「シノギ」の仕事に手を染めたのは、居場所を守るためだった――

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『黄色い家』中央公論新社
川上未映子/著

 

Unsplash(David Pisnoy撮影)

 

黄美子さんは背中の真んなかあたりまである真っ黒で癖のある髪を手で束ねてみせながら、わたしの毛って黒猫がまるまる一匹入っててもわかんないくらい多いでしょ、と言って、楽しそうに笑っていた。わたしも笑って、みんなも笑った。

 

身を寄せ合うようにしてともに暮らしたあの日々。みんなでいれば何にも怖くなかった。
最強で無敵のわたしたちはどこまでも強かで逞しく、笑い声が響くわたしたちの家からは明るい黄色の光がこぼれていただろう。

 

なのになぜ、バラバラになってしまったのだろう。
どこで、なんで、間違った道へと進んでしまったんだろう。

 

きっかけはネット記事の中に見覚えのある名前を見つけたことだった。
忘れなくては生きていけなかったとは、言い訳にしかならない。
罪を抱えたまま生きていく覚悟などあの頃の花にあるはずもなかった。
だから捨てるしかなかった。
かけがえのない記憶も輝かしい日々も。
黄色が似合うあのひとも。
すべて。

 

忘却した過去に追いつかれたわたしは、長く冷たいその手から逃れることはできない。

 

十五歳の花は母とふたり、東村山市のはずれにある古くて小さな文化住宅に住んでいた。
ずいぶん若く見える顔つきでよく笑う明るい性格の母は、良くも悪くも執着がなく、お酒を飲んで感傷的になった時くらいしか愚痴を零すこともない。酷い仕打ちをされたという母親についても、いなくなった花の父についても語られることはほとんどなかった。
母は花とふたりで過ごすより誰かを交えて一緒にいるのが好きで、母が働くスナックのホステスや地元の友達など、知らない女性が朝起きて隣にいることなど日常茶飯事だった。

 

だからなぜ、彼女に特別に惹かれたのかわからない。
わかったとしてもそれを言葉にするには花は幼すぎた。

 

人の顔はみんな違うのだからそんなのは当然なのだけれど、それでも黄美子さんの顔には、そのときわたしが使うことのできた言葉ではうまく説明できないような、存在感のようなものがあった。

 

黄美子さんの顔は、きれいだとか美人だとかいうより、強い感じがした。

 

ふらりと姿を消した母の代わりに――
夏休みのひと月を、花は黄美子さんとふたりで暮らしたのだった。
花にとって生涯忘れられない日々はここから始まり、そして――

 

花をからかうクラスメイトの態度を、飄飄とした物言いで一変させたこと。
母が不在の空間であっても変わらず彼女の優しさを褒めてくれたこと。
畳まれた布団や片づけられた食器、暮らしを整えるということを教えてくれたこと。
夜店でたくさんご馳走してくれたこと。
自分がいなくなっても困らないよう、冷蔵庫に隙間なくぎゅうぎゅうに食品を詰めてくれたこと。

 

こんなに自然でいて心から安らげる大人と暮らしたことがなかった。
こんなに優しくしてくれたひとは、黄美子さん以外に出会ったことがなかった。
それだけに、花の前からとつぜん姿を消した黄美子さんとの日々を思い出すことは痛みすら伴った。

 

「なんか、花」黄美子さんが笑った。
「大人になったみたいだ」

 

迷うことなく黄美子の手を取った少女を責める権利は誰にもないはずだ。

 

再会したふたりに、奇跡はさながら祝福のように舞い降りた。
十七歳になった花は黄美子さんとふたり「れもん」という名のスナックを始めることになる。水商売が身近にある環境で育ったふたりがお金を稼ぐ方法はこれしかなかったし、たとえ多くの選択肢が並べられていてもこの道を選んだだろう。
“普通”に暮らす多くの人々からは眉を顰められるような生業でも、それはふたりの肌に馴染んでいて、生きていく術である稼ぐ手段を手に入れられたことは僥倖以外の何物でもなかった。
黄美子さんの名前と、風水で金運を表す黄色を掛け合わせた店名を持つこの店は前途洋々、明るい兆ししかなかった。

 

かつては黄美子と同じ店で働き、現在は銀座のクラブに在籍するあまりに美しい琴美さん。
黄美子の長年の友人で仕事を手伝ってくれる物静かな佇まいの映水(ヨンス)。
近所のキャバクラに勤めるも売り上げが取れず投げやりにビラ配りをしていた一歳上の蘭。
ゴリ玉と呼ばれるほどの容姿で「紅」を澄み渡る美声で歌い上げた女子高生の桃子。
憧れの大人との出会い。夢みたいな明るさが店内には満ちていた。
初めて出来た友人との他愛もない時は青春と呼ぶに相応しいものだった。
ふたりで作り上げた「れもん」という唯一無二の場所から、無限に芽吹く幸福の種があった。
拠り所のない「わたしたち」が集うこの場所は不思議な力に守られているようで、平凡でも温かな人生を構築していける気がした。

