私は女性差別の被害者になったことはありません。:上野千鶴子氏の祝辞に思う
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私は女性差別の被害者になったことはありません。

 

…とこれまで思ってきた。正確に言えば、これまでのキャリアで、女性差別が存在することは目の当たりにしてきたけど、そんな奴とは喧嘩して勝てばいいぜ、自分が実害を被らなかった以上、私にとっての女性差別は存在しない、そんなふうに思ってきたのだ…。どんだけボーッと生きてんだよ、とそんな自分が今ほんとうに恥ずかしい。

 

目の前の敵をツブせばいいと思っていた

最終的に被害として成立させなければ結果オーライと考えていた自分。最初に就職した大学(注1)では、歓迎会で「この組織(部会)で初めての女性、歓迎します」というにこやかなメッセージに続いて「実は(大御所的存在の)○○先生が女性(あなた)の採用には反対だったので危ういところでしたよ、女性だったら(これまた大御所の)事務員の女性とウマが合わないだろうからって。」だって。そのような低次元な偏見の実害を危うく被りかけたことへの怒りより、「おっさん達アタマ大丈夫か?」というドン引きインパクトのほうが強すぎて、「これ友達に話したらウケるわ」と喜んだお気楽な私にこそ今怒りが湧いてくる。(注2)

 

さてこのように最初から女性が少なければ(本当に誰もいなかった!)、人事権を持つ集団も男性ばかり。が、その後女性の採用も徐々に増えてきていた矢先、あるとき「前回の人事でも女性を採用したのに次もまた女性というのはバランスが悪い」と発言する委員がいて、人事提案が覆されかけたこともあったっけ。バランスってアンタ、ホナ今までは何やねん?と全力でツッコミたおしてやったよ。

 

不当な差別をする人間がいれば、ツッコミ勝ちさえすればいい(そこまでいうほどのきらびやかな武勇伝があるわけでもないけれど幸いそれで対応可能な相手ばかりだった。)。そしたら私の視野の中では女性差別なんて存在は抹消できるからノープロブレム…。

 

それは、単に、運がよかっただけなのに。なぜ女性の機会だけが阻害されるのか、という社会全体の問題の生身の事例をこれだけ目の当たりにしていながら、もっと他にもすることあったんじゃないかと今強烈に感じてこれを書いている。

 

(注1:現在の勤務先大学ではありません。また、この大学で勤務した年月自体は最高に楽しかったです)
(注2:発言の張本人にこの件を問い詰める機会はその後得られましたが、結局「こんなことを言ってやったぜ」という自己満足で終わらせてしまったことが問題だと今は思っているのでこのエピソードは割愛します)

 

機会平等という無垢な前提

 

医大不正入試問題や、上野千鶴子氏の東大入学式祝辞への一部の反応を見るにつけ、世の中には、現実社会で男女には平等に機会が確保されている(それを活用できないのは一律自己責任)という無垢な前提を疑わない人がいるのだと改めて感じる。

 

「なぜ東京大学には女子が少ないと思うか」というテーマで英作文の課題を出したところ「本質的に男子より女子は知性において劣っている」という趣旨で真面目に書く学生がいる、と外国人教員がこれまたドン引きしていた。しかしこの学生は本当に悪気もなく純粋に、機会は公平、違うのは能力だけ、と思っているのだろう。

 

小さい頃から秀でた能力を肯定的に評価され応援され続け、そんな同類同士が集まる選ばれた環境で正々堂々としのぎを削ってきた(たぶん)男の子の像が目に浮かぶ。

 

東大合格者に女子が少ないのはなぜって(点数操作は、うちは、してませんよ!)、まず女子受験生が少ない。(自分の知っている環境なので東大の話をするが東大限定の話ではない)

 

考えてみれば、難関大学の合格者を大量に輩出してナンボ、が目的とは言わないが、実際そうした数字を誇る超進学中高一貫男子校、さて全国に一体いくつあることか。地域格差は大きな問題になっているものの、首都圏のいわゆる御三家以外でも瞬時に有名どころを多数挙げることができるだろう。

 

じゃあ女子は?東京には女子御三家ってあるけれど、全国では… 増えつつはあるのだろうが数の違いは歴然だ。

 

自らの能力の許す限りの最高の教育環境を目指すことを周囲から全力で応援されている男子の数と女子の数は、全国規模でみれば小中学校の段階で圧倒的に違うんだってば。

 

そもそも応援されない

 

