お金をちゃんと使えるか?
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

ryomiyagi

2020/02/27

 

1988年は特別な年だった。

 

前年春に発売された「大戦略II」(戦車戦が主体の作戦級シミュレーションゲームである)は未だに自分史上最高のゲームだし、やはり前年12月8日(真珠湾奇襲の日だ)リリースの「太平洋の嵐」はくらくらするような○ゲーだった。

 

当時の日本は、まだお正月三が日は神聖視されていて、しっかり休む店舗が多かったと思う。でも、おもちゃ屋さんは別だ。子どものお年玉を当て込んでいる。

 

秋葉原のソフトショップ(アプリケーションソフトのことを、まだアプリではなくソフトと呼んでいた)も当然、元旦から開いている。で、ぼくは「大戦略II」と「太平洋の嵐」の2本を買って元日の朝にもらったお年玉を半日もたたずに使い果たすことになる。

 

ぼくはお金の使い方が下手だ。

 

ぼくはほとんどゲームと本にしかお金を使わないが、気に入ったゲーム、もしくは本があると、使い果たすまで使ってしまう。

 

それでいろいろなことに不自由を来すことになるのだけれど、三食袋めんだけとか、三食食パンだけとか、三食ゼリー飲料だけでも全然わびしくならないので、あまり深刻に考えたことがない。

 

放蕩、というのも違うと思う。

 

気に入ったものがなければ、食指は動かない。お金に余裕があるときならば、ちょっと美味しいものでも食べればいいのだろうけれど、もったいないから三食永谷園のお茶漬けですます。基本的にケチなのだ。

 

自分でこうなのだから、手帳持ちであるわが子にお金を渡すのがこわい。どんな使い方をするのか想像もつかないからだ。症状の特性を考えると、好きなものを好きなだけ買い込んでしまう気がする。

 

お年玉でも渡してしまって、セブ○イレブンの海苔巻きせんべい(ロー○ンや○ァミマのではダメなのだ。ブランドにこだわりがある)をあるだけ買ってこられたら、家の中がどんなことになってしまうのか。

 

子の部屋にはグロス単位の海苔巻きせんべいが、父の部屋にはグロス単位の殺戮や萌えを含んだゲーム群が。どう考えても通報事案である。管理人さんが来たときに、どう誤魔化せばいいというのか。

 

そう思ってちまちまとお小遣いを渡すときを先送りにしていたのだが、ついにお年玉の存在に気づくときがきた。

 

「サザエさんで、カツオがもらってるんだけど」
「あれは昭和中期の話だから、旧い因習なんじゃないかな」
「クラスの子でも、もらっている子がいる」
「旧弊を大事にするおうちなんだねえ」

 

そんな会話ではごまかせないほどには、ぼくの子も発達が進んでいたのである。しぶしぶといくばくかをポチ袋に入れて渡すことになった。

 

野放図にすると大変なことになるであろうとの危惧を手放していなかったので、お金を使うときには一緒に使う約束をした。(まあ、1人では外出できないので、使う場面もないが)。

 

しかし、最初に貯金箱を買っただけで、いっこうに使う気配がない。

 

次のお年玉も、その次のお年玉も、うずたかく積み上がっていくのみである(見栄を張った。積み上がるほどの額を渡していない)。そして、たまに満足そうに貯金箱(シースルーだ)を眺めている。

 

ははぁ、これはアレだ。貯蓄そのものがアトラクションとして目的化してしまうやつだ。ここはちょっと訓示をしておかないと。

 

「お金っていうのは、何かをなす手段だから、使わないと意味がないのでは? 好きなものを買ったら」
「貯金を使ってまで欲しいものはない」
「本が好きでしょ」
「図書館があるのに?」
「著者的には買って欲しいんだけど」
「老後にお金がかかるらしいから、あればあっただけいいと思う」

 

説得は失敗した。っていうか、最後のやつはきっとサザエさん(姉妹社版)で得た知識だ。

 

というわけで、今のところ子どもがどんなお金の使い方をするのか、上手なのか下手なのかを知る機会はない。

 

貯金はよさそうに見えるかもしれないけれど、貯金という行為と預金通帳の残高に拘りを示して、衣食住に困る生活をしている人というのもいる。現時点ではちゃんと「使ったり」「運用したり」しているわけではない。

 

ただ、発達障害の子は計画を立てるのが苦手だけれども、みんながみんな無節操にお金を使ってしまうわけではないし、先々お金とはどうしても付き合っていく必要があるので、ちょっとずつお金に慣れさせていくのは大事かと思う。

 

そのとき、キャッシュレスはちょっと鬼門かもしれない。ぼくは商売柄、新しいキャッシュレスのしくみはほぼ試す。小銭を計算したりハンドリングしたりしなくていい手軽さは、発達障害の子に向いているとも思う。でも、「いくら使ったか」が可視化されにくいので、その点に注意が必要だ。お札と硬貨のほうが、使ったお金の量がイメージしやすいかもしれない。

 

全然関係ないけれども、冒頭で紹介した「太平洋の嵐」はいいゲームである。名前から想像できる通り、太平洋戦争をモチーフにした作品なのだが、ゲームの目的が「いかに敗北を引き延ばすか」なのだ。子どもごころに、「なんて後ろ向きなゲームなのだ」と驚嘆したことを今でも鮮明に覚えている。

 

いや、もちろんアメリカに勝つことも「不可能ではない」のだが、戦前において大日本帝国の総力戦研究所が正確に予想したとおり、果てしなく無理ゲーである。心がダース単位で折れていくくらいの難易度がある。

 

それならば、いっそ短期決戦で連合艦隊による長駆殴り込みをかけ、せめて一花咲かせるかと考えても、油がない。

 

そう、少年はこのゲームで、戦艦などというものがいかに油を喰うものなのかを実感することになるのである。そのためには、資源地帯から気の遠くなるような頻度で原油を運んでこなければならない。史実で、帝国海軍が大戦艦を持ちながらもあまり動かさず、軽巡、駆逐艦といった小艦艇ばかりを投入していた意味がやっとわかった。

 

そして、血の一滴ほどに大事なその油槽船は、米潜のシーレーン攻撃でなすすべもなく沈んでいくのである。駆逐艦による掩護をつけようと思えばそのぶん燃料を喰うし、護衛駆逐艦さえ雷撃で沈む。ロジスティックの構築と維持がどれほど大事か脳裏に刻まれる瞬間だ。郵便屋さんや宅配便屋さんをリスペクトする心性はこのとき育まれたといってよい。

 

ゲームはゲームだし、いまのように教育に使うシリアスゲームという考え方もなかった頃の話だけれども、節約とお金の使いどころの大事さを骨髄に叩き込まれるような経験だった。もはやあれは娯楽ではない。

 

したがって、爽快感をえたり、ストレスを解消するといった意味では、まごうことなき○ゲーなのだが、発達障害の子に長期的なビジョンと節約を理解してもらうのが厳しいなと感じたときに、あのゲームはいいかもしれない。

 

発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。

 

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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