ryomiyagi
2019/12/18
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2019/12/18
私たちのまわりには空間が四方八方に広がっています。少なくとも、見た目にはどこまでも果てしなく続いているように思われます。果たしてこの空間は無限に続いているのでしょうか、それとも、十分に大きいだけで実際には有限に途切れているのでしょうか。現代科学が解明できない宇宙という謎めいた存在には、一体どれほどの可能性が秘められているのか? 最新の宇宙論から、私たちがいるのはどこなのか、根源的な問いに迫ります。
※本稿は、松原隆彦『宇宙は無限か有限か』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
インフレーションで私たちの住んでいる広い宇宙ができたのだとしても、宇宙そのものが生まれた原因は他に探さなければならない。だが、宇宙が生まれるとはどういうことだろうか。
宇宙とは、時間と空間、およびその中にある物質やエネルギーから構成されている。ある種類の物質が別の物質から生まれることは想像できるが、時間や空間は何から生まれるのだろうか。時空間が時空間以外のものから生まれ出るというのは想像を絶する。
物質と時空間の違いはなんだろう。それは、時空間というのが具体的に見たり触ったりできない存在だということである。
どんな手段を使っても、時空間そのものを直接に測ることはできない。例えば、空間がそこにあることは、物差しで測ったり、光を飛ばしたりすればわかる。だが、それは空間を直接測っているわけではなく、物差しと他の物体の間の関係や、光の軌道と他の物体の関係などを測っている。
いずれにしても空間以外のものの関係から数値を引き出しているに過ぎない。その意味で、空間というのは、常に間接的な存在だ。
時間についても同じことが言える。時間も具体的に見たり触ったりできない。必ず時計の役割を果たすものを持ってきて、他の物体などの動きと比べることで時間を測っている。
物体が本当にどこにもない状況で、空間だけがあるとか時間だけが流れている、という状況を思い浮かべることはできるが、そんな状況にどんな意味があるのかと考えだせば、とても奇妙な感覚に襲われる。
このことからも、時間や空間の存在というものが、物質などの存在とは同列に語れないことがわかるだろう。
時間や空間がただそこに静かに横たわっているだけではない、という性質は相対性理論によって明らかにされた。時間や空間はもっと柔軟に変化することができるものだったのだ。
一般相対性理論における時間や空間のイメージは、どちらかといえば物質的である。伸縮自在のゴム膜のようなイメージがよく描かれる。
だからといって、時間や空間を物質と同列に語れるようになったかといえば、そんなことはない。確かに、一般相対性理論の方程式の中では、あたかも時空間をゴム膜でもあるかのようなイメージで計算することが可能だ。
だが、それは理解のための便法であって、時間や空間が他の物質などと異質であることに違いがあるわけではない。
そのことは、量子論のことを考えると、よりいっそう際立ってくる。本書では量子論について詳しい説明はしていないが、量子論の理論形式において、時間や空間を物質と同列の存在だと考えることはできない。時間や空間は、物質とははっきりと違う役割を果たしているのだ。
量子論は一般相対性理論と相性が悪い。一般相対性理論は時空間をあたかも物質の一種であるかのように扱うところがあるが、量子論ではそのようなことはない。
これがひとつの原因となって、一般相対性理論と量子論を完全に融合した理論は完成していない。時空間を物質と同じように扱って量子重力理論を組み立てようとしても、矛盾が生じてうまくいかないのだ。
一般相対性理論では時空間も物質と同じようなイメージで捉えられるからといって、実際にはそれほど単純な話ではないことがわかるだろう。
時空間の本質が何なのかは、現代物理学においても謎に包まれている。少しでもその謎に迫ろうと、ストリング理論をはじめとする最先端の理論的研究が行われているが、完全な解決までの道のりはかなり遠い。これについては、さらなる研究の発展が望まれている。
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