新作落語の地位向上を果たしたSWA【第21回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

SWAは、目の前の観客との連帯感のようなものを大事にした。SWAが熱烈に支持された最大の理由は、そこにある。

 

SWAはユニフォームとしての揃いの着物(必ずしも高座で落語を演るときに着ていたわけではないが)を作り、そこには各々の背番号が入っていた。「1=彦いち」「2=白鳥」「3=山陽」「4=昇太」「6=喬太郎」がそれだが、さらに「5=御贔屓」としてTシャツを売ったりもしていた。この「5=御贔屓」は、サッカーにおける「サポーター」の発想に近い。(昇太がサッカー好きであることと無関係ではないだろう)

 

SWAのライヴは、映像やトークなどで手作り感満載な「楽屋裏」を垣間見せ、それによって観客に親近感を持たせていた。それは、ヘタすれば単なる「内輪ウケ」になってしまうが、SWAの場合はそれ自体が公演パッケージを構成する不可欠な要素であり、エンターテインメントとして成立していた。その親近感ゆえに、一度足を運んだ観客は「SWAの世界」の一員となった連帯感のようなものを覚えて、リピーターとなる。もっともそれは「誰もが楽しめる公演内容」であることが大前提で、そのために演者たちは知恵を絞り、クオリティの高いエンターテインメントを提供し続けた。

 

落語は、演者の個性を楽しむ芸能だ。そしてSWAのメンバーは、それぞれ別個にその個性を発揮することで充分に観客を楽しませる一流の演者である。そんな彼らが一丸となって「クオリティの高いパッケージ」を目指した公演が面白くないわけがない。従来の落語会とは一線を画した「団体芸を楽しませる」SWA公演は、演劇などのエンターテインメントに関心が高い新しい客層を掘り起こして、落語ブームと呼ばれる現象に拍車を掛けた。

 

「大銀座落語祭」や『タイガー&ドラゴン』、九代目正蔵襲名イベントなどが2005年頃のいわゆる「落語ブームの到来」のきっかけになったのは事実だ。だが、世間の目が落語に向いたときに、そこに面白い落語が存在しなければブームはすぐに去る。そうならなかったのは談志や小三治を筆頭に志の輔、志らく、談春、さん喬、権太楼、市馬、喜多八、志ん輔、花緑、歌武蔵、文左衛門等々豊富な人材がそこにいたからだが、中でも「落語にハマって熱心にチケットを買って足繁く通うようになった若いファン層」を多く生んだという点で言うと、SWAの果たした役割は非常に大きかった。SWAを入り口にして落語という「新鮮なエンターテインメント」に目覚め、自ら積極的に情報を収集してチケット取りに走るようになった人たちが落語ブームのファン層の「核」となった、というのが当時の実感だ。

 

ここで重要なのは、SWAは(白鳥以外は古典も多く演じる噺家であるにもかかわらず)「新作」に特化したユニットだったこと。SWA人気の沸騰は、「新作落語という表現方法の持つポテンシャルの高さ」を従来の落語ファンに正しく認識させた点で大きな意味があった。SWAが落語ブームを牽引した8年間を経て、新作落語の地位がかつてとは比べものにならないくらい向上したのは間違いない。SWA以前は、いくら面白い新作落語があっても、総体として新作は「邪道」であり「古典より下」と見られていた。だが、SWAが落語ブームを牽引した8年間を経て、今やそんなことを言うのは一部の古典至上主義者だけで、少なくともチケットを買ってナマの落語を聴きに行く観客全体の中で占める割合は極めて少ない。

 

SWAはまた、「エンターテインメントとしての落語」という価値観を普及させたことで、古典落語のあり方にも影響を及ぼした。それまでは専ら志の輔や志らくといった立川流の演者が提示していた「現代的な面白さをアピールする古典」が、邪道ではなく当たり前になっていった背景には、SWAの活躍があった。「落語は硬直化した古典芸能ではなく現代人のためのエンターテインメントである」という事実をSWAがわかりやすく提示した、ということだ。

 

もちろん落語は伝統を背景にしている芸能だから「面白ければ何でもいい」というものではないが、「面白い落語が聴きたい」という人たちが落語会の客層の主流を占めるようになったのは極めて健全なことだ。

 

かつて、「教わったとおりの古典をそのまま堅実に演る」ことが、自称「落語通」の間で良いこととされていた時期があった。だが、教わったとおりに堅実に古典を演っていた名人なんて落語史上1人もいない。志ん生も文楽も円生も五代目小さんも志ん朝も、「面白かった」から偉大なのであり、なぜ面白かったかといえば「面白い落語をこしらえて面白く演った」からなのである。

 

いくら面白い演者が面白い落語を演っても「こんなのは邪道だ」と決めつける観客ばかりだったら、落語の世界は確実に衰退していく。(実際にそれが起こったのが1990年代だ) 逆に言うと、今の落語界の繁栄は、当時のSWAの活躍に負うところが大きい。

 

SWA人気は(後述する「立川談春の躍進」と並んで)2004〜2008年頃の落語ブームを象徴する現象だったと僕は思っている。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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