お嬢様の火遊びを乳母が手助け…絵だけでは推し量れない状況がわかる 春画にまつわる素朴な疑問その7
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「春画」と言えば、着物を半分まといながらのアクロバティックなくんずほぐれつ、誇張された巨大な性器…といったものがまず思い浮かびます。春画に特有なこれらの描写、実はそれぞれに深い意味合いがあるのをご存じですか?
『[カラー版]春画四十八手』(知恵の森文庫)の著者で江戸文化にも詳しい車浮代さん(http://kurumaukiyo.com/)が、同書刊行を記念し、より深く鑑賞するために知っておきたい「春画にまつわる素朴な疑問」にお答えします。
奥深い春画の世界、“知ってから見る”とまた違う地平が広がります。

 

勝川春章『股庫想志春情抄』

 

Q7. 文字入りの春画には、何が書かれているのですか?

 

背景に文字が入っている春画のほとんどは、なぜその絵の状況に至ったかの説明文(詞書《ことばがき》)や、登場人物のセリフ(書入《かきい》れ)、もしくはそれらの両方が書き込まれております。

 

文字を読むと、絵を見ただけでは推し量れない状況が判明することも多ございます。例えば、夫婦だと思っていたらW不倫だったとか、嫌がっているのかと思ったら喜んでいたとか、大店のお内儀さんが若い奉公人を食っているのかと思っていたら義母と養子だったとか、娘だと思っていたら女装した美少年だった、等々……。

 

また、『笑点』(日本テレビ系)の大喜利に出てくるような、謎かけや川柳、狂歌、都々逸などの洒落文が、書入れとは別に、絵の上部に書かれている場合もございます。

 

拙著『【カラー版】春画四十八手』でも取り上げております今回の図版、勝川春章作『股庫想志春情抄《またぐらそうししゅんじょうしょう》』の上部には、「みじかくてありぬべき(あるに違いない)物」として、「げす女の髪」「娘の声」「わけて男根《どうぐ》は太く短きにしかず(かなわない)」と、「尽くし言葉」が書かれております。

 

この時代、ぐれた娘は前髪を短く切って髷を結っておりました(ちなみに「ぐれる」は江戸の町で発生した言葉で、蛤をひっくり返した「ぐりはま」が由来。蛤の殻をひっくり返すと合わなくなることから)。次に、若い娘のよがり声は、恥じらいがあるので「あっ、あっ、あん」などと短く、長い男性器は女性への負担が大きいことから敬遠され、短くて太いモノが良しとされたのでございます。

 

また、絵の余白にある書入れを読むと、まずは中年女が、格子の隙間から浅草紙を差し入れながら「これこれ、紙をあげよふ。私がここにいるから、怖い事はない。静かにたんとお話し」と言えば、庭の隅で逢い引き中の少年が「このやうに逢はれるも、お乳母どののおかげだ」と喜びつつ、娘に「まだ痛かろうから堪へていな」と。ここから、中年女は娘の乳母で、彼女の手引きによって、二、三度逢瀬を重ねていることがわかります。これに対して娘は「痛くてもええよ。もふもふ、いっそ嬉しい。おまへに逢うのを昨日から楽しみにしていた」と、けなげな覚悟が伺えます。

 

恋に燃え上がる男女の気持ちに違いはなくとも、現代ならば、お嬢様の火遊びを乳母が手助けするなど、なかなかありえない設定でございますが、これが許されたのが江戸時代。

 

春画を読み解くと、このように江戸時代と現代との共通点や相違点がわかり、面白いものでございます。

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