BW_machida
2020/06/23
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2020/06/23
※本稿はマルコム・グラッドウェル『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』収録の「訳者あとがき」を再構成したものです
最高の本! グラッドウェルはこの作品で多種多様なテーマ――世界がめちゃくちゃな状況のいま、とりわけ喫緊に向き合うべきテーマの数々――を取り上げている。グラッドウェルは巧みに岩をひっくり返し、その裏に予想だにしないものが隠れていることをわたしたちに教えてくれる。
――オプラ・ウィンフリー(O, The Oprah Magazine)
アメリカを代表する女性司会者・慈善家であるオプラ・ウィンフリーが「世界がめちゃくちゃな状況」と表現したのは、2020年1月以降に新型コロナウイルスの脅威が地球全土に拡がる以前の世界についてだ。しかし、新型コロナウイルスによって社会の変容と分断が進むいまこそ、本書の訴えはより多くの人の心に強く響くはずだ。
本書は、現代アメリカを代表するベストセラー作家マルコム・グラッドウェルの最新作Talking to Strangers: What We Should Know about the People We Don’t Knowの全訳である。タイトルのとおり、本書のテーマはずばり「見ず知らずの相手とコミュニケーションを取ることのむずかしさ」についてだ。グラッドウェル自身、第2章の終わりでこうはっきり述べている――「この本で私があなたに何かひとつだけ伝えることができるとしたら、これにしたい――あなたのよく知らない他者はけっして単純ではない」。なぜ私たちはほかの人の意図を読みちがえ、同じような失敗を繰り返してしまうのか? 本書のなかでは、見ず知らずの相手について人々が大きな勘ちがいをしてしまったために、混乱へとつながったさまざまなエピソードが登場する。第二次世界大戦前にヒトラーの意図を勘ちがいしたイギリスのネビル・チェンバレン首相、イタリアで殺人の冤罪事件に巻き込まれたアメリカ人留学生アマンダ・ノックス、酩酊状態で女性を暴行したスタンフォード大学のエリート大学生ブロック・ターナー、少年への性的虐待容疑で逮捕された著名なフットボール・コーチのジェリー・サンダスキー、死ぬ運命にあると誰もが考えたアメリカの伝説的な詩人シルビア・プラス……。
グラッドウェルがこの作品でとりわけ注目するのは、黒人女性サンドラ・ブランドの事件だ。2015年に、車線変更時に方向指示器を出さなかったという理由だけで逮捕されたブランドは、三日後に留置場で自殺した。この事件はアメリカで大きな論議を巻き起こして大ニュースとなったが、その報道姿勢や“物語の結末”にグラッドウェルはおおいに疑問を持ったという。オプラ・ウィンフリーとのインタビューのなかで彼は、サンドラ・ブランドの事件をはじめ、黒人が警察官に殺される事件がアメリカで多発したことがこの本の執筆のきっかけになったと説明した。このような事件が起きた直後はセンセーショナルに報道されるにもかかわらず、人々の熱狂はすぐに消えてしまうと彼は憤る。この現象が繰り返されるのを目の当たりにしたグラッドウェルは、「自分たちとは異なる人々を評価することについて、根本的に何かがまちがっているのではないかと感じた」という。
ひとことで言えば、自己と他者とのあいだにある絶対的な壁をどう乗り越えるかというのがこの作品の主題である。おもにアメリカで話題となった事件を紹介しつつグラッドウェルは、社会科学の学術研究にもとづくさまざまな理論で主張を裏づけていく。人は相手を信用するよう初期設定されているというトゥルース・デフォルト理論、人の感情は表情に如実にあらわれるという“透明性”の嘘を暴くフレンズ型の誤謬、飲酒によって眼のまえの経験が見えなくなる近視理論、行動と場所が密接に関連しているという結びつき(カップリング)理論などをわかりやすい明快な言葉で解説しながら、グラッドウェルは私たちの日常生活の裏にひそむ真実を次々に明らかにしていく。
2019年9月にアメリカで発売された本書はたちまち話題となり、アマゾンでは当然のごとくベストセラー総合1位にランクインし、その後も何週にもわたってベストテン入りをキープした。2020年5月現在、アマゾンのカスタマー・レビューの数は2900件を超え、星の数は平均で4.3という高い評価を受けている。また、冒頭で紹介したオプラ・ウィンフリーをはじめ、数多くのアメリカのインフルエンサーたちが本書を絶賛している。
著者のマルコム・グラッドウェルについて簡単に紹介しておきたい。ジャマイカ人心理療法士の母、イギリス人数学者の父の子として1963年にイギリスで生を享けたグラッドウェルは、その後カナダで育ち、1987年にジャーナリストとしてアメリカで活動を始める。2000年のデビュー以来の書き下ろし作品は5作のみという非常に寡作なノンフィクション作家ながら、全作品が国内でミリオンセラーとなっており、アメリカでは知らない人がいないのではないかと思われるほどの超有名ジャーナリストである。
