第二十回 蛭子能収『ヘタウマな愛』
関取花の 一冊読んでく?

BW_machida

2022/02/04

冬の晴れた空は高く澄んでいて気持ちがいいので大好きなのですが、連日のニュースを見ていると、休みがあってもどこかに出かける気分にはなれないですよね。とはいえやっぱり外の空気は吸いたいし、太陽の光を浴びないと気分もどんよりしてしまうので、なるべく散歩くらいはするようにしています。この前なんか昼の13時から17時くらいまで、気づいたらずっと歩いていました。

 

「そんなに長時間歩いてよく飽きないね」と時々言われるのですが、本当に全然大丈夫なんですよね。時間ごとに変わっていく街の匂いや色を見ているだけでも面白いし、あとは私、マンション名やお店の看板、手書きの貼り紙なんかが本当に大好きで、そういうのを探しているといくらでも歩けちゃいます。

 

その中でも最近ハマっているのが、外に置かれた黒板の告知ボードです。ある美容院の外には、毎日その日の天気と気温、湿度、それに合わせたスタイリングのワンポイントアドバイスがイラストと共に描かれていて、癒されると共に参考になることも多いです。普段は若い女性の方が担当されているっぽいんですけど、ごくたまに「by 店長」と末尾に書かれている日は、どうやら男性の店長さんが担当されているらしく、少しぎこちない文字とイラストがこれまたいい味を出していて、結構楽しみだったりもします。

 

ケーキ屋さんなんかも黒板を外に出しているお店は多いですよね。私の家の近所にあるところは、プロの方が描いているのかと思うくらいお上手です。ちなみにあまりに気になったのでお店の方に聞いてみたところ、アルバイトさんが描いているとのことでした。きちんとしたお店のケーキって、断面を見ると何層にもなっていて、実はすごく手が込んでいる=イラストにすると難しかったりするじゃないですか。でもそこらへんもものすごくリアルに描かれていて、ケーキへの愛情を感じてさらにそのお店が好きになりました。

 

そこから15分ほど歩いた先にある和菓子屋さんでも、最近手書きの黒板を出し始めました。そのコメントにグッときちゃったんですよね。写真を撮るのを忘れてしまったので正確ではないかもしれませんが、「もうすぐバレンタインデー。何十年も一緒にいるあの人に、今年は和菓子をあげてみませんか?」という内容でした。

 

もう、なんかすごく良くないですか。バレンタインデーにあげた和菓子をこたつで向かい合って食べるおじいちゃんとおばあちゃんの姿とかを想像したら、ちょっと涙が出てきそうでした。バレンタインデーと聞くと、チョコレートを渡して好きな人に告白する甘酢っぱい青春イベント、みたいなイメージがなんとなく強かったりしますけど、べつにそれだけじゃないな、と。普段照れくさくて言えない言葉を甘い食べ物に代えて相手にプレゼントする行事だと思えば、いくつになっても、形を変えながらでも楽しむことができますよね。

 

ということで、前回はこんな質問をさせていただきました。

 

今月の質問:「バレンタインデーの思い出はありますか?」

 

今回もたくさんのご回答、ありがとうございました。渡す側も貰う側も、やはり学生時代のお話が多かった印象です。多感な年頃のあの時期って、相手がいようといなかろうと妙にドキドキしましたよね。そんな中、こんなお茶目なエピソードもありました。

 

お名前:もも
回答:こんにちは。花ちゃん。旦那と付き合ってた頃の話です。ちっちゃなチョコを365個ビンに詰めて、メッセージカードには「毎日、1つずつ食べてね。毎日がバレンタインデーだから」と書いて渡した事があります。自分的には頑張った! と思ったのですが、反応は「意味がわからないんだけど…」でした。

 

いやあ、ももさん、かわいい! ただイベントだからあげようとかじゃなくて、ちゃんとオリジナルな気持ちがこもっていて、しかも面白くて、一緒に楽しめる感じもして。特別な日に貰う大きなプレゼントはもちろん嬉しいけれど、365日自分のことを少しでも気にかけてくれているというその気持ちって、何よりも愛おしいものです。そして旦那さんの反応も、なんだかすごくいいバランスだなと勝手ながら思いました。凸と凹がいい具合で成り立っている素敵なご夫婦なんだろうなあ。

 

私の両親とかもそうです。サービス精神旺盛で、相手のことを喜ばせるのが何よりの生きがいみたいな母と、あまり素直な気持ちを言葉や形で表すのが得意ではない父(笑)。でも娘の立場からよくよく観察していると、一見そっけない態度に見えるけれど、心の中では「かわいらしい人だな」と思っているのがわかります。そして自覚があるのかないのかはわかりませんが、そういう母の明るさや少女のようなお茶目さに、父は何度も救われてきました。

 

