「本がすき」なすべての人へ、贈り物のような一冊

三砂慶明 「読書室」主宰

『読書からはじまる』ちくま文庫
長田弘/著

 

始まったら終わる。
本を開いたときが始まりなら、頁を閉じたときが終わりです。
「本がすき。」が終わるという連絡をいただいたときから、ずっと考えていたのは、最後に紹介する本のことでした。最後は読書の本を紹介します。

 

『読書からはじまる』は、詩人の長田弘が、人間にとって読書とは何かをその出発点から考えた本です。この本が革新的なのは、読者の予想に反して、「本は読まれないことによって価値がある」と説くことです。驚くべきことに、本を読まない側に軸足をおいて、そこから人間にとって本を読むこととはどういうことなのかを深く掘り下げていきます。

 

本について語られるとき、その多くは当たり前のように本を読む側から、「何を読むか」を主題にします。しかしながら、著者は、何を読んだらいいのかという質問はよくない質問であり、よくない質問にはよい答えはないとばっさりと切り捨てた上で、読書とは何かを考える旅をはじめます。

 

「読書というのは書を読むこと、本を読むことです。読書に必要なのは、けれども本当は本ではありません。読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です。」(40頁)

 

まず、読書を本を読むことだと定義した上で、その本質を、何を読むかにではなく、本を読むための時間と場所をつくることにあると説きます。その上で、「その椅子でその本をぜんぶ読める」ような椅子を見つけられるかどうかで、人生の時間の景色が違ってくるのだというのです。

 

読書を裏返してみれば、実利にはつながらず、本との出会いも効率的とはいえません。時間を盛大に投資しなければ本を読み終わることすら困難です。情報に溢れ、スピードを重視し、効率よく利潤をあげることを最大の目的とする資本主義社会において、本を読む場所や本を読む時間は、次第に小さくなってきました。
それでも、私たちは本を読むことをやめません。
電車の中や学校、図書館、公園のベンチや喫茶店で、思い思いに本を読みます。
何もしていないときに読むのが本なのです。

 

「人は読書する生き物です。人をして人たらしめてきたのは、そう言い切ってかまわなければ、つねに読書でした。
 読まないでいることができない。それは人の本質的な在りようであり、それゆえ人のこの世の在りようを確かにしてきたのは、いつのときも言葉です」(215頁)

 

私は本が好きです。
だから、はじめて「本がすき。」に本の紹介を頼まれたときに、まるで長田弘が教えてくれたような、ちょうどぴったりの自分だけの椅子を与えてもらえた気持ちになりました。

 

すべては読書からはじまると説き、読書は人生への贈り物だと語りかけてくれる本書は、読書への福音であり、読書の未来そのものです。
短い時間ではありましたが、私なりに私が出会ってきた、とっておきの本の紹介ができたことを心から感謝します。

 

それではまたどこかで。

 

『読書からはじまる』ちくま文庫
長田弘/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を