ryomiyagi
2020/01/02
ryomiyagi
2020/01/02
eスポーツがけっこう好意的に取り上げられる機会が増えた。
やはり、アジア大会でデモンストレーション競技に採用されたのが大きかったのかもしれない。
物心ついてからずっとゲーム漬けだった人間からすると、感慨深いものがある。むかし、ゲームは後ろ指さされたり、こそこそしながらやるものだった。
まあ、いまでもその傾向は残っているし、特定のコミュニティのなかでは、たとえば「真っ当な人間はSNSなんかやりません」と高らかに宣言する人などもたくさんいるが、それでも隔世の感がある。
eスポーツを体育の代わりとして運用していいかどうかはちょっと置いておくとして、eスポーツにいろいろな可能性があるのは事実だ。
スポーツは高度なコミュニケーションを要求されるが、コミュニケーションが苦手な子もいる。そうした子でも、積極的に参加できるし、なんならチャット機能を使うことで活発なコミュニケーションまで行っている。
身体的ハンディキャップがある子でも、eスポーツなら、仲間とスポーツに参加できる。ご高齢の方のリハビリテーションにも使われているし、世界レベルの選手と同じグラウンドに立つことも可能だ。
リアルスポーツだと、レベルの違いすぎる選手とプレイすることはエキシビションとしてもなかなか厳しい(参加機会の面でも、リスクの面でも)が、eスポーツでは比較的実装しやすい。
スポーツの機会均等を実現する上でも、eスポーツが有用だとする議論もある。
たとえば、ある国ではモータースポーツとサッカーが盛んだ。そして、子どもたちは自分が参加するスポーツを選ぶとき、自分の好みではなく、お金があるならモータースポーツを、ないならサッカーを選択する。
資金力の格差は、選ぶスポーツの格差に直結する。
だが、eスポーツなら、比較的安価にいろいろなスポーツに触れることができる。少なくとも、モータースポーツに参加するよりはずっと安くすむ。ぼくもレーシングカートが大好きだが、あれは高い。
ほんもののスポーツとは質が違う、という批判はあるだろう。
ぼくも空戦ゲームはかなり得意な方だが、ほんものの戦闘機に乗ったら間違いなく秒でブラックアウトする。なんなら二度と息を吹き返さないだろう。
でも、中にはリアルと仮想を越境する人もいる。eスポーツのレーシングゲームで頭角を現し、リアルのレーシングチームのシートに手をかけた人もいる。
eスポーツがなければ、この人の才能は開花しなかったであろうから、成功事例の1つと言っていいと思う。
で、それなら発達障害の子に使えないだろうかと考える。自然な発想だ。
コミュニケーションが苦手でも参加しやすいし、チャットなどの、視覚が大きな割合を占めるコミュニケーションツールなら使いこなせる子も多いのだ。
身体的障害を併発している子も混ざっていけるし、何よりも他の参加者に迷惑をかける度合いが、ゼロとは言わないがかなり小さくできる。
保護者や支援者としては、とても気になるところなので、社会やコミュニティへの参加の新しいルートとして活用できるかもしれない。
だが。だが、である。
それでも、発達障害の子をeスポーツに参加させるのは、かなり慎重に考えたほうがよいと思う。発達障害と情報システムの親和性の高さは、今さら言及するまでもないかもしれないが、親和性が高すぎるのである。
対人コミュニケーション能力が低く、世界がクリアに見えない特性を持っている子にとって、コンピュータは魅力的すぎる。
明快な論理で動き、ふだんの友だちとのつきあいでもやもやした気分をいつも抱いている子が、自分の思い通りに動き、駆動原理を理解できるモノに接した嬉しさを想像してみて欲しい。長年探し求めた運命の人に出会ったくらいのインパクトはあるのだ。
ぼく自身が、楽しみにしていたビッグタイトルがリリースされると発売日に即買いし、エンドロールを見るまで48時間でも72時間でも無補給ぶっ通しでプレイし続けるタイプだったので、とてもよくわかる。一度あの世界に潜ると、現実に帰ってくるのは苦痛になる。
ぼくはたまたまその世界の延長で職を得たが、みんながみんなこの世界で職や居場所を得られるわけではない。単に現実嫌いを助長するだけになってしまうかもしれない。どちらに転ぶかは運に依存しすぎて、ギャンブルである。
だから、自制心が充分に育つまでは(それは、定型発達の子よりだいぶ遅れる)、メリットも多いこのツールを、ちょっと遠ざけておいたほうがよいと思うのである。
発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。
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