どういう人がネットを炎上させるのか?【第5回】岡嶋裕史
岡嶋裕史『インターネットの腐海は浄化できるのか?』

かつてインターネットがユートピアのように語られた時代があった。そこは誰もが公平に扱われ、対等な立場で建設的な議論ができる場のはずだった。しかし現在、そんな戯言を信じる者はいない。ネットは日々至る所で炎上し、人を騙そうという輩が跋扈し、嘘の情報であふれている。黎明期から知る人間は誰もが思うはずだ、「こんなはずではなかった……」。ネットはいつから汚染された掃き溜めのような場所になってしまったのか? それとも、そもそも人間が作り、人間が関わる以上、こうなることは約束されていたのか? 黎明期からネットの世界にどっぷりハマってきた、情報セキュリティの専門家である中央大学国際情報学部開設準備室副室長の岡嶋裕史氏が、ネットの現在と未来を多角的に分析・解説する。

 

 

「ネット世論」は必ず偏る――汚染されるインターネット

現代のインターネットにおいて、ハブの存在はとても大きな要素である。

 

たとえば、いわゆるネット炎上も、ハブが介在することで起こりやすくなる。

 

SNSとは小さな、本当に小さな極小のトライブ(同族)を作る技術である。洗練された検索技術によって、自分と同質の利用者を抽出して閉鎖コミュニティをつくり、居心地の良い空間を生成する。

 

気の合う友だちや、居心地の良い空間は多くの場合、同質の人間によって構成される。ただ、リアルな社会では同質の人間はそうそう見つかるものではない。たとえば高校の教室の中で自分と同じ趣味の人間を見つけることは、少なくとも私には、無理だった。

 

二次元女子とF1と将棋とドガとショスタコーヴィチが好きな人はそうそういない。そこで、仕方がないから、少なくともF1が好きな人と友だちのふりをしていこう、くらいに「異分子の混じった人間関係」になる。この「異分子が新しい出会い」を導いたり、人間関係を豊かにしたりもするのだが、一方で、ネットの圧倒的な利用者数と検索技術は、完璧に同質な人間を見つけてしまう。

 

そして、安全な閉じられた環境の中で同質の意見が交換され、同質の意見が発信され続けることによる増幅効果(エコーチェンバー効果)によって、自分の意見が強固なものになる。その心地よい自己肯定感に導かれるままにアイスケースに寝っ転がったり、醤油瓶を鼻に刺したりすることになるわけだが、それだけであれば炎上は起こらない。

 

その情報がやり取りされるトライブの中では、同じ価値観が共有されているので、賞賛は起こっても批判は生じない。批判が生じ、それが炎上に発展するのは、やり取りされる情報が別のトライブに流れたときである。

 

別のトライブでは、当然別の価値観があるので、たとえばトライブAでは当たり前だった醤油瓶を鼻に突っ込む行為が、トライブBでは許しがたい行為になる。そして批判が巻き起こり炎上になる。

 

本来、SNSの構造によって強固に閉じられているはずのトライブ内で流通していた情報が、なぜ他のトライブに流出するのか。それを行うのがハブとなる利用者である。

 

ハブ利用者はたとえば、ゆでたまごにしか興味のないトライブにも、スーパー銭湯にしか興味のないトライブにも属していて、指先一つでゆでたまごトライブの情報をスーパー銭湯トライブに中継することができる。そこでは、たとえばスーパー銭湯愛好家にはまったく問題のない、「銭湯で温泉たまごをつくろう」といった話題が、ゆでたまご愛好家には許しがたい暴挙に映ることがある。これは無意識に行われることも、意図して行われることもある。

 

近年、いわゆる炎上商法が注目された。あえて炎上を引き起こし、商品やサービスに対する認知を広め、売ってしまおうとする手法である。

 

炎上商法を行うためには、まず炎上を起こさなければならないが、そのためにはハブになって異なるトライブを接続してしまえばよい。異なる価値感を持つトライブ同士がつながると、相手のやり方に許容できない部分が必ず出てくる。そして、自らの正当性、有意性、真正性を証明するために言説の交換がなされ始めれば、炎上まではあと一歩である。

 

このように、功罪の両方があるにしろ、ハブが情報流通に極めて大きな役割を果たしているのは事実である。

 

ネット上でハブになる人は、やはりネットに親和性が高い人が多い。ハブのアンテナに引っかかり、別のトライブへと拡散させたくなる情報は、たとえばITや、サブカルチャーに偏る。

 

そして、ここで思い出してほしいのは連載【第1回】で触れたネットでの発言特性についてである。すなわち、ネットでも、リアルな社会と同様に、少数の極端な意見の人と、大多数のバランス感覚の良い人が存在するが、匿名と信じられている言説空間では場が荒れやすく、荒れると退出するのは多数を占めるバランス感覚の良い人たちである。そのため、最後まで発言し続けるのは、極端な意見の持ち主になってしまう傾向が強い。

 

そもそも、トライブをまたがって流通する話題には偏向があり、さらにその中でも極端な意見ほど生き残りやすいとなると、ネットで流通する情報は相当バイアスのかかったものになってしまう。連載【第3回】で見た、吹雪や電、山雲を調べようと検索すると、萌えキャラばかりが出ているというのは、その実例である。

 

それだけならば、まだネットの特性ということで笑い話で済むのだが、近年はマスメディアがさかんに「ネット世論」として、ネットでの意見やトレンドを紹介する傾向が強い。これには注意しなければならない。確信犯的にやっているのならば問題だし、気づかずにやっているのであればもっと根が深い。

 

ネット世論を信じるのであれば、ネット利用者は二次元女子とソシャゲと嫌韓にしか興味がないことになってしまう。それでは、ネットの実相を見誤ることになるだろう。

 

インターネットは汚染されやすいネットワークである。個人の「快」を追求し続けた結果、フィルターバブルによって極小の蛸壺へと個人を断絶させていくその構造も、オープン性もSNSもスモールワールドもスケールフリーも、それに荷担している。

 

もちろん、こうしたインターネットの特性が、巨大な利便性を生み、生活のインフラとして浸透した原動力だが、この特性を理解せずにインターネットを使い、インターネットのデータを語ることは、実は危険な行為である。

インターネットの腐海は浄化できるのか?

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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