【第15回】ついぼ 著:三砂ちづる
三砂ちづる『少女・女・母・婆 〜伝えてきたこと、つないできたこと、切れてしまったこと〜』

ryomiyagi

2019/11/20

近くて遠い神津島

 

神津島に行こうとした。伊豆諸島は東京都の島々なのであり、とりわけ伊豆諸島北部の伊豆大島から神津島などは、距離としては結構、東京から近い。空路を使えば、ほんとうに東京から近く、調布飛行場から1時間かからないくらいで神津島に着いてしまう。

 

沖縄や奄美など南西諸島のことを考えれば、実に、近い。近いけれど、そんなに簡単に行けない。神津島への飛行機のチケットはなかなか取れないし、取れたとしても、天候次第でキャンセルされてしまうことも少なくないのだ。

 

まず、チケットは、販売1カ月前の日の、朝8時半から電話で予約する。これが、まるでコンサートのチケット取りのような状態になっていて、ちょっと油断すると、もう空席がない。

 

なんといっても、飛んでいるのはドルニエ228というドイツ製の19人乗りの飛行機。大変優秀な航空機だそうだが、たった19人しか乗れない。19人しか乗れないのだから、プラチナチケット化するのも、むべなるかな。

 

とにかく朝8時半に電話しなければならないが、まっとうな勤め人であれば、平日の8時半などという時間にチケット取りの電話などできないことが普通なので、私たちも今回の渡航にあたって、「チケット取りアルバイト」を雇って、8時半から電話してもらったくらいである。それほどの思いをしてやっとチケットをゲットしても、天候次第で飛ばないことも多い。

 

台風が来たとか、大雨警報とか、そんなたいへんな天候不順になったから欠航する、というだけではない。雨が降っていなくても、霧が出ていたら、まず飛ばないのだそうだ。結果として、飛ぶかどうかは当日までわからない。

 

6月に訪問することを予定していて、チケットも取ったのだが、当日は荒天というほどでもなかったが、天気がすぐれず、結果として欠航した。

 

欠航したら次の便に乗れるか、というと、空いていれば乗れるのだろうが、空いていないことも多い。なぜなら前述したように「19人乗り」のプラチナチケットだから、次の便も、すでに予約した人でフルブッキング状態だからである。

 

島に住んでいる方々のおっしゃることには、ちょっと予定が入りそうなら、キャンセルすることになったとしても、まずは予約しておくのだそうである。

 

ともあれ、わたしたちは6月中の渡航はできず、9月になってやっと神津島に行き着くことができた。沖縄や奄美などの遠方の島よりよほどアクセスが悪い、とは、こういうわけである。行けるか行けないか、ぎりぎりにならないとわからないし、行けなかったら、すぐに再渡航計画がたつわけではない。

 

 

『天気の子』の神津島は、「頭上運搬」の地でもあった

そんなふうにして、やっとたどり着いた神津島。離島ではあるものの、そこは東京都内であり、また、うまく飛行機に乗れれば、一時間半で渋谷に到着できるようなロケーションだから、なんとなく都会っぽいところもあり、豊かな島の自然と、そのなんとなくの都会っぽさの共存が、なんとも言えない魅力をたたえた島である。

 

沖縄より澄んだ真っ青な海があり、有名なダイビングスポットらしいし、日本で一番美しいと言われるような白砂の浜辺もあり、東京からの所要時間の短さを考えると、信じられないような景色が広がる。

 

日本人が海外渡航を盛んにするようになる前、つまりは70年代から80年代にかけて、国内で巻き起こったという離島ブームは、この島にも押し寄せ、島に一つだけある集落のほぼすべての家が民宿をなさっていた時期もあるのだという。

 

2019年である今年は、『君の名は。』で国民的映画監督となられた新海誠さんの新しいアニメーション映画『天気の子』が封切られ、神津島はその舞台の一つとなった島としても知られる。あちこちに『天気の子』のポスターが貼られており、この高校が主人公のいた高校ですよ、とか、この展望台は映画に出てきますよ、などと、教えていただいた。

 

映画も観たが、映画公開の後に起こった2019年10月の幾度もにわたる大雨を彷彿とさせるような場面もあり、優れた芸術家の直感と洞察力についてあらためて考えさせられる。中高生の若い世代にとりわけ愛されているというこの映画の発想は、この島にある、ということであろう。

