ryomiyagi
2020/06/04
ryomiyagi
2020/06/04
この集落の人口は5人。
もっとも、これは僕ら山奥ニートを除いた人数だ。
お盆やお正月のときに街からやってくる家族は何組かあるけど、普段から寝泊まりしている地元の人は、たった5人。
平均年齢にしたら80歳を超える。
そこに縁もゆかりもない若者が15人住みついた。
田舎に移住して、地元の人から嫌がらせを受けたり、村八分にされたりしたという話を耳にすることがある。
いじめまではいかなくとも、新参者は面倒な役を押しつけられて、使いっ走りにされるらしい。
だけど、幸か不幸か、僕らがこの集落に来たときにはすでにほとんど共同体としての体を成していなかった。ある意味、限界を超えた集落だ。
皆が顔を合わせるのは年に2回の寄り合いくらい。
他はときどき車ですれ違う程度。
同じ集落内と言っても、家は点在しているから歩いて回るのは大変だ。
一番カミの家から、一番シモの家まで歩いて40分はかかる。
あ、カミとシモってわかりますか。想像はつくと思うけど、一応説明しとこう。
山奥は曲がりくねった川に沿って集落があります。たとえばU字形に曲がった川の右上にAという場所、左上にBという場所があったとする。そういう場合、「北」と言ってもAなのかBなのかわからない。
そこで、川の上流なのか下流なのかのほうが重要になってくる。だから東西南北ではなく、カミ(上)とシモ(下)で場所を表すのです。
田舎の人にとっては常識かな。僕は山奥に住んで初めて知りました。
話を戻すと、集落には5人住んでいるけど、その5人同士も会うことがほとんどない。
だからなのか、僕が散歩しているのを見つけると、とても嬉しそうに声をかけてくれる。
正直に言えば、地元の爺さん婆さんの話は、だいたい半分くらいしかわからない。
方言が強いし、滑舌も悪い。耳が遠いから、こちらは声を張り上げなければ伝わらない。
でも、僕は爺さん婆さんと話すのが嫌いじゃない。
街での社交辞令ばかりの会話とは違って、山奥で交わされる会話は実用的だ。
あそこに行けば山菜が採れるだとか、あそこの栗は拾っていいだとか、あの農作物の値段が上がっているから植えたほうがいいだとか、いろんなことを教えてもらえる。
それに、集落の爺さん婆さんは、僕がちょっと的外れなことを言っても、クラスのサッカー部のあいつらみたいに繰り返しイジってくることはない。先生や上司みたいに減点することもない。
だから話してて楽しい。
嫌いな人間と付き合わなくていいのは過疎地域の利点だけど、完全に話し相手がいなくなるのもちょっと物足りないんじゃないかと思う。
*
山暮らしは災害と隣り合わせだ。
毎年、台風の季節になると、土砂崩れで道が寸断される。水道もホースが外れて止まってしまうし、停電だって起こる。
そんなとき、お年寄りだけだと対処できないかもしれない。
まぁ若者とはいえ、ニートの僕らがどれほどの戦力になるかはわからないけど。
いないよりはマシ……だと思いたい。
*
前の冬、集落に住むお爺さんが運転する車が、ハンドル操作を誤って谷に落ちる事故が起きた。
山奥じゃ珍しく救急車の音がするなと思ったら、すぐ近くで止まるもんだからびっくりした。
僕が気づいて行ったときにはもう、警察と他の山奥ニートたちが集まっていた。
幸い命に関わるような怪我ではなく、運転していたお爺さんは自力で車から脱出して、崖を上がっていた。
お爺さんは、呆然としながらも、肩から毛布をかけ、温かい珈琲を手にしていた。
事故に気づいたうちの住人が、家から持ってきたのだ。
警察やレッカー車を呼んだのも、うちの住人だった。
僕らはニートだから、怪我を治療したり、谷に落ちた車を引き上げることはできない。そんな力も技術もない。
でも、まったく何もできないわけじゃないと、このとき思った。
*
とはいえ、そんな緊急事態は珍しいことで、普段の僕らは散歩以外ほとんど外に出ない。だから集落の人に会う機会も少ない。
僕らは集落に対して、何もしない。
地域おこししようなんて思ってないし、変革を起こしたいわけでもない。僕らは本当に、ただ平和に暮らしたいだけだ。
地元の人も、僕らがニートだって知っているから、何かできるなんて期待しない。
だから地域を挙げて歓迎されることもなかった。
でも、疎ましく思われることもなかった。
都会で一流企業に勤めていたという人が、近くに引っ越してきたことが何度かあった。
でも、その全員が1年以内に都会に戻っていった。
細かい理由はそれぞれだけど、そういう人は成功してきた今までのやり方があって、それが地元の爺さん婆さんと合わなかったのかもしれないな、と思う。
ニートの場合、成功どころか、そもそも人生経験が乏しい。
何もわからないから、何でも地元の人に聞く。
実際、僕らは地元の人に頼りっぱなしだ。道具を貸してもらったり、おすそ分けをもらったり。
もらえるものは何でももらう。プライドなんかない。
意外とそういう姿勢が、孫のようで好感度が上がったのかもしれない。
爺さん婆さんにとっちゃ、僕らなんて赤子同然。
一方でニートなんて赤子そのもの。ご母堂から出たばっかりだ。
だから思いっきり甘えている。
でも、そうやって地元の人にお世話になっているうちに、この山暮らしに少しずつだけど、詳しくなっている。
先輩山奥ニートが、後輩山奥ニートに地元の人の受け売りを話していることがある。
そういうのを見ると、これが村の本来の姿なのかな、なんて思ったりする。
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