ロックだと「わかる」ものこそがロックだ―7分でわかるロックの定義とその概念(前編)【番外編・コラム】
川崎大助『究極の洋楽名盤ROCK100』

戦後文化の中心にあり、ある意味で時代の変革をも導いた米英のロックミュージック。現在我々が享受する文化のほとんどが、その影響下にあるといっても過言ではない。つまり、その代表作を知らずして、現在の文化の深層はわからないのだ。今を生きる我々にとっての基礎教養とも言えるロック名盤を、作家・川崎大助が全く新しい切り口で紹介・解説する。

 

 名盤の背景にあるのは、歴史だけではない。別の軸もある。 

 

 地上のあらゆる事物と同様、名盤が誕生するときにもいつも、「必然」という名の運命が、そこに等しく関係している。この運命にはふたつのベクトルがある。タテとヨコ、時間と空間、それぞれのベクトルだ。これらが交差したとき、歴史的必然と社会的必然もまた重なり合って、名盤受胎の条件が揃うことになる。

 

 言い換えると、これら「ふたつの軸」を認識したとき初めて、あなたは「その1枚」を十全に理解し、咀嚼することが可能となる。なぜならば、アルバムを聴く、好むという行為とは、じつのところ、その背後にかならずある「時間と空間の広がり」へと、聴き手であるあなたが「導かれている」ことに他ならないからだ。それゆえ「旅をして初めて」理解できることは数多くある。

 

 録音された音楽を聴くことは、文学を読むことと同様、内面的に「時空を超える旅」に出るという行為なのだ。あるいは、特殊なクラシック・カーを駆って「ヒット・ザ・ロード」するようなものだ。精神世界のなかを。集合無意識の大海のなかを――。

 

 さてこの稿では、「空間」のほうを見てみよう。名盤が生まれるに至った、社会的必然や構造を、つまり「ヨコの広がり」について、解説してみたい。

 

 僕が挙げた100枚のチャート(現時点ではまだ90枚だが)に、狭義の音楽ジャンル的には「ロックではない」アルバムも数多く含まれていることは、すでにお気づきのかたも多いかと思う。ヒップホップはもちろん、ソウルもカントリーも、モダン・ジャズまでもがランキングされている。つまりこのチャートは、狭義ではなく「広義のロック」をとらえたものだ、ということになる。ではその「広義」とは、一体どこまでを含んでいいものなのか? この問いに対する答えを、これから僕は書いていこう。

 

 たとえば、すべてのモダン・ジャズが「ロックだ」と言うわけにはいかない。すべてのカントリーも、ちょっと難しいだろう。しかしソウル音楽の、R&Bのかなりの部分は「ロックに含んでもいい」かもしれない。ヒップホップの大部分も……といったところが、「広義のロック」に対する、米英におけるおおよその公式見解だろう。

 

 つまり、広義のロックの対象となる範囲がいかに広かろうと、やはりそこには「敷居」はある、ということだ。「ロックなもの」と「ではないもの」のあいだには、厳然として明確な壁がある。なんでもかんでも「ロックに含む、でいいや」とは、ならない。

 

 ではこの面倒くさい「敷居」の規準とは、なんなのだろうか? 「だれが決めている」のだろうか?――この疑問への、おそらく唯一と言える有効回答が、これだ。

 

「決めたい人が決めている」

 

 そして「無数とも言える人々が、てんで勝手に『決めた』」その敷居の最大公約数となるものこそが「広義のロック」の定義として一般化する。この過程において、かつて大きな役割を果たしたのが、20世紀の後半、ちょうどロック音楽が伸張著しかった時代に隆盛を誇った、音楽雑誌(新聞形態も含む)メディアだった。〈ローリング・ストーン〉や〈NME〉は、その代表格だ。

 

 ここで注目してもらいたいのが、この両者とも、じつは「ロック雑誌だ」と名乗ったことは一度もない、ということだ。にもかかわらず、両者とも、ロック・ジャーナリズムを代表するメディアとして、確固たる地位を確立した。つまりこういうことだ。両者が新しい音楽をフィーチャーしようとしたとき、その眼前に、激動する戦後社会の若者たちがいた。その者たちが愛好する音楽があった。そしてこれが「たまたま」ロックと呼ばれる音楽だった――それでこの両メディアは、ロックの情報および評論の総本山として発展していった。いや、両者の発展こそが「ロック音楽とは、どんなものなのか?」という定義そのものの成育に大きく寄与したことは疑う余地がない。

 

 つまりこのように、ある種手作りで、観察され定義されてきたのが「ロックという概念」の最大公約数および最小公倍数なのだ。「広義と狭義」のロックなのだ。そしてもちろん、僕が今回まとめたランキング・チャートも、「広義の」その最新ヴァージョンとして「定義の歴史」の一部となることを企図したものだ。

 

 じつはロックの歴史とは、一面、「定義の歴史だった」と言うこともできる。ここで「歴史」の稿で僕が書いた、DJアラン・フリードの行為を思い出してもらいたい。彼は「既存のR&Bに」ロックンロールという新しい名を与えた。つまり「新しいアイデアで、特定の音楽を『定義』した」わけだ。この行為の延長線上に〈ローリング・ストーン〉も〈NME〉もある。そしてミュージシャンも「逆の立場から」この歴史の流れに荷担している。「新しい定義が必要な」音楽を生み出す、という行為によって。

 

 たとえば、エルヴィス・プレスリーが一躍有名にした音楽スタイルである「ロカビリー」。これは、ヒルビリー(カントリー音楽の先祖)と「黒人のロックンロール(R&B)」の合体だとよく分析される。このように、「狭義の」ロックの原点だとも言えるスタイルの構造のなかにすら、すでにまぎれもない「異種交配」があったこと……ここに、ロック音楽の最大特徴がある。

 

 つまり、過去から連綿と続いてきた「純血種」を、そのままに次世代へと引き継いでいく――といった思想、行動原理を足蹴にして土足で踏んづけるような立場が「ロックの原点」だ、ということだ。ゆえに、血は混じる。「それまでの時代」の言葉では説明がつかないような音楽が生まれる。そこで「新しい定義」が必要となる。こんな順番だ。

 

 さらにこの音楽形態は、ひとつの名を与えられたあとも「新しい血統」としてまとまって、そこで落ち着くことはなかった。「ロックンロール」という形式のなかに「さらに別の音楽」は絶えず取り込まれていった。化学反応が連鎖した。そこで「ロックの定義」そのものも、幾度も刷新されていった。あたかも新語に対応しすぎる辞書のように。

 

 あらゆるものを取り込んで、いかようにも変化していける。しかも「どう変化しても」それがロックだと「わかる」ものこそがロックなのだ、という、まるで禅問答のような定義の繰り返しのなかにこそ、ロックの全歴史がある。(後編に続く)

 

次回も番外編として、コラム「7分でわかるロックの定義とその概念(後編)」を掲載いたします。お楽しみに!

 

この100枚がなぜ「究極」なのか? こちらをどうぞ

究極の洋楽名盤ROCK100

川崎大助(かわさき・だいすけ)

1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌『ロッキング・オン』にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌『米国音楽』を創刊。執筆のほか、編集やデザ イン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌『インザシティ』に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)がある。

Twitterはこちら@dsk_kawasaki

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を