圓楽党の逸材・兼好、萬橘(まんきつ)【第61回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

六代目の圓楽が誕生する頃からメキメキと頭角を現わした「圓楽党の逸材」が、三遊亭兼好だ。

 

1998年に三遊亭好楽に入門し、2008年に真打。二ツ目の「好二郎」時代から既にその達者な語り口が高く評価されていたが、圓楽党にいるとどうしても一般の落語ファンから注目されにくい。だが兼好は、持ち前の明るく楽しい高座の魅力で着実にファン層を広げていった。

 

僕自身が兼好を意識的に追いかけるようになったのは2009年。2010年頃から俄然、僕の中での兼好のプライオリティが高くなり、2012年には完全に僕の「イチ推しの演者」となった。僕自身がインタビューアとして出演する企画落語会「この落語家を聴け!」(北沢タウンホール)に兼好が初出演したのは2012年10月。この時点で、兼好は僕にとって白酒や一之輔に匹敵する「大好きな落語家」となっていた。

 

落語ファンの間で兼好の認知度が高まったのも、僕の中での兼好のプライオリティが高くなった2010年あたりからだ。象徴的なのは2010年3月に第1回が開かれた「我らの時代 落語アルデンテ」。桃月庵白酒、春風亭百栄、春風亭一之輔(当時はまだ二ツ目)と共に兼好がレギュラー・メンバーを務めるホール落語で、第2回は同年10月、そして2011年7月と10月に第3回、第4回が開かれている。主催は夢空間だが、企画制作は目利きとして知られる演芸プロデューサー木村万里氏の渦産業。明らかに「次の時代を担う期待の若手」を集めた、という人選だ。この手の落語会に圓楽党の落語家が選ばれること自体、兼好以前にはなかったことである。

 

2012年4月にはよみうりホールの「よってたかって春らくご」に初出演。この「よってたかって」シリーズも「アルデンテ」と同じく主催・夢空間/企画制作・渦産業で、市馬、喬太郎、白鳥、白酒、三三、一之輔といった人気者が顔を揃える豪華な企画だが、兼好はこれ以降レギュラー陣の1人となる。

 

独演会への観客動員力も上がった。2009年4月から日本橋社会教育会館(座席数204)で始めた兼好主催の月例独演会「人形町噺し問屋」はもともと常連客で賑わっていたが、2014年あたりから新規参入の客層が増えてチケット完売が当たり前になっていく。2015年から国立演芸場(座席数300)で年2回のペースで開催されている兼好独演会「けんこう一番!」も1回目から常に完売。さらに2017年からは座席数501のよみうり大手町ホールで春と秋に「けんこう一番!スペシャル」も開催されるようになった。

 

もちろん、それ以外にも各地で独演会を行なっているし、二人会や三人会など様々な落語会で一年中引っ張りだこ。今や兼好は押しも押されもせぬ東京落語の「顔」だ。2005年頃の落語ブーム当時は「志の輔、談春、志らくのいる立川流はメジャー、圓楽党はマイナー」みたいな言い方をされることが多かったが、兼好が現代落語の最前線で売れっ子になったことで、圓楽党のイメージも大いにアップした。

 

その兼好の後を追う「圓楽党のホープ」が三遊亭萬橘(まんきつ)だ。

 

2003年に三遊亭圓橘に入門し、2006年「きつつき」で二ツ目、2013年に真打昇進して四代目萬橘を襲名している。

 

僕が三遊亭きつつきの途轍もない面白さを知ったのは2011年5月5日、高円寺の「ノラや」という居酒屋での「天どん・きつつき二人会」でのこと。そこで聴いた『長短』『棒鱈』の2席はどちらもオリジナリティ満点の独創的な演出が施されており、演者きつつきの型に嵌まらないエネルギッシュな芸風が実に印象的だった。

 

以来、新宿二丁目の落語バー「道楽亭」での独演会などに積極的に足を運ぶようになり、彼の「逸材」ぶりを確信。2012年7月に僕が成城ホールで「こしら・一之輔」に代わる月例会を立ち上げることになったとき、真っ先に決めたのがきつつきの起用だった。(そして「こしら・きつつき」と組ませる相手として白羽の矢を立てたのが当時まだ二ツ目の「落語協会の爆笑改作派」鈴々舎馬るこである)

 

そして2013年3月、きつつきは四代目三遊亭萬橘を襲名して真打となった。萬橘の真打昇進は、馬るこの計算によれば東京落語界全体で見ると「66人抜き」だったらしい。当時の二ツ目としては「きつつき」の知名度は高かったが、その後の活躍ですぐに「萬橘」の名は浸透した。最近ではホール落語に顔付けされることも増え、夢空間が大ホールで開催する「気になる三人かい」シリーズに喬太郎、白酒、三三、一之輔らとの組み合わせで起用されるほど有望視されている。今後ますます東京落語界の中で存在感が増すだろう。

 

他に圓楽党で期待されるのは2009年に真打昇進した三遊亭王楽。好楽の長男にして五代目圓楽最後の弟子である。スター性があるだけに、化けたら大きい。

 

「七代目圓生問題」が勃発する以前の鳳楽独演会に通っていた頃、当時まだ二ツ目の鳳志の上手さに感心したのだが、2009年の真打昇進後も圓楽党の枠内での活動が多く、なかなか一般の落語ファンの目に触れる機会が少ないのが残念。

 

2018年5月の真打昇進の際、師匠の好楽がかつて自分の名乗っていた「林家九蔵」を襲名させようとして落語協会側からストップが掛かった三遊亭好の助は、その一件で集めた世間的な注目を、今後どう活かしていくか期待したい。

 

なお「九蔵襲名中止」騒動は、「落語家の襲名とは」というテーマにスポットを当てたということでは大きな意味があったが、詳細な経緯に関しては、門外漢が迂闊に口を挟めない事情があったと推察されるので、ここでは深入りせず「そういう事件があった」と言及するに留めておく。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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