akane
2019/03/07
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2019/03/07
前回は、謎の恒星である白色矮星の話をしました。白色矮星は暗いのに表面温度が高い恒星です。暗い=恒星のサイズとしては小さい。表面温度が高い=単位面積当たりに放射される光は多い。これらの条件を満たすには、恒星の密度が非常に高い場合に限られます。
そして、密度計算したのは、エストニアの天文学者エルンスト・エピック(1893-1985)と英国のアーサー・エディントン。彼らが出した答えは、太陽の平均密度の2万5000倍。そして、エディントンは「マッチ箱で1トンの重さになる」と語りました。
問題は、なぜそんな高密度の恒星が安定して存在できるかということでした。まだ1920年になる前のことで、答えを出すことはできませんでした。なぜなら、白色矮星の高密度を理解するには量子力学の助けが必要だったからです。
そして、1920年代中葉から発展を見せた量子力学が、ようやく白色矮星の謎を解いてくれました。
白色矮星のような高密度の恒星の内部では、原子核(陽子など)や電子がぎっしりと詰まった状態になります。この状態を理解するには、量子力学の助けが必要だったのです。恒星は、その高い密度のため重力収縮していきますが、崩壊を食い止める働きをするのは自由電子です。電子は同じエネルギー状態をとることができません。これは ”パウリの排他原理”と呼ばれるものです。
オーストリア生まれのスイスの物理学者ヴォルフガング・パウリ(1900-1958)が1925年に提案した原理です。
この性質のため、電子は圧縮されてもお互いに反発し、圧力を発生させることができます。これは電子の縮退圧と呼ばれるものです。この圧力のおかげで白色矮星は重力崩壊することなく、安定に存在できることがわかったのです。
こうして白色矮星の謎は解けまいた。白色矮星は太陽ぐらいの質量の恒星が、地球程度の大きさに収まっているものです。そのため、異常な高密度になっています。
しかし、恒星の中にはもっと重いものもたくさんあります。
それらの恒星の運命はどうなるのでしょう?
つまり、コンパクトで高密度な恒星の世界は、白色矮星のみにとどまらないのです。
その問題に挑戦したのは、インド生まれの米国の天体物理学者スブラマニアン・チャンドラセカール(1910-1995)でした。
インドのマドラス大学を卒業後、彼は英国ケンブリッジで研究生として天文学の研究を続けることになりました。その旅は長い船旅でしたが、なんとその旅の途中で、白色矮星の質量には上限があることを見つけたのです。
ちなみに、チャンドラセカールは数学の天才で、数式を操るのが得意でした。私は大学院生のときに彼の恒星進化論に関する論文をいくつか読んだことがありますが、数式だらけの論文でした。しかし、彼はこう言っていました。
「私の論文に無駄な数式は一つもない」
彼の着想は、白色矮星は高密度なので、正しく理解するには量子力学だけではなく、一般相対性理論も考慮に入れなければならないというものでした。彼の計算では太陽質量の1・26倍を超えると、電子の縮退圧では恒星が重力崩壊することを止められないことがわかりました(現在では、太陽質量の1・44倍とされています)。この質量はチャンドラセカール限界と呼ばれるようになりました。
ここで、また恒星の重力崩壊が出てきました。重力崩壊の行く先は、密度無限大の運命が待っています。
物理学が嫌う密度無限大です。
このアイデアに真っ向から反対したのが、かのアーサー・エディントン卿でした。
彼は恒星物理学の国際的な権威であり、彼の反対はチャンドラセカールの脅威でした。当時はエディントン卿のみならず、多くの天文学者が普通の恒星の構造や進化を研究したこともあり、重力崩壊に至る恒星のことなど眼中になかったこともあります。加えてエディントン卿の反対があるのだから、チャンドラセカールも目立った動きをすることができませんでした。ただ、最終的にはチャンドラセカールが正しかったのです。時代の空気が悪かったということなのでしょう。
結局のところ、エディントンは量子力学と一般相対性理論の”結婚”を許さなかったのです。一般相対性理論の生みの親であるアインシュタインがそうであったように。
エディントンは極めて優秀な天文学者であり、また一般相対性理論のよき理解者でもありました。アインシュタインとエディントン――。二人の天才の信条のようなものがブラックホールの研究にブレーキをかけていたことには驚かされます。
これも、歴史の綾としかいいようがないのかもしれません。
※以上、『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(谷口義明著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。
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