 

しかし、奇跡はそう長くは続かなかった。

 

「れもん」を映水が野球賭博に使っていた現場に出くわしたのは、これから引きずり込まれる闇の世界を予期させるものだっただろうか。
痛ましい過去の吐露。黄美子の生きてきた道程の危うさ。
映水の裏社会とのつながりも、黄美子の不審な言動も、知ったところでどうすることもできなかった。
嫌な客に泣かされた夜もあった。けれど「れもん」の歩みに陰りはなく、貯えが増えるごとに自分が強くなっていくように思えた。
しかし、謝罪の言葉を繰り返しながら金の無心をしてきた母の申し出を断ることはできない。悔しい思いをしたところで、踏みにじられた想いを本当の意味で理解し寄り添ってくれるひとなどいなかった。
そして、追い打ちをかけるかのように――
「れもん」が火事で焼失したことで働く場所も、稼ぐ手段も失くした四人の生活が立ち行かなくなることは時間の問題だった。

 

「れもん」を復活させる。
それは生きていくための手段でもあり、みなの心の拠り所を取り戻すという希望に縋ることでもあった。
縋らなければ立ち上がることなどできなかった。
しかし、焦りを感じているのは花だけのように思えた。
賛同を口にこそすれ働き口を探すこともなく、以前と何ら変わることのなく昼夜ダラダラと過ごす蘭と桃子。
いっそうの迫力をもって壁を磨き続ける黄美子の異様さは増し、年上で唯一の頼れる存在であるはずなのに、問えば要領を得ない言葉が返ってきた。
どんなに金を稼ごうが四人が安寧に生きていけるはずもなく、一刻も早く今までのように、いや今まで以上に稼がなくてならない。
身分証はない。履歴書に書けるような職歴もない。
頼れるひとなど誰もいない。
だから、わたしが、わたしにしか、みんなを守ることはできない。
花のまばゆいほどの真っすぐさは、間違った方向へ容易く舵を切らせた。

 

花と彼女を繋いでくれたのは映水だった。
偽造カードを渡された花は「シノギ」の仕事に手を染める。
極度の緊張が花の内側を炙る。
捕まったら一巻の終わりだという恐怖が花の心臓を激しく苛む。
やがて――
花の心根は歪み人相まで変わり果てた。
粉々に砕け散った友情を拾い集めても、二度と同じ形に復元することはできない。
笑い声に満ちていたわたしたちの家は監獄へと成り代わった。
そして――失われてはいけない命が奪われた。

 

黄美子さんがやった。それが事実。花ちゃん、いい?わたしらの事実はこれだからね。

 

どんなに価値のない命だと思っても守らずにはいられなかった。
だから、花は、黄美子を残して家を出た。

 

物語はおわらない。

 

二十年の時を経て、花は過去を取り戻していく。
擦り付けた罪を自らに引き戻すことは、壊れた心を取り戻すことにつながっているだろうか。
感情は置いてきた。わたしたちの家に大切なものはぜんぶ置いてきた。
けれど、やっと告げられた真実を受け止めてくれた懐かしい声が、赦しの言葉を渡してくれたから。
花は、はじまりの場所へと駆けていく。

 

ここにいるから、会える

 

変わらないあのひとの言葉と、もう聴けない声が重なって、届く。

 

この物語を私はどうしても記さなくてはならないと思った。
彼女たちの“今”にどんなに重い十字架が伸し掛かっていたとしても、そこに至るまでの道は悲劇だけではなかったと、幸福だったとしかいいようのない時をたしかに過ごしていたのだと、伝えなくてはいけないと強く思った。
歪められた記憶の底で輝きは損なわれぬまま、あの日々はきらめいていた。
悲劇という事実は変わらないにせよ、それ以上に享受した喜びに生かされていたのだと、書き記さなければ“出会った”意味などないと思った。

 

幾千もの物語が生まれ、誰にも知られることなく消えてゆく。
永遠に続き――永遠に終わることのないそれらが紡ぎだされるこの地に生まれ落ちたことを運命だと、それは使命という名で語られるものであると信じたい。

 

だから、これからも。

 

どうか命果てるまで聴かせてください。
どうか抱えられる目一杯の言葉を、私に授けてください。

 

『黄色い家』中央公論新社
川上未映子/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれの水がめ座。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。1万円選書サービス「ブックカルテ」参画中です。本の声、きっとあなたに届けます。

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を