「子どもに頼りたい」と思っていても言い出せず、悶々とする高齢者たち
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頼りたい思いを歪んだ形で表現してしまう

 

高齢者の中には、子世代との複雑な関係に悩み、自分が望んでもいなかった事態に陥る人も増えている。

 

「子世代が親の世話をするのはあたりまえ」という意識が、多少とも残っていた90代以上に比べ、80代の高齢者になると、元気な間は「子どもの世話にならない、なれない」という意識が強い分、子どもの方にも親をみるという意識が薄くなっている。

 

そうした中、じつは子どもに頼りたいと思っていても、自分の方からそれを言い出せず、自分が倒れた時どうなるか、どうすればいいかわからないと悶々と日を過ごす人、さらには頼りたい思いを歪んだ形で表現し、関係を悪化させるだけではなく、思わぬ結末を自ら招く人も出ている。

 

前者の例として、83歳の男性が重い口調で語った現在の心境を挙げよう。

 

「自分は83歳で、家内の介護は自分がして、数年前に見送りました。で、自分の世話は息子の嫁にしてもらうしかない。だから、嫁さんの考えを聞いてみたいが、よう聞けん。自分はどうなるんだろうか、施設に入らんといけんのだろうか。でも、施設は金もだいぶんいると聞いてるし、そんな金はないし。あれこれ考えると夜も眠れんことが多いんです」

 

娘への「試し行動」がスルーされ、施設入所の危機に

 

また、後者の例として、知人が自分の友人(83歳)のこととして語った高齢の母親と子世代との関係を挙げよう。

「娘と息子がいる83歳の友達がいるんだけど、息子に『そろそろどこかに入らなきゃいけんかね』と恐る恐る聞いてみたら、『具合が悪くなってから探せばいいじゃない』と軽く言う。

 

でも、同じことを娘に聞いたら、娘がいい返事をしない。娘の方は自分が手を下さんといけんからね。

 

で、娘がいい返事をせんので、娘を試したわけ。ケア施設の申し込み書を取り寄せて、『この施設に入ろうと思うから』と娘に言ったというのよ。

 

そしたら娘が保証人になってくれたんだって。本当は絶対的に断ってほしかった。『母さん、やめなさい。弟もいるから、私たちがみるから』。そう言ってほしいのに、それを言わない。

 

それで(施設に)お願いしますと申し込んだんだって。で、いったんは『空きがない』と断られたんだけど、『空きができました。どうぞお入りください』と言ってきた。

 

でも、本当は入りたくない。本人は娘を試しただけだからね。子どもの世話にならない、なれないと言いながらね。本当は世話になる気十分なんよ」

 

頼らないと言いながらも、愚痴を言い続け、子どもを追い込む

 

この女性の場合は「試し行動」で施設入所にまで追い込まれている。

 

だが、ここまで至らなくても、「一緒に住むのは自由がなく、気兼ねするからしたくない」と言いながら、「長生きし過ぎた。生きててもいいことなんかひとつもない!」「親のことを忘れたんだろう。電話ひとつしてこない。寄りつこうともしない。……」などなど、ため息交じりに愚痴を言い続け、はっきりと「お願い、助けて」と依頼することなく、手助けせざるを得ない状況に子どもを追い込む。そうした中で、親子関係がこじれていく。こうした例も少なくない。

 

こうしたケースを見聞きすることが多い中、現代の70代、80代で老夫婦暮らし、ひとり暮らしの場合、何より必要なのは、

 

・いざ倒れた時、誰に発見してもらうか。
・発見された後、誰につないでもらうか。
・いったん回復した後、「ヨロヨロ」しながらでも自力で(もしくは夫婦2人で)どう暮らしを乗り切っていくか。
・その時、誰に自分を見守り支えてもらうか。
・自力で暮らせなくなった時、自分は何処で誰と暮らしたいのか。 ・施設を希望するのであれば、どんな施設を望むのか。
・今の医療や介護制度はどうなっているのか。

 

などなどを考えたり調べたりしておくことであり、そうした「ヨロヨロ」期に必要な具体的手立てや情報収集を、誰かに丸投げして委ねるのではなく、自分も収集して考え、元気なうちから備えておくことの大事さを、改めて強く感じたのである。

 

 

以上、『百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』(春日キスヨ著、光文社新書刊)から抜粋・引用して構成しました。

 

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