akane
2018/06/07
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2018/06/07
2003年、小朝が動いた。「六人の会」の旗揚げである。
その前年の2002年、小朝は落語協会の理事となっている。今でこそ理事の若返りが積極的に進められている落語協会だが、当時は「異例の若手抜擢」というニュアンスだった。志ん朝を失った落語協会の危機意識がもたらした人事だろう。
落語協会の幹部となった小朝が、かつて断念した「団体の壁を越えてのイベント」を具現化するために結成したのが「六人の会」で、メンバーは小朝の他に笑福亭鶴瓶(上方落語協会)、立川志の輔(落語立川流)、春風亭昇太(落語芸術協会)、柳家花緑(落語協会)、林家こぶ平(落語協会)。全員、一般的な知名度があり、しかも(ここが大事だが)小朝より後輩だ。
この人選の意図は明確だ。まず、世間に広くアピールするためにはマスコミで発信力のある人間(売れてる人)を集める必要がある。ただ、小朝がリーダーシップを取って物事を進める以上、いくら知名度があっても立川談志や桂三枝(現・文枝)、桂歌丸といった大御所を入れるわけにはいかない。その意味で立川流から志の輔、芸協から昇太、上方から鶴瓶という人選は絶妙だ。
圓楽党(五代目圓楽一門会)からの参加がないのは、この団体に「小朝よりも後輩で志の輔や昇太に匹敵する知名度を持つ落語家」がいなかったからだろう。『笑点』でお馴染みの三遊亭楽太郎(現・六代目圓楽)は小朝の同期だが、もしも彼が小朝より4〜5年後輩だったら参加を要請されていたかもしれない。
だが小朝は抜かりなく団体トップの五代目圓楽から「『六人の会』のやることには何でも協力する」という約束を取り付けていた。圓楽は弟子たちに「小朝に協力するように」と言ったのだという。圓楽党は組織がしっかりしているので、トップと話がつけばそれで充分だ。
花緑が参加しているのは、彼が「落語界を変える」と宣言していたことを知る者にとっては当然の成り行きだが、穿った見方をすれば、落語協会で非主流派の小朝が「小さんの孫」を保守本流の「柳家」の代表として参加させた、という図式でもある。
人選の目玉は鶴瓶だろう。タレントとして抜群の人気を誇る鶴瓶の「六人の会」への参加は絶大なインパクトがあった。彼は長年「落語を演らない落語家」だったからだ。
鶴瓶は、2002年の小朝との二人会で『子は鎹』を演って以来、小朝の強い勧めで古典落語に真剣に取り組み始めていた。小朝は、もしも鶴瓶が古典を演ればそれ自体が大きな話題になると踏んだ。この着想は見事だ。小朝は鶴瓶に具体的なアドバイス(課題)を与え、「鶴瓶の古典」を世間にアピールした。
「鶴瓶が落語を!?」という話題性は「六人の会」にとって大きな力となったが、一方で鶴瓶自身もこれがきっかけで落語家として開花していくことになるのだから、鶴瓶にとってもメリットはあった。
問題は小朝、花緑に次ぐ「落語協会3人目」のこぶ平の存在だが、これは2年後の「九代目正蔵襲名」とセットで考えなければいけない。「六人の会」の旗揚げがマスコミに発表されたのは2003年の2月だが、「2005年春に九代目正蔵をこぶ平が襲名する」と正式発表されたのはその1ヵ月後、2003年3月である。「六人の会」旗揚げは2年後の「正蔵襲名イベント」への布石だった、とさえ言えそうなタイミングである。
こぶ平の「正蔵襲名」は数年前から既定路線となっており、「こぶ平の義兄」である小朝が「タレントこぶ平」を「落語家」として鍛えていたのは周知の事実。小朝は落語家としての実績の乏しいこぶ平に、正蔵襲名に向けて「古典50席を覚えろ」と命じたと聞く。当時は「小朝独演会」に行くと大抵こぶ平が付いてきた。たとえば僕は2002年4月に国立大劇場で「小朝独演会」を観たのだが、こぶ平も出演して『首提灯』を演じている。
小朝は自分だけが矢面に立つと物事が進まないことを知っていたからこそ、鶴瓶、志の輔、昇太、花緑の名前を借りて「改革派グループの旗揚げ」という体裁を整えた。それだけなら、そこに「タレントこぶ平」は不要だが、2年後の正蔵襲名イベントを見据えての「六人の会」だったとすれば、こぶ平はマストだろう。イベントの主役たるべきこぶ平には、ここにいてもらわなければならない。世間から「二世タレント」としか認識されていなかったこぶ平にとって、「六人の会」参加は彼にとっての「落語家宣言」のようなものだった。
「三平の長男だからって、こぶ平が正蔵を襲名するのはおかしい」と感じる向きは、彼が「六人の会」に名を連ねていることに違和感を覚えたと思うが、そういう「落語通」は圧倒的な少数派。落語に関心のないマスコミや世間一般は「知名度」だけが物差しなので、志の輔や昇太とこぶ平が肩を並べることに何の抵抗もなかっただろう。そして、その「タレントとしての知名度」を持つこぶ平が、気を遣う必要がない身内だという「使い勝手の良さ」は、小朝にとって大きな安心材料だったと思われる。
志ん朝なき21世紀の落語界のニューリーダーとして名乗りを上げた小朝は、過去の挫折も踏まえて「団体の壁を超えたグループ」という体裁を重視した。そんな「六人の会」に対して、いや、小朝に対して、立川談志は「雑魚は群れたがる」と痛烈な一言を浴びせた。
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