では、せめて男子校と同数程度の数だけ地方にもそういう超進学女子校があったとしたら?残念ながら男子校と同等の需要はないだろう… そもそも全力で頑張って欲しくないから、というメッセージを受けながら育つ女子は多い、という指摘は初耳でないはず。朝ドラの世界だけじゃなくリアルに。

 

女子は、特に地方では「女子だから短大」「大学行くなら実家から通える範囲でないと不可」と言われるケースが少なくない(短大という選択自体を悪くいう意図はなく、四年制大学を希望しても短大しか選択させてもらえないというケースをここでは問題としている)。

 

実際うちの親の周囲では、娘を遠方に進学させて一人暮らしさせるのは世間体が悪いという価値観さえ共有されていた。

 

勉強のできる女子の褒められ方はたいてい「賢いね、すごいね、男の子だったらよかったのに残念ね」ときたもんだ。「残念」って何やねん!

 

いつの時代の話だよ、と思ってる?

 

「いつの時代?」と突っ込まれる前に自分で突っ込んでみたが、残念ながら我々(ちなみに私、辛うじて40台後半)の親の時代はそうだったよね、という話ではない。価値観は親から子にきっちり連鎖する。

 

学生のころ、留学のチャンスを生かさない理由が「婚期が遅れるから」と言う後輩がいたのを覚えている。また、当時の同級生が今まさに親になって、「うちは女の子だから勉強はそんなにがんばらせないつもり」と言うのを聞いたのは一度ではない。このままでは、今生まれた赤ちゃんだって、これから生まれる赤ちゃんだって、全力で応援されない女子予備軍なのか。

 

「私は女性差別の被害者になったことはありません。」という気でいた私も、たまたま幸運にして真っ向から悔しい体験に泣いた経験こそない(もしくは鈍感すぎて気づかなかった)だけで、子供の頃からこうした空気の中で生きてきた結果、問題をごくローカルな範囲に矮小化するよう適応してしまったのかもしれない… 目の前の相手に勝てばいいなどとうそぶくことによって、社会という大きな相手には敵前逃亡でしたか…。なんてことに50歳を前にした今更思い至る次第。

 

当事者じゃない人間が重要

 

さてここまで私が挙げてきた問題(どんな不公平があるか)は、ひとつとして新しい指摘でも何でもない。オリジナルなのは実例だけだ。最近世間で最もインパクトがあったのが上野祝辞ではあろうが、それとて(上野氏自身が言うように)「あたりまえ」のことばかりだと。

 

だから、本当は知っているはず。周囲から全力で応援された同類たち同士のフェアプレーで見事に勝ち続けた人たちも、自分や同類たちのいる世界の外側にまで目を向けたら本当は平等なんかじゃないらしいこと。同じ土俵に登るルートがそもそもない人だっていることを。

 

だけど自分が日の当たる方にいる限りはそんなに気にならなかった?だからといってあたかも差別の加担者のように言われたら気分は悪いだろうけれど。

 

現実問題、これら日の当たる場所をずっと歩いてきた人たちは世の中で所与の力を持っている。だからやっぱり使ってほしい(このあたりも上野祝辞のパクり気味だな)。現状維持で自分は損しないけどという時にこそあえて。不条理に対して、あえて当事者以外がおかしいよと感じること、意思表示をすることが空気を変える鍵になるのだ。利害が逆のはずの人間にしか出せないインパクトがあるのだ。

 

男女差別問題だけではない。マジョリティ側にいるからこそ、マイノリティを理解し代弁する声はてきめんに目立つ。っていうかマジョリティ側の人間にしかそもそも発言権がない場もたくさんあるから。

 

そうね…例えば…たとえその場が全員男性でも、「女性を採用したら、事務員の女性とウマが合わないだろうから却下」とかいう同僚がいたら、速攻「アホか」くらいは男性の口から言って欲しかったな…。

 

そしていつか、「○○大では女子学生にだけ家賃補助三万円?男女の教育機会は平等なのに贔屓だ!」という前提部分が、もっともなものになる日が来ますよう。もちろんそのときは男子に加勢するよ!(注3)

 

(注3)東京大学では女子学生の住まい支援の一環として三万円の家賃補助を支給する取り組みが現総長のもとで行われています。報道では「三万円支給」の部分だけが一人歩きしたため私も「はっ?何その的外れな対応?」と思ったものですが、総長の著書を読み、ただ三万円ばらまく話ではないのだと今では理解しています。

 

広瀬友紀(ひろせ・ゆき)
ニューヨーク市立大学にて言語学博士号(Ph.D.in Linguistics)を取得。電気通信大学を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授。研究分野は心理言語学・特に言語処理。『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 』岩波書店
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