akane
2018/11/12
akane
2018/11/12
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
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溜池から坂を上って六本木に向かう都電の写真。
今はこの上を首都高が通っているが、64年の段階では影も形もない。
首都高は東京の景観を大きく変えた。
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次の写真は、さらに6年さかのぼった元赤坂の写真だ。
赤坂見附の交差点からちょっと離れた元赤坂一丁目付近で撮影したものだ。トラム(路面電車)の後ろの急カーブのあたりが、ちょうど元赤坂になる。
道が掘り返されているのは、西銀座から新宿への丸の内線の建設工事か首都高建設のためだろう。
都電の脇の荒れ地のように見えるところは、これからホテルニューオータニが建設される場所だ。という情報は、手元にある東京の地図で確認した。
この都電には3という番号が付いているが、3系統というのは、品川から飯田橋を走っていた。車体が他の都電より小ぶりなのが特徴だった。
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