「生きづらさ」という鎖を一本でも外せる『脳はみんな病んでいる』

清水貴一 バーテンダー・脚本家

『脳はみんな病んでいる』新潮社
池谷裕二・中村うさぎ/著 

 

 

バーにはさまざまなお客さんが訪れる。バーテンダーの最初の仕事は、お客さんのコンディションや来店動機の感知に勤めることだ。

 

ハッピーな客もいるが、酷く疲弊した客もいる。酒を飲む理由は、十人十色である。精神状況がまったく異なる者同士が一本のカウンターで酒を飲む。そこには、お客同士のマウントポジションの奪い合いともいうべき、所得格差、知識格差、美醜差別、同属嫌悪、過度な承認欲求、アルハラ、セクハラ、などの挙動や感情が入り乱れる。更には、下戸のお客とアルコール依存症手前のアルコール許容格差まで加わると、まさに混沌、いつトラブルが発生してもおかしくはない。みながハッピーに酒や会話を愉しんでくれたら、どれほど気が楽だろう。だが、実際はそんなに甘くははない、それが、バーだ。

 

ハッピーであれば何をしても許されるわけではないし、疲れ果てている人を腫れ物に触るように対応してもまずい。放って置くのはもっとまずい。

 

バーテンダーは、お店全体に流れる心地よい空気感を保ちつつ、お客さんの微妙な感情を汲み取り、少しでも愉しんで頂くことがお仕事だと自負している。

 

そして、お客さんの気分はすぐに変化することも、忘れてはならない。

 

 

酒を飲んでいるのだから当然といえるが、少し目を離している隙に、まるで別人のように豹変していることも少なくない。

 

そういった「人間の欲求」について日々考えることはじつに愉しくもあり恐ろしくもある。そんな疑問の多くを、この本は明快に教えてくれている。

 

本書は、脳研究者の池谷裕二さんと、スティッフパーソン症候群という神経系の難病を持つ作家の中村うさぎさんが、対談形式で脳にまつわる知られざる実情を詳らかに語ってくれる。そのユーモアに溢れた軽妙な語り口は、まるでバーで一杯やりながら語り合っておられるようで、わたしの店であれば「今日は店のおごりです!」などと口が滑ってしまうほど、知的刺激に溢れている。

 

まず、池谷氏の脳研究の根源的の疑問である「正常とは何か」という禅問答的疑問が実に興味深い。古代ギリシアの哲人ソクラテスの、「数字の答えは多数決では決まらない。善悪の判断も同じだ」という言葉を引用し、遠い昔から現在に至ってもなお、多数決は正しいとされており、「正常と異常」や「常識と非常識」の線引きさえも、暗に多数決が通底している、という池谷氏の考えに心から共感した。正常か異常かは、社会(集団生活)環境の中で経験する失敗体験や成功体験で学び、理解していくものだと考えるが、みな少なからず行き過ぎた個性(異常)は持っているように思う。そして、異常レッテルを貼られないよう社会に習い、足並みを揃えて自らを矯正する。自分の異常性はそっと隠し、多数決社会のマイノリティーに入らぬよう、感情を抑え、個性を殺し、自己主張に蓋をして暮らしている人も少なくないだろう。そんな生きづらいことを、なぜするのか?そう、「みんなもやっているから」にほかならない。まさに多数決だ。バーに来るお客は、そういう「生きづらさ」をほんの束の間だけでも、酒を入れて本当の自分を再確認しているのだと思う。鬱屈した規律社会のしわ寄せが、夜に解放されるのだ。

 

大いに結構である。それこそが酒やバーが存在する理由そのものだからだ。

 

また、本書に登場する脳に関わる病気は、認知症やアルツハイマー病だ。

 

記憶を失っていく病だが、記憶には階層性があるようで、服を着たり歩いたりすることはなかなか忘れないが、家族を、とくに配偶者を忘れてしまうことは珍しいことではないようだ。比較的、記憶の浅い階層にあるようで、「家族の絆は固い」という考えは、人間社会が後から作った強制観念にすぎないという。そんな哀しい話があるだろうか。愛する人や仲間を忘れていく病。更に、アルツハイマー病は40代頃からゆっくり進んで行くことがわかっているようである。恐ろしいとしかいいようがないが、だからこそ今を悔いなく生きていこうと肝に命じた。

 

その中で、今が生きづらい病もある。自閉スペクトラム症だ。本書の後半は、この自閉スペクトラム症について語られている。人間は「今」を生きることがもっとも重要であること、そしてこの社会が生きづらいということも、著者たちは実感しているようだ。

 

ドクターXという精神科医が、二人を診断していくことになる。果たして彼らは自閉スペクトラム症なのか、否か!?というドキュメンタリーテイストもおもしろい。

 

 

その診断の中に、「ワシ人間」と「シマウマ人間」という話が実に解りやすく芯を食った。肉食のワシが自閉スペクトラム症で、草食のシマウマが健常発達者だ。草食シマウマ社会を一般とした場合、その中に肉食のワシがシマウマのぬいぐるみを被って親や社会から強要されて草を食わされる、こんなつらいことはないと。更に、無自覚でシマウマを演じているので、そのつらさの原因がどこから来るのか自分ではわからないでいる。

 

一番の対症療法は、自分がワシ人間であると知ることだ、とドクターXはいう。

 

少なからず生きづらさ感じている人がいたなら、是非この本に示されている、自閉スペクトラム症の診断基準に目を通してほしい。何かに気づくかもしれない。

 

ドクターXが結びにとても救われることをいっている。

 

「自閉スペクトラム症も当事者が自身の症状にきちんと気づき、そして、周囲の人々にも正しい知識があれば、適切な方向に学習か進み、『生きにくさ』はほぼ消えるはずです。(中略)これが実現すれば、自閉スペクトラム症はただの個性となり、もはや障害とはみなされないでしょう」と。

 

わたしのバーに来る何人かの「ワシ人間」風のお客さんには、この本を紹介している。

 

生きづらさという鎖の一本でも外せるのではないかという祈りをこめて。

 

それもまた、バーテンダーの仕事である。

 

読後、何かから許された気持ちになったのか、少し身体が軽くなった気がしたのは、紛れもなく「ワシ人間」であろう自分自身がはっきりと自分を承認した瞬間のように思えてならなかった。

 


『脳はみんな病んでいる』新潮社
池沢裕二・中村うさぎ/著

この記事を書いた人

清水貴一

-shimizu-takakazu-

バーテンダー・脚本家

1972年生まれ、石川県金沢市出身。  1999年、東京・中目黒でbar「パープル」をオープン、現在もバーテンダーとして働いている。脚本では、ショートアニメ「フルーティー侍」「マルタの冒険」などがある。

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