ryomiyagi
2019/12/17
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2019/12/17
私たちのまわりには空間が四方八方に広がっています。少なくとも、見た目にはどこまでも果てしなく続いているように思われます。果たしてこの空間は無限に続いているのでしょうか、それとも、十分に大きいだけで実際には有限に途切れているのでしょうか。現代科学が解明できない宇宙という謎めいた存在には、一体どれほどの可能性が秘められているのか? 最新の宇宙論から、私たちがいるのはどこなのか、根源的な問いに迫ります。
※本稿は、松原隆彦『宇宙は無限か有限か』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
無限に続くような宇宙を数学的に考えることはできるが、無限の本当の意味を考えると頭がクラクラするような結論に導かれる。ここでは、無限に続く宇宙でどのようなことが起きるのかを考えてみよう。
まず、無限に続くということは、空間が無限に広いことになる。もし無限に広い宇宙が私たちのまわりと同じように続いているとしたら、その中にある星や銀河の数も無限個ということだ。星のまわりに惑星が回っているのはありふれたことなので、惑星の数も無限個になる。その中には地球のような惑星があるだろう。
太陽系以外の惑星というのが見つかってきたのはそれほど昔のことではない。初めて太陽系以外で惑星が見つかったのは1990年代のことだ。
それまで見つからなかったのは、星に比べて惑星は小さすぎ、観測が難しかったためである。だが、精密な観測ができるようになって、最近では星が惑星を持っているのは割と普通のことだということがわかってきた。
その中には地球と似た環境にあると考えられる惑星も見つかっている。
今のところは地球とまったく同じ環境になっていると確認された惑星が見つかっているわけではないが、星や惑星が無限個あれば、どこかには必ずあるはずだ。
地球と環境が似ているからといっても、そこに生命が誕生する確率がどれくらいあるのかはわからない。だが、その確率はゼロではない。
一般に、可能性がいくら小さいことであっても、その可能性が厳密にゼロであるというのでない限り、無限回も試みれば必ずそれは実現する。しかも一回だけ実現するのでなく、無限回実現するのだ。
実現することが期待できる回数は、それが起きる確率と試みた回数の掛け算で与えられる。どんなに小さな確率でも、そこに無限を掛け合わせれば、無限になる。
星のまわりを回る惑星に生命がいる確率は小さいかもしれないが、それはゼロではない。現に地球には生命がいる。したがって、惑星の数が無限個あったとすると、その中には生命の誕生する地球のような惑星が必ず存在する。しかも、その数も無限個になるのだ。
さらに、生命が生まれたからといっても、人間のような知的生命体、平たく言えば宇宙人、が生まれる確率はもっと小さいかもしれない。だが、ここでもやはり、無限個あればいくら小さな確率であっても実現する。
このように、私たちのまわりと同じような宇宙が無限に続いているとすると、宇宙人の生活している惑星が無限個存在することになる。つまり、宇宙人が無限人いることになるのだ。
とんでもないことだが、私たちのまわりと同じような宇宙が無限に続いているというのは、そういうことだ。
それがどれほど遠くの宇宙なのかを見積もった人がいる。スウェーデン出身でアメリカの物理学者、マックス・テグマークだ。
観測可能な宇宙全体において、原子が占める場所の組み合わせは無限にあるわけではない。なぜなら、粒子を無限に宇宙空間に詰め込めるわけではないからだ。物質が陽子でできていることを考えると、陽子はあまり狭いところにいくつも詰め込むことはできない。これはパウリの排他律と呼ばれる量子力学の原理だ。
したがって、観測可能な宇宙全体に詰め込むことのできる陽子の数には最大数がある。その数を大雑把に見積もると、10の118乗程度の数字が出てくる。100京グーゴルだ。
それらの数だけの場所に陽子があるかないかで、可能な宇宙の状態の数を見積もることができる。それは、100京グーゴル回だけ2を掛け合わせたさらに巨大な数、すなわち、2の100京グーゴル乗だ。
もちろん、陽子のあるなしだけで宇宙の状態が完全に決まるわけではないから、この見積もりは最低限の数を与えているとみなすべきである。
また、これだけ大きな数になると、2のべき乗だろうが10のべき乗だろうがあまり変わらない。そこでこれを10の100京グーゴル乗(すなわち10を10の118乗回掛け合わせた数)と見積もることにする。これは1グーゴルプレックスを100京乗した数に等しい。
宇宙の取り得る状態の数が大ざっぱに見積もられたので、同じ数だけの観測可能な宇宙を考えれば、そのうちの1つくらいは、私たちに観測可能な宇宙とすべて瓜二つになるものがあると期待できる。
観測可能な宇宙の体積は、大まかに470億光年の3乗程度だ。この体積に1グーゴルプレックスの100京乗を掛けた体積中には、私たちと瓜二つのところがあると期待できる。
その巨大な体積の3乗根をとると、そういう場所がどれくらい私たちから離れたところにあるのかという見積もりになる。
10の100京グーゴル乗という数は巨大すぎて、そこに470億の3乗を掛けても掛けなくてもあまり変わらない。同じように3乗根を取っても取らなくてもあまり変わらない。さらに、それをメートルで測ろうが光年で測ろうが、やはりあまり変わらない。
あまりに数が大きすぎて、1と460億の違いや、メートルと光年の違いすらも、取るに足りないものになってしまうからだ。また、3乗根をとったところで、1グーゴルプレックスの100京乗が33京乗になるだけであり、それはあまりの巨大さに大した違いとは言えない。
こうして、私たちに観測可能な宇宙とまったく瓜二つの場所は、大ざっぱに1グーゴルプレックスの100京乗メートルだけ離れたところにあると見積もられる。これがマックス・テグマークの見積もった値だ。
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