 

そういう神津島を訪ねたのは、この島が伊豆諸島の中でも、最後まで頭上運搬が残っていたところではないか、と聞いたからである。

 

 

利き手で「ついぼ」をつき、反対の手で荷物を支える

 

坂道を運ぶには、「ついぼ」がないとね、やりにくいわね、と、ふさ子さんは言う。2019年現在、80代であるふさ子さんは、伊豆諸島神津島で暮らしてきた。「ついぼ」とは、棒であり、杖である。

 

伊豆諸島神津島の女たちは、集落の周りに坂や山の多いこともあって、頭上運搬によってものを運んできた人たちなのであるが、頭上にものを載せて運ぶときは「ついぼ」をついていたのだ、という。

 

神津島での頭上運搬は、南西諸島で聞いていたように、両手を離して歩くわけではなかったようだ。両手で支えて運んでいたこともよくあった。しかし最も多かったのは、片手で荷物を支え、もう片手で「ついぼ」をつくことである。

 

平らなところであろうが坂道であろうが、この「ついぼ」、つまりは、杖をつく。頭にものを載せたら、杖をついて、足のバランスを取ると運びやすかったのだという。どこに行くにも杖はつきもので、持っていかないことは、まず、なかった。

 

頭上に荷物を載せると、利き腕で「ついぼ」を持つ。利き腕でない方で荷物を支える。ずっと片手で支えていると、疲れるでしょう、と聞くと、疲れるけれど、しょうがないから、とのこと。

 

「ついぼ」はだいたい地面から胸の高さくらいの長さで、持ち方に特徴がある。人差し指から小指の4本の指で棒をつかみ、ついぼのてっぺんに親指をのせる。決して4本の指と親指で棒を握るような持ち方はしない。そんな持ち方じゃあ、意味がないから、とおっしゃる。「ついぼ」のてっぺんに親指をのせていることで、うまくバランスが取れて、頭上にものを載せて運べる、というのだ。

 

 

頭にまず「あげもの」を載せて、それから荷物を載せる

 

バランスが取れて歩きやすい「ついぼ」の丈、つまりは親指でおさえる位置は、だいたい胸の位置、と書いたが、それぞれの女性によって、やりやすい位置が決まっている。その位置に親指がくるように「自分の長さ」の「ついぼ」が必要になるのである。

 

竹林の竹を切って使ったりしたこともあるし、近所の大工さんにすべすべした木で作ってもらったこともあるという。妻の背丈に合わせて作ってあげたこともある、とおっしゃる男性もおられた。

 

頭の上には、「あげもの」を載せる。これは、南西諸島で使われている、藁をドーナツ状の形にして頭の上に置く「ガンシナー」とはまったくちがう、布製のものである。頭の上に直接、運ぶものを載せると、すべって落ちてしまうから、布をぐるぐる巻いたものを頭の上に置いて、その上に運ぶものを載せて、落ちないようにするのである。

 

ネルや布団生地の古くなったようなかなり大きな布を使い「あげもの」にする。この布を、家を出る時には腰に巻いておき、いざ荷物を運ぶ、となったときには、腰から外してくるくると巻いて頭上に載せて、クッションのようにする。

 

ふさ子さんに、南西諸島の「ガンシナー」を見せると、あら、これじゃあ、かたいから頭が痛くなるんじゃないかしら。わたしたちは「セメンさぎ」といってね、30キロのセメントの袋をふた袋、頭に載せて運ぶ仕事もしたりしたから、やわらかいものを載せていないと、痛かったと思うのね、とおっしゃる。

 

「ついぼ」と「あげもの」は神津島独特のものであるようだ。伊豆諸島の他の島々についても頭上運搬の詳細を追いたい。

「少女・女・母・婆」

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年山口県生まれ。1981年京都薬科大学卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)、琉球大学保健学研究科修士課程卒業。1999年ロンドン大学にて疫学のPhD。ロンドン大学衛生熱帯医学院リサーチ・フェロー、JICAの疫学専門家として約15年間、疫学研究を続けながら国際協力活動に携わる。ブラジル北東部セアラ州に約10年在住。2001年より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務(応用疫学室長)。2004年より津田塾大学国際関係学科教授(多文化国際協力コース担当)。
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