2023/02/10
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『ネット右翼になった父』講談社
鈴木大介/著
『ネット右翼になった父』というタイトルから連想されるのは、定年後、保守系の雑誌やYouTubeの動画の影響によって嫌韓や嫌中、外国人差別や女性蔑視などの極端な保守思想にハマり、聞くに堪えないヘイトスラングを口にするようになった高齢男性の姿だ。
定年後に家庭や地域で居場所を失い、一人でYouTubeの動画を見る時間が長くなった高齢男性が極端な保守思想に毒されてしまい、家族や息子との間に分断が生じてしまう、というイメージは、想起しやすい。本書もそうした「右傾化する高齢男性」とその元凶である保守系のメディアや動画、それを支持する層が生み出される社会的な背景を批判的に分析する一冊なのだろうと思って、手に取った。前半はまさにその通りの内容であったが、後半からは予想を裏切る展開になり、驚いた。
著者とその家族による、身を切るような検証作業の結果、著者の父はネット右翼でも何でもない、ということが明らかになった。保守系の雑誌や動画についても、単に「触れていた」だけで、「染まっていた」わけではなかった。
長年社会的弱者に寄り添った取材をしている著者は、女性や外国人などに対する差別的な発言を繰り返すネット右翼に対して、アレルギーを超えたアナフィラキシーを持っていた。その結果、父の発した何気ない言葉や、たまたま口にしたネットのスラングが「絶対に許せない」ものとして響いてしまい、距離を取ることになってしまった、というわけだ。
「ネット右翼になった父」が、実は著者自身の固定観念によって「ネット右翼にさせられた父」であったことが徐々に明らかになっていく過程に、読者は目を開かれるだろう。
SNS上で行われている議論の大半は、「価値観の定食メニュー化」=価値観や思想がワンパターン化している者同士の叩き合いであり、議論ではなく、レッテルの貼り合いにすぎない。タイムラインに流れる言葉は、お互いの対話を深めるための言葉ではなく、「意見の異なる他者に対して、都合よくレッテルを貼るために役立つ言葉」である。
現実世界の出来事や人間関係を、そうしたSNSの言葉で審判・評価してしまうようになると、問題は深刻化する。SNS上で流通している言葉(スラング)やハッシュタグは、現実世界では誰も知らない・使っていないものがほとんどである。しかし、タイムラインのエコーチェンバーの中では、あたかもすべての人がその言葉を知っている・使っているように思えてくる。
現実の生身の人間は、著者の父がそうであったように、思想もブレブレであり、価値観も経年変化する。家庭、地域、職場、友人たちとの交流など、場面に応じて異なる顔を持っている。多面体である人間を、SNSの言葉を用いて一面的に捉えてジャッジすることは、家庭という領域においては、悲劇しか生み出さない。本書と同じような背景で、「パヨクになった(させられた)父」「フェミニストになった(させられた)母」が各地で増加していると考えると、暗澹たる気分になる。
自分自身がSNSの言葉に毒されていた、ということは、なかなか自覚できないし、できたとしても公言できない。その点で、著者の自省と勇気は尊敬に値する。本書で述べられているように、SNSの毒は、決して解毒できない類のものではない。「ネット右翼の父」にまつわる分断=正確に言えば、「ネット右翼にさせられた父」と「父をネット右翼とみなした息子」の間に生じた分断は、解消可能な分断である。誰もがSNSの毒に染まるリスクに晒されている今、本書のような「解毒剤」こそ、多くの人に読まれてほしい。
『ネット右翼になった父』講談社
鈴木大介/著