2000年発表のデビュー作『ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』(The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference)は、マーケティングに焦点を当てた本で、商品が爆発的に売れる分水嶺となる「ティッピング・ポイント」について解説した(のちに邦題は『なぜあの商品は急に売れ出したのか―口コミ感染の法則』、その後『急に売れ始めるにはワケがある―ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』へと変更された)。
2005年の『第1感―「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(Blink: The Power of Thinking Without Thinking)では社会心理学に注目し、理屈や経験に頼らない人
間のひらめきの大切さを訴えた。
第3作となる2008年発表の『天才! 成功する人々の法則』(Outliers: The Story Of Success)では、生まれつきの天才など存在せず、誰しも1万時間に及ぶ努力を続けなければプロにはなれないと主張。グラッドウェルがこの本で提唱した「1万時間の法則」はアメリカのみならず全世界で社会現象を巻き起こした。
前作となる2013年の『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密』(David and Goliath: Underdogs, Misfits, and the Art of Battling Giants)では、弱い立場の者が絶対的な勝者に勝つための戦略について説いた。「次にどんなテーマの本を書くのか」がファンのあいだで活発に議論される人気作家であるグラッドウェルは、アメリカでは「出版界のロックスター」「ビッグアイデア、ビッグブレインの持ち主」などと称されることが多い。本書を紹介した日本のネット記事では、「ノンフィクション版の村上春樹」のような存在だと説明されていた。
ところで、グラッドウェル・ファンで本書をすでに読んだ方はお気づきだろうが、これまでの4冊の著書と本書には絶対的かつ物理的なちがいがある。それは「長さ」と「複雑さ」だ。これまでの著作に比べて、本書はとにかく「長い」(巻末の原注も驚くほどの分量!)。なぜそうなったのか? 読みはじめてすぐおわかりいただけると思うが、本書はある意味でミステリー小説のような組み立てになっている。はじめにサンドラ・ブランドの死という“謎”を提示し、「見知らぬ相手を理解することのむずかしさ」というテーマを軸にさまざまな伏線を張っていき、最後の章ではその伏線が見事に回収され、すべてのパズルのピースがピタッとはまる。もちろんテーマ自体にもすばらしいものがあるが、この作品がアメリカで多くの人から高い評価を受けたのは、ストーリーテリングの妙にも理由があるのかもしれない。
この本の原書の英文は、じつにシンプルな言葉遣い、単語、文法で書かれている。平易な文体による文章の巧みさはグラッドウェル作品に共通する特徴だが、今作では、いままで以上に易しく語りかけるような口語的な文体が使われている。にもかかわらず、全体像を把握するのは非常にむずかしく、あらゆる場所に張られた伏線を自分のなかで拾い上げて読まなければ最終的な結論を理解することはできない。私自身、翻訳を依頼されてから本ができあがるまで、英語と日本語で何度となく読んだが、読むたびに新たな発見があったし、こういう読み方もできるのではないかと毎回のように気づかされた。この作品のテーマや意図を完全に理解するには、より小説的な読解が必要なのかもしれない。
もう一点、これまでの作品にくらべて本作でより際立っているのが、そのエンターテインメント性だろう。壮大な群像劇を読んでいるかと錯覚するようなエンターテインメント性、スリル、ドラマティックさがこの作品の大きな魅力である。そのエンターテインメント性がいかんなく発揮されているのが、今作の英語版のオーディブル(アマゾン社が提供する朗読オーディオブック)だろう。おそらくオーディブルとしては世界初の試みとして、今作では登場人物の実際の音声データ、声優による演技、音楽、効果音などが多用され、あたかもひとつのラジオドラマのような作品に仕上がっている(ちなみに、ナレーターは著者本人)。このようなエンターテインメント性の強い小説的な手法を取ったことに関連して、著者のグラッドウェルは『フォーブス ジャパン』2020年2月号のインタビューで次のように答えている。
作家がやらなければならないことは、もっともパワフル、かつ可能なかぎり適切な方法で話を展開する術を習得することである。だからブランド事件を導入部で語り、話を広げ、社会のあらゆる部分にまつわる例を盛り込んでいくのがもっとも有益な手法だと考えた。そうすれば読者は、テキサスの一黒人女性の話ではなく、自分にも関係のある問題だと認識せざるをえなくなる。[訳者が一部変更]
