「道徳の皮をかぶった科学」が必要になる時代へ

坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長

『射精道』光文社
今井伸/著

 

写真/Unsplash(Womanizer Toys撮影)

 

私は長年、脳性まひや神経難病などによる肢体不自由が原因で、自力での射精行為が困難な男性重度身体障害者の射精を介助するNPOを運営してきた。その過程で、男性にとっての射精は、単なる生理現象でも、快楽のための行為ではなく、社会的な自立と密接に結びついた行為なのでは、という思いを強く抱くようになった。

 

射精介助を依頼してくる障害者の方の中には、旅行や留学、スポーツや地域活動など、活発に社会参加をしている人が少なくなかった。性的な自立度は、社会的な自立度に比例する。だとすれば、性的支援=社会的自立のための支援なのではないだろうか。エロや快楽といった表層的なものではなく、人として生きるための「道」が、射精の奥には隠されているのではないだろうか。

 

そう思っている最中、『射精道』という新書が刊行されたことを知り、早速手にとってみた。

 

泌尿器科医である著者は、武士道になぞらえた「射精道」を提唱し、「陰茎で性行為を行うものは全員『武士であれ』」と喝破する。

 

「義」=人間としての正しい道を持って自分の心と身体、そして相手の心と身体を尊重し、「勇」=勇気を出して潔く行動(告白・恋愛)し、「仁」=相手を思いやる心を持って性的関係を結び、「礼」=愛情を言葉と行動で正しく示す、というわけだ。

 

性教育の世界では、「人権・科学・自立・共生」といった、どちらかといえばリベラル寄りの言葉が掲げられてきた。その中で、「道徳」という保守寄りの言葉が出てくることは少なかった。むしろ、旧態依然とした家父長制に基づく性道徳こそが、人権を無視した非科学的なものであり、若い世代の自立や共生を阻害する代物で、性教育の普及を妨げる天敵であると考えられてきた。

 

しかし、リベラルの言葉だけで性の問題を語ることは、実は難しい。ツイッターで論争になるジェンダーやセクシュアリティ絡みの話題は、実はその多くが、法律ではなく道徳をめぐる争い=ルールではなくマナーをめぐる争いである。道徳抜きに性の問題を語ることは、今も昔も、現実的には不可能に近いのだ。

 

公の場で性の問題を語り、人々の性意識や性行動をプラスの方向に変えていくためには、何らかの形で道徳の領域にアプローチすることは避けられない。

 

冒頭から武士道を持ち出す著者の姿勢は、一見すると保守的で、時代錯誤の提案にも思えるが、本書で記されている「射精道」自体は、極めて科学的かつ真っ当な内容である。性機能と生殖医療の専門医としての立場から、思春期から中高年まで、読者の年齢に応じた的確なアドバイスと情報提供が展開されている。

 

「科学の皮をかぶった道徳」は警戒する必要があるが、「道徳の皮をかぶった科学」に対しては、今後その重要性が増していくのではなだろうか。

 

人間は、法律だけでも、論理だけでも動かない。性の世界における新しい道徳をデザインしていくための試みの一つとして、「射精道」は注目に値するだろう。

 

『射精道』光文社
今井伸/著

この記事を書いた人

坂爪真吾

-sakatsume-shingo-

NPO法人風テラス理事長

1981年新潟市生まれ。NPO法人風テラス理事長。東京大学文学部卒。 新しい「性の公共」をつくるという理念の下、重度身体障がい者に対する射精介助サービス、風俗店で働く女性のための無料生活・法律相談事業「風テラス」など、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組んでいる。2014年社会貢献者表彰。 著書に『はじめての不倫学』『誰も教えてくれない 大人の性の作法』(以上、光文社新書)、『セックスと障害者』(イースト新書)、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)、『孤独とセックス』(扶桑社新書)など多数。

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