過激なポルノグラフィで現代人のアイデンティティに迫る|平野啓一郎『顔のない裸体たち』

馬場紀衣 文筆家・ライター

『顔のない裸体たち』
平野啓一郎/著

 

 

この本には二人の〈吉田希美子〉が存在する。一人は「顔にモザイクをかけられた淫らな裸体」として。もう一人は「服で裸体を隠した女」として。舞台となるのは、数多の人格が漂流するネット空間。ネット上を歩きまわっている彼女の顔にはモザイクがけれられており、ある事件が起こるまで彼女もその中のひとりに過ぎなかった。

 

言い添えれば、〈吉田希美子〉なる人物は地方の中学教師で、事件の原因となった相手とは出会い系サイトで知り合った。その相手にもまた、二人の自分が存在する。現実世界の彼は、陰気な独身公務員だ。

 

物語の前半では、子どもたちを相手に平凡な日常を送る〈吉田希美子〉が、その裏側で〈ミッキー〉と名乗り、出会い系サイトに登録するまでの歴史が明かされる。生理による苦痛、大きな胸へのコンプレックス、彼氏との初体験……。ここで描かれているのは、おおよそすべての女性が経験したことがあるであろう大人になるためのイニシエーションである。だから読者は彼女を自分のことのように読むこともできるかもしれない。

 

〈吉田希美子〉がもう一人の自分〈ミッキー〉を通して、自分を肯定的に捉えられるようになっていく過程は興味深い。出会い系サイトで出会った男の執拗な愛撫に身を委ねながら、彼女は自分の体を再発見する。そして、これまでとは違う自信に満ちた女が現れるのだ。

 

「彼女は、かつては自分のコンプレックスだった大きな胸を、今では秘かに自慢に思っていた。男と体の関係を持ってからというもの、その単純な二つの脂肪の袋が、どれほど彼らを魅了するかを、彼女は発見した。」

 

と同時に、彼女は他のあらゆる属性が捨て去られた後に残る自分を見つめながら、その存在の在り様に戸惑いもする。ネットの世界に転げ落ちた〈ミッキー〉は、「自分のかけら」のようでもあるし、一方で「自分とはまるで無関係」な「自分に似た何か」にも感じられる。

 

本名とは関係のない名前をと考えながら「キミコ」という音から〈ミッキー〉と名付けたように、結局のところ二人の自分は切り離せない距離にいるのかもしれない。やがて彼女は、顔をモザイクで隠された自分の姿をネットで見つけてしまう。〈ミッキー〉としての自分を見つめる〈吉田希美子〉の眼差しは冷ややかだ。

 

「〈ミッキー〉は最早、彼女の内部で、やがて曖昧な記憶となって失われてゆく存在ではなかった。それは、彼女の外側に具体的な物の姿を採って現れ、独立していた。これまで同じ一つの時間の流れを、交互に分け合っていた両者は、今、時間の中で併存している。たとえ、彼女の存在が消滅しても、〈ミッキー〉はこうして、物として存在し続けるのである。」

 

過激な性描写が多いので好みは別れそうだが、男女の特異な性意識を通して語られるのは、自身の存在承認を求める、ごく当たり前の人間心理である。生身の肉体とデジタル、本当の自分と偽りの自分。今となっては誰もが抱えているジレンマが、〈吉田希美子〉という架空の女性によって解体されていく。

 

『顔のない裸体たち』
平野啓一郎/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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