akane
2019/06/25
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2019/06/25
望遠鏡による天体観測が始まったのは17世紀の初めです。
望遠鏡の発明は、1608年に望遠鏡の特許を申請した、オランダのめがね職人ハンス・リッペルハイによるものとされることもありますが、同時期に他にも自分が発明したと主張する人物がいました。しかも、望遠鏡らしきものが作られた記録は、もっと以前の16世紀、もしくは15世紀にもさかのぼるともいわれていて、はっきりしません。
リッペルハイの発明がヨーロッパに広く知られることがきっかけとなって各地で望遠鏡が作られ始め、1609年にはガリレオ・ガリレイが望遠鏡を天体に向け、月の表面が凸凹であることを発見しています。
太陽黒点(太陽の表面を観測した時に黒い点のように見える部分のこと)は11年周期で増えたり減ったりしています。そしてちょうどこのころからしばらくは、黒点が多い時期に当たっていました。
1610年12月、イギリスの天文学者トーマス・ハリオットは太陽を観察し、望遠鏡で見た黒点の最古のスケッチを残しています。ただ、自身でそれを出版することはなく、長らくの間、彼の観測は広く知られることがないままでした。
一方、ガリレオは1610年夏ごろには望遠鏡を太陽に向けて黒点の存在を確認していたらしいのですが、観測記録は残していません。彼は詳細な黒点の観測を行って記録していることでも有名ですが、それはもっと後の話です。
その後、ドイツのファブリチウス父子が1611年に独自に黒点を発見し、継続した太陽の観測を行って黒点が太陽面上を移動していくことを見出し、「太陽は自転している球である」と結論します。
直接望遠鏡で太陽を見てもまぶしくて危険なので、彼らは太陽表面を観察するためにまず早朝の減光した太陽を見ることから始め、ついでスクリーンに太陽像を投影する形の望遠鏡を作るという工夫をして観測しています。彼らは、黒点が太陽の縁に近い時ほど(見かけ上)遅く、中心近くでは早く動き、太陽面を横切って端までいって見えなくなり、しばらくすると反対側からまた見えてくる、ということを発見しています。
これは、一定速度で自転する球とともに黒点が動いているとすれば理解できる振る舞いです。実際、太陽は地球から見て約27日で1回転していて、黒点は生まれたり消えたりするものですが、形は変化しつつも太陽の1自転以上の期間にわたって見えるものもあります。
そしてこれは実は、太陽の形状を初めて明らかにした、画期的な発見です。
地球や月が球であることはギリシャ時代に分かっていましたが、太陽については、当時のキリスト教の自然観の中で観念的に、神が作った天体は完全無欠なものだから球形であるとされていただけで、それを実証できた人はそれまで誰もいなかったのです。
しかし一方で、太陽表面に黒点のようなシミがあるとすると、太陽は完全無欠な球ではないということになります。これは、キリスト教の考え方に反するものです。
太陽には黒点があって自転していると発表したのは息子の天文学者ヨハネス・ファブリチウスでしたが、天文学者であるとともにキリスト教の牧師でもあった父のダーヴィト・ファブリチウスは、この結論に不賛成だったようです。
ドイツのクリストフ・シャイナーも、やはり独自に黒点の存在に気づいて、1611年から観測を始めています。さらにその後、ガリレオが詳細な黒点の観測を始めています。
シャイナーもガリレオも、黒点が生まれたり消えたり形が変化したりすることに気づいていて、まさに太陽は見かけ上、日々変化していることを見出したわけです。
ガリレオは、黒点が自転する太陽の表面に現れたものであると正しく認識していました。一方、シャイナーは長らく、太陽そのものに黒いシミなどなく、雲のようなものが浮いて回っていると考えていました。
何しろシャイナーはキリスト教の修道会のひとつであるイエズス会の司祭で、天動説や天体は完全無欠の球だなどという当時のキリスト教の宇宙観と自らの発見の折り合いをつけなければならない立場にありました。したがってダーヴィト・ファブリチウス同様、太陽にシミのような模様があって回っていると認めるわけにはいかなかったのです。ただ、最終的にはシャイナーは、自身の観測を正しく理解できる解釈をするようになったのです。
シャイナーは独立に黒点を見出し、その観測結果をガリレオより早く出版したのですが、ガリレオは、黒点は雲のようなものとするシャイナーの説に対して激しく反論したのみならず、シャイナーは自分で黒点を見つけたと言っているが、これは自分(ガリレオ)の発見を知った上で剽窃したものであるという非難までして、深刻な対立を引き起こしました。
シャイナーはガリレオよりはるかに長く15年以上にわたって黒点の観測を続け、しかも、ただ観測を続けただけでなく、科学的な分析も行っています。その結果、自転による黒点の経路の測定をもとに、黒点の回転軸、今でいう太陽の自転軸の方向をほぼ正しく求めました。
図のように、太陽の自転軸は、地球が太陽の周りを回る軌道が通っている公転面(黄道面という)から約7度傾いていて、また地球の自転軸も黄道面から約23度傾いているため、地球からだと太陽の自転軸は、左右に首を振りつつお辞儀をしたりのけぞったりするように見えます。
もちろん、自転軸自体が見えるわけではありません。したがってシャイナーは、黒点が太陽面上を移動していく様子を注意深く観察して結論を導き出しています。
太陽には黒点が現れ、毎日変化するということが分かっても、当時としては、それが太陽が変わらぬ恵みの源泉であることに影響するとは考えられていませんでした。
それでも、シャイナーら以後も何人もの天文学者が黒点の記録を残しています。
この頃は黒点の正体はもちろん、太陽の正体すら分かっていない頃です。
太陽を見た人々は、黒点の記録が実用上何かの役に立つなどと考えたわけではなく、ただ天界の姿を記録し、その真実を探ろうとしたのでしょう。
そして、そのお陰で、私たちは黒点の様子を400年前までさかのぼって知ることができるのです。
これら17世紀初めごろの観測の後、しばらくのあいだ黒点がほとんど出現しない時期を迎えました。
これは「マウンダー極小期」と呼ばれる期間で、その後、また黒点が現れるようになって現在に至っているのですが、17世紀初め以来、望遠鏡による黒点の観測があるおかげで、太陽活動にこのような大きな変動がわることが分かっています。
そして今、400年にわたるデータは、太陽活動が地球に与える影響を探るうえで、決定的に重要なデータになっています。
(つづく)
※本稿は、花岡庸一郎『太陽は地球と人類にどう影響を与えているか』(光文社新書)の内容の一部を再編集したものです。
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