akane
2018/06/14
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2018/06/14
~ガキの頃から親しんだオヤジ中華の鉄板店:謝謝ラーメン~ 著者:鈴木隆祐
舌にしみついた「ガード下」の味
東京散歩グルメの決定版と一部では噂の連載4回目。
前回までは新橋界隈をうろついたが、では、JRでお隣の駅に参ろうか。浜松町ではなく有楽町へ。
1957年7月に発表されたフランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、同年5月の有楽町そごう開店のキャンペーンソングだった。大阪に本社を置いていたそごうが東京に出店するに当たり、目をつけたのが有楽町。読売会館のオープンに合わせ、テナントで入った。
すでに老舗デパートであふれる銀座や日本橋にぶつけても勝ち目はない。だが、当時の有楽町はまだ焼け跡も目立ち、高級デパートには似つかわしくない。そこで歌で街ごとお洒落にイメチェンを図ろうとしたのだ。
そのそごうも今世紀に入ってすぐ閉店。直後にビックカメラが居抜きで入った。
結論を言えば有楽町駅周辺も、いくら東の銀座側をスマートにしたところで、ガードを中心とした西側はなんともくすんでおり、国際フォーラムと劇場街の合間だけ高級ブランドショップが建ち並んでいても、どこか場違いな印象を与える。
ぼくの食の思い出の多くも、そのガード下に巣食っている。東京駅側は現在耐震補強工事のため、「谷ラーメン」などほとんどの店が移転し、それを機に閉じた店もある。
工事を免れた店もいくらかあるが、ふわっとした巨大メンチそばが周期的に食べたくなる、立ち食いの「新角」などはいまだ休業中。
ジャンキーな焼そばが名物だった駅構内の「後楽そば」も、2年前の5月末に閉店した。今年3月に五反田で再開と聞いても、あの駅を降りてすぐに鼻を突く、ソースとカツオ出汁の混ざり合った独特の匂いごと、自分の身体に刻まれた条件反射の食習慣。なかなか改めようがない。
晴海通りを新橋側に渡れば、なおさらディープ。焼とん屋が密集し、夕刻ともなればもうもうと酒欲をそそる煙を上げ、ぼくのような飲み助が素通りするにはよほど忍耐力がいる。
ただ、それらの店はいずれも、軽めの独酌には敷居が高い。金額面ではない。サラリーマン諸氏が時にOLを交えて盛り上がる中に、ぼくのような瘋癲が一人では入りづらいのだ。
しかも、ふらっと映画や展覧会をここまで観に寄った夜に限って、帰宅すれば仕事が待ち受けている。深酒は禁物なのだ。だが、その時点ではすっかり、鼻腔は芳ばしい煙に巻かれている。どこか安全な場所に緊急避難せねばならない。
「灯台下暗し」とはこのこと
そんな時、ぼくが決まって駆け込むのが「謝謝ラーメン」だ。初めて来たのはいつだろう。中学か高校の時に父に連れられて—ではなかったか。
同じガード沿いやガード下には、「慶楽」に「中国飯店」、駅近だと「中園亭」に「宝龍」と中華を食わせる店があるけれど、中で「謝謝ラーメン」は俄然リーズナブルなのではないか。それでいて、町中華の王道を行く外さない味。昼も夜もいつも混んでおり、大半はサラリーマン客だが、買い物帰り風の中年カップルや軽装の若者のグループもいて、長居はできないなりに、ソロで訪れても和めるのだ。
ここでは夜訪問の場合でも、取りあえずビールに続いて、ともかくお得な定食類を頼んでしまう。ホイコーローも生姜焼きも、ジャンボ餃子が3つ付いて一律820円で楽しめるのだ。焼きそば以外の麺定食はライスと餃子がついて、どれも790円。タンメンでも味噌ラーメンでも変わらない。
ある晩のぼくは初めてニラ玉炒め定食にチャレンジ。写真付きメニューをよく見れば、ニラ炒めがかなり肉々しく、その時のガッツリ&野菜補給ニーズを同時に満たしてくれるのではないか—と思ったのだ。
そして、皿が出てきて大いに喜んだ。ニラ肉炒めが卵で包まれ、これはほとんど合菜代帽ではないか! 子ども時分に家族でよく出かけた、新宿の「随園別館」の名物で北京料理の定番だとか。台湾でもよく食べるらしい。随園では北京ダックよろしく薄餅に甘味噌が付いて、それらで巻いて食べるのだが、こちらはなし。
でも、存外にふわとろの代帽(卵焼き)の食感が快く、シャキシャキ濃いめの合菜(ニラ肉炒め)を突き崩しては口に運ぶうち、ビールのお供にあっという間に半分が胃の中に収まった。
そこで、普段は餃子でライスを食べないのだが、最後にはこれを崩してご飯に載せ、スープとともにかっ込んだ次第だ。懐かしの味にいささか感動し、思わず写真もわずかに撮っただけ。
こんな灯台下暗しがあるから、町中華通いはやめられない。そして、いつものお気に入りもいいけれど、たまには浮気も大事だと、またも思うのである。
■謝謝ラーメン
東京都千代田区有楽町1丁目3−8
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