本書では、見ず知らずの相手との関係にまつわるあらゆる実話が紹介されているが、なかには生々しい描写もあれば、心が締めつけられるような痛ましい犯罪譚もある。読者によっては好き嫌いが分かれ、特定のテーマについて著者の主張に納得いかないこともあるはずだ。アメリカの読者のレビューを読んでいても、「〇〇には共感できた」「××に関する主張にはあまり共感できない」といったようなテーマごとに賛否が分かれる感想が目立つ。しかし、それも作者の策略ではないかと思うほど、本書の全体の構成は緻密に組み立てられている。賛否両論を引き起こすにちがいない(かつ個人的に感情を揺さぶられる)さまざまなテーマを順に例に挙げ、そこに従来の解釈とはちがう別の見方があることを示し、他者とのコミュニケーションがいかにむずかしいかを訴える。
そして提示した謎を、「会社で対面式の採用面接をする必要があるのか?」「ベビーシッターと事前に会う必要はあるのか?」などといった身近な問いに落とし込む。論争を巻き起こしそうな際どい話題にも触れられているが、それは問題提起のツールとしてあえて使われているのだろう。前述のとおり、政治思想、人種、ジェンダーなどが異なるあらゆる読者が「自分にも関係のある問題だと認識せざるをえなくなる」状況を作りだすことが作者の真の意図なのだと思う。
さきほどの『フォーブス ジャパン』のインタビューのなかでグラッドウェルはこう説明している。
「私の作品は、社会科学の学術研究と日常の経験の中間地点に位置するものだと考えている。人間の行動を説明づけるすばらしい学術研究は多いが、一般の人々には手が届きにくい。だから、そのふたつの世界のあいだに身を置き、そうした考えを噛み砕いて一般読者に届けるという仕事は、社会においてきわめて重要な役割を担っていると思う……一般の人々には豊かな経験があっても、それを体系化し、意味を解する術がほとんどない。人生の意味を理解するためのツールを提供することが私の仕事だ」
アメリカだけでなく世界じゅうで近年、右派と左派の分断がひどく進んでいる。何か事件が起きると、かならずといっていいほど「自己責任論」と「社会の責任」という対立が起きる。保守・リベラルの伝統的な対立はどこかに消え、最近では相手を罵倒して徹底的に否定することが常套手段のようになってしまった。近頃のアメリカのノンフィクション本を読んで(訳して)いると、「抑制」「思いやり」「謙虚さ」が大切だと説くものがとても多い気がする。それらの本は共通して、分断された社会に必要なのは想像力、多様性、他者の理解だと訴える。
もちろん、日本語で出版されている本にもその傾向はみられる。たとえば、昨年発売されてベストセラーとなり、第二回Yahoo!ニュース・ノンフィクション本大賞などあらゆる賞を総なめにしたブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でも、多様性や他者の理解が主要なテーマとして扱われている。「自分で誰かの靴を履いてみること」という素敵な表現がキーワードとして何度も出てくるのがじつに印象的な本だ。
つまりグラッドウェルは、近年の欧米社会のみならず全世界で広く話題になっている「相手を理解する」というテーマを最新作の主題に選んだといっていい。とはいえマルコム・グラッドウェルは、ひとことでわかる明確な答えを提示してくれるわけではない。訳者としては、彼はただ「もっと考えろ、思考停止に陥るな」とひたすら訴えつづけているように感じた。
この原稿を書いている五月下旬の時点では、日本での新型コロナウイルスの猛威は少しずつ収まる気配を見せつつある。この世界的騒動にまつわる混乱、ストレス、差別、批判、批判への批判、デマ、誹謗中傷、自粛警察の出現などによって、日本でも人々の分断は深まっている気がする。グラッドウェルはこの作品のなかで、人とはちがう視点を持ち、相手の立場を想像することが大切だと何度も訴える。いわばポストコロナ時代への啓蒙書といってもいい本書を読むことによって、彼我の分断が少しでも和らぎ、たくさんの人が穏やかな気持ちになることを願うばかりである。オプラ・ウィンフリーの言葉を借りるなら、眼のまえの情報やニュースに惑わされず、「岩をひっくり返し、その裏に予想だにしないものが隠れている」ことをぜひ発見してみてほしい。
濱野大道
翻訳家。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)卒業、同大学院修了。訳書にジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』、プリート・バララ『正義の行方』、リチャード・ロイド・パリー『津波の霊たち』、レビツキー&ジブラット『民主主義の死に方』など多数。
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