akane
2018/05/31
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2018/05/31
作家の色川武大が書いた有名な談志評に「談志の落語は60代をターゲットにしている」というものがある。1988年に書かれたエッセイの中にあったもので、正確には次のような言い方だった。
「(談志は)60歳ぐらいになったら、まちがいなく大成する落語家だと思う。放っておいてもそうなる。彼自身、将来の大成にポイントをおいて、現在の高座をつとめているふしがある。だから、私は落語家談志の現状を、言葉でくくろうとは思わない。どんな高座をつとめていたって、見逃しておけばいいと思っている。出来がよくてもわるくてもいい。大きな能力というものは、完成がおくれるものだし、烈しく揺れたり脱線するプロセスがありがちである」(ちくま文庫『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ3 交友』所収「立川談志さん」より)
これが書かれた時点で談志は52歳。立川流創設から5年、ややもすると落語家というより「元国会議員の大物タレント」「文化人枠の毒舌タレント」といった位置づけに傾きかけていた(と世間には見えていた)談志に対して、いわゆる落語通から「談志は小ゑんの頃のほうが上手かった」という声が出始めていた時期だ。(ちなみに「談志ひとり会」1988年のプログラムを見ると、談志の代わりに2月は手塚治虫、3月は大林宣彦、4月は田村能里子、5月は山本晋也がエッセイを寄稿している)
談志自らが芸人としての自己の変遷を振り返って分析したところによると、50代前半は「落語に疑問を感じ始めた」時期から「落語の持つ非常識を肯定にかかる」時期への過渡期であり、持ちネタの再構築を始めた時期でもある。
要するに、談志はこの時期、試行錯誤を繰り返していた。実はその「試行錯誤」は終生続くのだが、そんな談志への「なんだ今の高座は、昔のほうが上手かったじゃねぇか」という声に対しての、色川武大による談志評が「今だけ見て語るな、60代の談志が楽しみだ」というものだったのである。
そして、その予言は的中した。60代で談志は「全盛期」を迎えることになる。
もっとも厳密には談志は1996年に60代に突入、2001年の段階ではすでに65歳だったが、助走が長くなった分、飛躍も大きかった。それまで「毒舌タレント」として世間に認知されていた談志は、志ん朝の死を境に「落語界の頂点に君臨する演者」として快進撃を始めた。「志ん朝が死んで落語の灯が消えた? 冗談言うな、俺がいるじゃねェか!」と、談志の「落語家魂」に火がついたのだろう。
「名演」を連発する「全盛期」の談志。その幕開けとなったのは2001年12月21日の東京・よみうりホールにおける『芝浜』。この翌月、談志は川戸貞吉氏に「こないだキザな部分をいっさい演らず、ほとんどが成り行き任せ、ごくごく普通に『芝浜』を喋ってみた。ところがそれが馬鹿に良かったんだ」と語り、「音が残っているものの中で最高の出来」と断言したという。
魚屋夫婦だけがそこにいる、21世紀の談志の『芝浜』の誕生だ。
このときの『芝浜』について、吉川潮氏は「この日は落語の神様が立川談志に乗り移って、登場人物に言葉を発しさせたとしか思えない。天才が葛藤を繰り返した末に行き着いた究極の感情注入によって、芸が神業まで昇華したとも言える」と絶賛、山藤章二氏も「人間大技を突き抜けた、鬼神がその身体に入り込んだとしか思えぬ“気”に圧倒された。『立川談志の到達点』をそこに感じた」と書いている。
これ以降、談志は次々に「名演」を連発、聴き手を圧倒する。その「談志ここにあり!」という気迫は新たなファン層を生み、それまでの狭い落語通の世界に見られた「アンチ談志」の風潮は、いつしか時代の波に飲み込まれ、消えていくことになる。
21世紀初頭に世間が落語というエンターテインメントを「再発見」したとき、その頂点には「全盛期」の談志が君臨し、落語の「凄さ」を見せつけた。立川志の輔や春風亭昇太に代表される「エンターテインメント性の高い落語」に魅力を感じて入門してきた人々は、高座に登場しただけで空気が変わる立川談志という特異な演者の存在を知り、「落語を超えた落語」の世界を垣間見たとき、落語という芸能の奥深さを実感したはずだ。
2011年3月に最後の高座を務め、同年11月に亡くなった談志は、今現在の「遅れてきた落語ファン」にとって伝説である。今なお談志という落語家に対する世間の関心は高い。それは、生前には本人の強烈なキャラに邪魔されて見えにくかった「落語そのもの」が客観的に評価されるようになったからでもある。だが重要なのは、談志が21世紀初頭の落語界において「スーパースター」だったということだ。
談志は、桂文楽や三遊亭圓生、柳家小さん、古今亭志ん朝といった「わかりやすい名人」の系譜にはない。むしろ異端とさえいえる。その「反逆児」が、あの落語ブームの頂点に君臨したことは、(本人が望むと望まざるとに拘わらず)落語というジャンルの可能性を大きく広げた。一昔前の「名人芸を極める」というイメージから大きく逸脱した談志の活躍こそが、20世紀とは一線を画する「21世紀の落語界」の空気感を生み出した。
かつて落語が「能のようになる」ことを阻止した談志は、「全盛期」の活躍で落語を「21世紀の芸能」として推し進めたのである。
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