ももさんのご主人も、なかなか言葉にはしないかもしれないけれど、きっといつもももさんのことを思っていますよ。だから今でもずっと一緒にいる。愛情表現っていろんなかたちがありますけど、上手すぎない方が人間くさくてよくないですか? 私はそう思います。

そこで今回ぜひご紹介したい本があります。蛭子能収「ヘタウマな愛」です。

 

「ヘタウマな愛」
蛭子 能収/著
2016年、新潮文庫

 

テレビでの愛されキャラや個性的な考え方、それにまつわる少し変わったエピソードのイメージが強い蛭子さんですが、元々は漫画家であり、エッセイストとしてもたくさんの本を出されています。

 

地元長崎での出会い、上京、同棲、結婚、ガロ入選。思いがけず始まった芸能活動、少しずつ大きくなっていく家、順調かと思われた毎日に襲いかかる病……本書は、亡くなった奥様との毎日を中心にご自身の人生を振り返る自叙伝的一冊です。いい時もわるい時も、いつだって隣にいて、時に叱り、慰め、笑い、喜びをわかち合ってくれた人がいなくなった時、人は何を思うのでしょうか。からっぽになった心とそれでも続いていく自分の人生とどうやって向き合っていくのか、蛭子さんらしいその答えに辿り着くまでの過程も含めて、てらいのない言葉で綴られた文章は、まさにタイトルの通り「ヘタウマ」な蛭子さんらしい愛情で溢れています。

 

 自慢じゃないが、俺は女房に「愛してる」なんて言葉は、一度も言ったことがない。
 そんなこと恥ずかしくて口に出せない。だけど、女房は女房でちゃんと俺の気持ちをわかってくれていたと思う。

 

結婚をしてからも、どんなに喧嘩をしても一緒のベッドで眠っていたという蛭子さん。言葉にはしなくても、背中合わせでも気持ちはわかるから、と。月に5本は一緒に映画を見て、感想を言い合って、そんな奥様と一緒にいる時間は、友達と一緒にいるよりも楽しかったと言います。

 

 こうやって暮らしを思い出してたら、ふと気づいたことがある。
 生きてた頃は、女房が俺のことを大好きなんだと思ってたけど、実は俺の方が女房のことをめちゃくちゃ好きだったんだなぁって。惚れてたんだなぁって。

 

生きている時は考えもしなくて、もちろんわざわざ伝えたりもしなかったけれど、後になって気づくその存在の大きさ。何かを失ったあと、今ならこんなに素直に言えるのに、どうしてあの時は言えなかったんだろうと思うことって、誰しもあることだと思います。でも、そんなに上手に生きられないからこそ築ける関係の深さとか、二人にしかわからない喜びとかがあるのではないでしょうか。

 

 俺は、「人間って、誰かを幸せにしたり、喜ばせるために生まれてくるものだ」と、そう思っている。一番身近な誰かって、結局家族でしょう。女房は、俺を幸せにするために生まれてきた。そして俺は、女房を喜ばせるのが運命だった。
 言い訳に聞こえるかもしれないけど、ギャンブルにしたって、女房の喜ぶ顔が見たいから一生懸命やってたところがある。

 

大のギャンブル好きで有名で、後に賭け麻雀で逮捕されたりなんてこともありましたが、そこには蛭子さんなりの美学があったことも本書では知ることができます。迷ったり失敗したりもあったけれど、「女房の喜ぶ顔が見たい」という思いがいつもどこかにあったから、たくさんの思いきったことができたし、蛭子さんはその“らしさ”を失うことなくさまざまな活動をしてこられたのでしょう。後半、第5章の末尾で蛭子さんはこう書いています。

 

 俺にとって、女房は家そのものだった。
 戻るところがあるから、寄り道ができる。
 灯りを頼りに、迷わず帰れる。
 女房は、そんな存在だった。

 

愛ってなんだろうとか、私自身あまりそういうのについて積極的に考える方ではありませんが、この文章を読んで、自分の中でひとつしっくりきた気がしました。自分の家って、当たり前にそこにあるからあえて口に出したりはしないけれど、どこにも何にも代え難い安心感があって、やっぱりここが一番だと思わせてくれる存在で、そこがあるから毎日生きていられる、何よりも大切な場所。

 

きっとももさんの旦那さんも、実はそういう風に思っていたりするんじゃないですかね。たぶん私の父もそうなんだと思います。もちろん、たまに言葉にして言ってくれたら、それはそれで嬉しいとは思うのですが(笑)。でも、そういうところがいつまでもどこかチグハグな「ヘタウマ」な二人の愛だからこそ、飽きずに続く毎日があるのかもしれませんよね。

 

 

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あっという間にもう来月は3月ですか。ダウンジャケットもいつまで着ていられるかなあ、今のうちにたくさん着ておこうっと。衣替え、卒業式、引っ越しなど、新しい日々に向けての変化も多い時期がやってきます。ということで、今月の質問はこちら。たくさんのご回答、お待ちしております!

 

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