「会話」のイメージを一変させ、豊饒な世界を現前させる一冊

三砂慶明 「読書室」主宰

『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』
三木那由他/著

 

私は本書を読んで、「会話」のイメージが文字通り一変してしまった。
それはたとえば、黒だと思っていたものが実は白だったというような単純なことではなくて、ルーペでのぞいてみたら黒だと思っていたものが、さまざまな色にあふれていたという驚きに近い。

 

本書が問うのは、とてもシンプルだ。
すなわち、会話とは何か? である。
まず、著者は「会話」という行為は、たとえば「歩行」などと同じように自明なのだろうか、と問う。二人が一緒に歩くのと同じ方向に歩くのは、側から見れば同じように見えるが、しかしその内実が違っているように、「会話」そのものを論理的に因数分解してしまう。

 

ふつう私たちが、会話とは何か、と誰かに質問されたときに思い浮かぶイメージは、おそらく辞書が定義しているような、複数の人が話し合っている風景に違いない。
しかしながら、著者は向き合っている「人」を、たとえば「スピーカー」や「人型ロボット」に置き換えても、果たして会話という概念が成り立つのだろうかと問い直していく。
すると自明だった「会話」という行為の違った風景が立ち上がってくる。
かいつまんでいえば、私たちが会話という行為で行っているのは、話し合うことではなく、言葉を発することで互いに影響を与えることなのだというのだ。

 

ではその影響とは何なのか。
それを著者は、「コミュニケーションとマニピュレーション」だと説く。
著者によれば、「コミュニケーションは発言を通じて話し手と聞き手のあいだで約束事を構築していくような営みで、マニピュレーションは発言を通じて話し手が聞き手の心理や行動を操ろうとする営みです。」

 

一見すると、当たり前に見える会話が、いかに重層的な構造を持っていて、たくらみに満ち満ちているかを、スリリングに解き明かしていく。ここまででも十分、面白く、素晴らしい本だが、圧巻はその手法なのだ。
なんと本書は、主に漫画の会話を読み解くことで、「会話」の哲学という新しい視点を提示しているのだ。哲学者が、漫画を深く読み込むことで、新しい哲学が立ち上がっていく展開には心が震えた。
もちろん、取り上げられている作品は漫画だけではない。小説や映画、戯曲にゲームと幅広い。しかも、ここで紹介されている作品を著者とともに読み進めていくと、もう一つの風景が立ち上がってくる。
それは本から引き出された著者そのものの姿だ。

 

言ってみれば「会話」を哲学するために、それぞれの作品が取り上げられ、分析されているわけではなく、むしろ著者の悩みの傍で、著者自身を支え続けた漫画を深く掘り下げていくことで、新しい哲学が生起しているのだ。

 

私は著者と同世代の人間なので、本書で取り上げられている作品を繰り返し読み続けてきた。『うる星やつら』、『金田一37歳の事件簿』、『クイーン舶来雑貨店のおやつ』、『HER』、『背すじをピン!と〜鹿高競技ダンス部へようこそ〜』、『しまなみ誰そ彼』、『めぞん一刻』、『魔神探偵脳噛ネウロ』、『違国日記』、『高橋留美子劇場』、『ONE PIECE』『パタリロ!選集』、『鋼の錬金術師』の13作品を、私も読んだ。

 

だからこそ、これらの作品がつながり、語られることで、こんな豊穣たる世界が目の前に立ち上がってくることがいまなお信じられない。

 

『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』
三木那由他/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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