21世紀の「談志全盛期」の始まり【第10回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

今となってはもう忘れ去っている人も多いと思うが、立川談志は2000年1月に「俺はあと2年で落語をやめる」と宣言、ファンを驚かせた。

 

もちろん、結果から見れば談志は落語を「やめる」どころか、2011年に声を失うまでは、(「もう駄目だ」などと言うことは多かったけれども)高座を務め続けた。いや、「高座を務めた」というより、「立川談志であり続けた」と言うべきだろう。談志は「誰よりも落語を愛した男」であり、様々なドキュメントも含めて、最後まで「落語家」だった。

 

ただ、2000年の時点では、健康面の不安から相当落ち込んでいたのは事実のようだ。たとえば、談志は2000年3月をもって、長年続けた「談志ひとり会」を終了させている。
1965年に紀伊國屋ホールで開始、1987年からは国立演芸場に場所を移した「ひとり会」は談志にとってホームグラウンドであり、ファンにとっては“聖地”。それをやめるというのは、「2年後に落語をやめる」宣言以上の衝撃だった。

 

2000年に入ってからの、ラスト3回の「ひとり会」のプログラムには、当時の談志の心境が(“照れ”から自嘲的な表現が多い談志らしい筆致ながら)率直に綴られている。

 

1月のプログラムを見てみると、談志は「もういい、もう疲れた」「あとは人生の整理である。未練を言ったらキリがない」「体力が精神の言うことを聞かなくなった」と書き、この後どうなるかは「人生成り行き」として、「2000年正月、いい区切りでもある」と結んでいる。

 

2月のプログラムでは「“老人は捨てられるもの”、それが“現代に居座ろう”というムリ……これがヒシヒシと家元自身に感じるのだ」と書き、「ひとり会もあと2回……立川談志、伝統の世界では生きられないのだ」と結んだ。

 

そして最終回。すべてのことがつまらなくなったという談志は「落語とて疲れている。普段ふと思いつくときには“面白いな”“こうやりゃいいんだ”等々はあるけれど……これまた疲れる」と言い、落語を続けてないと駄目ンなっちゃうよと忠告する人もいるが「言ったって聞かないよ、聞くもんか。人生そういうもんなんだ」と言う。
もっとも、その直後に「言っとくが別にもう“やァめた”と決めた訳でもないが」と書いているので、家元自身揺れ続けていた時期なのだろう。「人生惜しまれて去る」という表現も見られる。

 

2002年以降の談志は「あと2年で死ぬと決めて、2年単位で生きることにした。2年後にもし死んでなかったら、その2年後に死ぬものと決めて、次の2年間を生きる」という“2ヵ年計画”を口にするようになった。2000年1月の「あと2年で落語をやめる」宣言も、その“2ヵ年計画”の前身(?)のようなものだったのかもしれない。2002年1月から順次刊行されていくことになる「立川談志遺言大全集」全14巻も、その一環として見るとわかりやすい。

 

雑誌「東京人」2001年11月号では「落語いいねえ」と題する落語特集を組んでおり、そこには川戸貞吉氏による談志のロングインタビューが掲載されていた。見出しに「俺は落語をやめられっこないんだ」とある。

 

その中で川戸氏に、2年前の「俺はあと2年で落語をやめる」宣言は本心だったのかと訊かれた談志は、こう答えている。
「本心ってのは、難しいもんだね。例えば、こいつとは二度と会わないって思う。それは本心だ。でも、どっかで会いたい。(中略)その、会いたい、会いたくないということを考えることによって、自己をクリアにしているんですよ。落語に対しても同じこと。俺が落語をやめるとするとするじゃないですか。でも、いつかは落語をやりにいくと思うんですよ。それで、10年後に『この人昔、落語やめるなんて言っていたな』と思われるかもしれない。でも、毎度言うけど、精神と肉体の問題もあるでしょ。精神はやろうと思っていても、体がついてこられないかもしれない。それを技術によってやっていく方法もあるけどね」

 

そして川戸氏に「これだけ落語にのめり込んだ人が、すぐにはやめられっこないっていうのが、私の考えです」と言われると、談志は即座にこう応じた。
「やるよ。俺は、落語をやめられっこないんだ」

 

なお、この雑誌が発売されたのは10月3日。志ん朝が亡くなって2日後だ。この号には志ん朝と林家こぶ平(現・正蔵)の対談が目玉記事として掲載されていた。校了は発売日より10日ほど前だろうから、当然、志ん朝の死には触れられていない。

 

「落語をやめられっこない」と明言した談志が、『芝浜』の演出を大きく変えて自ら大いに満足したと川戸氏に語ったのは、この雑誌が発売されてから2ヵ月半後のこと。21世紀の「談志全盛期」の始まりだった。

 

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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