BW_machida
2020/06/23
BW_machida
2020/06/23
坂口恭平という人が著書『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』で、森に自然の恵みがあるように、都市には都市の恵みがある、と言った。
それに倣えば、僕らも自然の恵みの他に、都市の恵み……いやもう少し広く、文明の恵みと呼ぶべきものを受け取っている。
文明がもたらすものは、大なり小なりお金を支払わなければ受け取ることができない、と思われている。
でも、中にはそうじゃない、稲穂に米が実るような、そんな恵みもある。
たとえば、山奥ニートの元にはよく支援物資が届く。
インターネットは世界の距離を大きく縮めた。
山奥の出来事を、全世界に向けてすぐに発信できる。
僕はブログを書いたり、ユーチューブで生放送したりしている。
ニートが集まって、山奥で暮らしている。それだけのことだけど、面白いと思ってくれる人がいくらかいて、応援してくれている。
今までにいろいろなものが送られてきた。
スパゲティ、DVDとそのプレイヤー、ボードゲーム、ウィンナー、電気ケトル、布団と毛布、大量のお菓子、服、本、漫画、電動ドライバー、草刈り機、などなど。とても書ききれない。
支援物資には僕が欲しいと言ったものもあるし、家に眠っていたものを送ってくれたものもある。
新しいものを買って送ってもらえるのはありがたいけど、ちょっと気が引ける。
送り主が使ってないけど、僕らが欲しかったものが送られてくるのが一番嬉しい。
この現代社会、ものはすでに余っている。
たとえば、寝袋やテントなどのキャンプ用品。
使われていない、そして使う予定のないキャンプ用品を日本中から集めたら、数千個、もしかしたら数万個あるんじゃないかと思う。
それらを山奥に集めたら、何人が生活できるだろう。
服だってそうだ。僕はもう、一生服を買わなくてもいいんじゃないかと思っている。
サイズが合わなくなった服を山奥に送ってもらって、ストックしておいて、山奥ニートが好きに選んで着る。そんなことができれば、働いてお金を稼ぐ理由がひとつ減る。
大量生産、大量消費の世の中。そのペースは衰えることを知らない。
今この瞬間も、新しい商品が作られている。
ということは、その分、古くなったものは捨てられる。
その捨てられるものだって、まだ使えるものが多い。
たとえば、僕らの家では今でもニンテンドー64が現役だ。
発売から20年以上経つけど、今遊んでも十分面白い。
これを今の最先端のゲームだと思いこんで、遊んでみる。
古くなったゲームは遊ぶ人が少ないから、安く手に入る。
コントローラーのボタンが壊れたから、ネットで譲ってくれるようお願いしたら、すぐにたくさん送ってもらえた。おまけにソフトも同梱されていた。
最新のゲームソフトが無料で送られてくることは、まずありえない。でも、古いものだったらそれがありえる。
時間軸をずらすことによって、対価が必要な商品から無償で受け取れる恵みに変わる。
最新のゲームはグラフィックがきれいだし、システムも進化していて面白いだろう。でも、最新のゲームを遊ぶ一番の価値は、その楽しさを共有する相手が多いことにある。
集まって住んでいれば、昔のゲームでも楽しさを共有できる。
広告は最新のものを買えと呼びかけてくるけど、山奥ならそれを目にすることもない。
もちろん型落ちだからと言って、すべてが安くなるわけじゃない。中には何年経っても安くならないものもある。
そもそも、支援物資だって、もらえるかどうかは不安定だ。欲しいと言ったものが必ずもらえるわけじゃない。送ってくれる人がいて、初めて成立する。
自然の恵みも、文明の恵みも、不作なことがある。
恵みだけに依存してはいけない。
恵みを受け取れるかどうかは、天の思し召し次第だ。
大昔、人々が神に祈って雨を待つしかなかったように、僕もブログを更新して、“神”が現れるのを待つ。
恵まれないときは、そのときだ。
というか、得られないのが当たり前だから、恵みなのだ。
だから、それが得られたときには感謝を忘れてはいけない。
自然に感謝。文明に感謝。
本日も生存させていただき、ありがとうございます。
どうか次も、恵みをください。
そのために、今日も祈りを捧げます。
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