ryomiyagi
2021/10/08
ryomiyagi
2021/10/08
タイにバンコク、ミャンマー、台湾そして沖縄。市場の匂いをたどり、スバイスの味を求めて、ゆるくて温かな人たちと交流しながら著者はアジアを歩く。現地で目にしたこと、土地ならではの食べもの、街の記憶などが語られていく。なにより惹かれたのは、旅先ですれ違った人達へ向けられる著者の眼差しだ。
これまで何度もタイへ足を運んだという著者は「東京で夕立を目にするとタイを思い出す」と語る。雨がコンクリートに跳ねている、そんな景色を見ていると、脳のなかにアジアの土の匂いが蘇るのだという。それほどまでに強烈な印象を与えたタイの雨とはどんなだろう。
「バンコクの気候は、一般に暑季に雨季、乾季にわかれる。そのうち乾季がいちばんすごしやすい。雨が降らず、気温もやや低くなる。だいたい十一月から二月ぐらいと思っていい。そして六月から十月まではしっかりと雨が降る。つまりスコールに見舞われることになる。」
著者によれば、四十五年以上前のバンコクはまだ未舗装路が多く、土がむき出しの場所はとても歩ける状態ではなかったらしい。「スコールが降りはじめると、そこから土のにおいが漂って」、道はまたたく間に水でいっぱいになる。跳ねた水は建物の2階まで届くのではと思えるほどの勢い。水は雨宿りに逃げこんだ雑貨屋や食堂の入り口に押し寄せてくるほどで、時には店内に入ってくることもあったという。客たちのほうは「椅子の上に足をあげれば問題はなにもない」といった様子で、店には突然のスコールにも「波風ひとつ立たない暮らし」があったと著者は振りかえる。
印象的だったのは、スコールに見舞われたあとのバスでのワンシーン。あるとき著者がバスに乗ると、すでに十人以上の先客がいた。そのなかを若い女性の車掌が動き回り、乗客から運賃を受けとり、切符を渡していたという。
「見ると裸足だった。バスの車掌はほとんどが女性で、皆、黒いパンプスを履いていた。たぶん靴も濡れてしまったのだろう。車掌が傍に近づいてきた。運賃を渡すと、切符を渡してくれる。そのとき目が合った。瞳が少女のように輝いていた。雨に濡れて大変だというそぶりはなにもなかった。プールで遊ぶ子供のようだった。うれしそうなのだ。つい車掌の姿を追ってしまった。彼女は飛び跳ねるように車内を動いている。」
若い車掌はずぶ濡れで、上着とスカートは水で光り、パーマをかけた髪は跳ねあがっていたという。バスを誘導するために外に出たのかもしれない。何気ない日常のひと場面だけど、とても印象的なエピソードだった。
本書の読みどころのひとつは、著者の辿った旅路が多彩な人物を通して描かれている点だ。「スコールに濡れることを楽しんでいるような気もする」若い車掌やスパイシーな寿司を作るミャンマー人、香港では「通粉」なる謎の食べものを食べている隣のテーブルの男性など、日常を覗き見るようなエピソードがどれも楽しい。街角を切りとったような写真も相まって、読者をささやかな旅行気分にさせてくれる。
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