいものではありませんでした。
私にとってこの本は、映画なくして生きられなかった人間が、映画を通して書いた、世界の見方を記した圧倒的な記録です。この本は、著者にしか書けない本であり、著者がどうしても書かなければならない本でした。
短いコラムの中から滲み出す、人間とは何か、という真摯な問い。
そして、私たちが生きる現代という時代が、どんな時代なのかが、紹介される映画を通して立ち上がってきます。
たった数十行のコラムの中に伝えなければならないことを伝えつつも、著者がその映画をどのように見て、どのように感じ、なぜ私たちがその映画を知らなければならないのかが、新聞記者としての技術を尽くして記されています。
箸休めに収録されている豆記事も秀逸で、黒澤明の作品を支えつつも、映画のエンドロールにクレジットすらされない「長田孫作」をたずねたりと、全ページに著者の映画愛が充溢しています。
圧巻は、本書のあとがきです。
装画とイラストを手がけた、著者の妻であり、名著『書店員タカクラの、本と本屋の日々。…ときどき育児』の著者・高倉美恵氏の記した解説とともにぜひ読んでください。
ここに記された一文字一文字がどのようにして描かれたのかを知ったとき、私は言葉を失いました。
人間は一人では生きられないし、本を一人では作ることができない。
当たり前のことかもしれませんが、私はそんなこともわかっていなかったとこの本を読んで思い知らされました。
読む前と読んだ後では世界観が一変してしまう、想像を絶した珠玉のシネマガイド。
『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999〜2014』忘羊社
矢部明洋/著 高倉美恵/イラスト