FBI長官ジェームズ(ジム)・コミーの先例のない介入 『WHAT HAPPENED』#7ヒラリー・ロダム・クリントン
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2017年9月にアメリカで刊行されたヒラリー・クリントン前民主党大統領候補の最新自伝『WHAT HAPPENED』(邦題『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』高山祥子訳)はたちまちミリオンセラーとなりました。このタイトルが示すように、あの歴史に残る大統領選を事細かに振り返った内容です。今回、邦訳版の刊行に合わせ、520ページ及ぶ長大な内容からハイライトを紹介していきます。

 

 

FBI長官ジェームズ(ジム)・コミーの先例のない介入

ヒラリー・ロダム・クリントン著『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』より

 

終盤にたくさんの有権者がわたしに背を向ける原因となるような、何があったのだろう?
まず最も重要だったのは、当時FBI長官だったジム・コミーの先例のない介入だ。

 

わたしの電子メールの調査に関する一〇月二八日の手紙が引き金になって、その週は否定的な報道ばかりが出回った。国内の主要五紙が、コミーの手紙の翌日、電子メール論争に言及する記事をたくさん掲載し、その半分近くが第一面での扱いだった。一〇月二九日から一一月四日までの七日間のうちの六日、朝のニュースの特集でこの問題が扱われた。トランプはコミーの認可を受けて“不正まみれのヒラリー(Crooked Hillary)”攻撃に信憑性がもたらされたと理解し、共和党は少なくとも一七〇〇万ドルを、激戦州でのコミー関連の宣伝行為に投入した。これは効果があった。

 

一一月一日と二日、わたしの選挙運動はフィラデルフィアとフロリダ州タンパで、投票先の決まっていない有権者たちとフォーカス・グループの活動を行なった。集まった者たちはすぐさまトランプに飛びつく様子ではなかったが、今思い返すと赤信号が灯っていたように思う。「ウィーナーがらみのことが、全部心配で不安です。ヒラリーに傾いてたんだけど、今は分からない」(訳注:「ウィーナーがらみのこと」とは、ヒラリーの補佐官であるフーマ・アベディンの夫アンソニー・ウィーナーの性的スキャンダルと、その捜査の過程でフーマとウィーナーの共有パソコンからヒラリーのメールが大量に見つかったという前述の件)。

 

フロリダの有権者が言った。「どっちのファンでもなかったけど、この何日か、クリントンの電子メールのことが気になってる。彼女を当選させて、それから訴えるのか?彼女は何か秘密を漏らしたのかな?」と、別の有権者。

 

フォーカス・グループの外でも同じようなことが聞こえた。基本的に口コミで消費者の声を集める調査員たちは、「突然の変化」でわたしへの支持が一七ポイント下がり、トランプ支持が一一ポイント上がったのを発見した。消費者調査の技術を選挙にも適用したブラッド・フェイ・オブ・エンゲージメント研究所によると、「口コミにおける好感度の変化は驚くほどで、昔ながらの世論調査が明らかにしたよりもすごい」とのことだった。

 

フォーカス・グループで聞こえた懸念から、なぜコミーの手紙がこれほど致命的だったのかが分かる。総選挙の初めから、有権者の「リスクを冒すことへの不安」と「変化を求める気持ち」との闘いになるだろうと分かっていた。トランプに投票するのはリスクが高すぎると説得することが、民主党による八年間の統治のあとで変化を求める気持ちに対する最善の対抗策だった。統計学的に言うと、労働者階級の白人の有権者という弱点を、高学歴の郊外に住む中道派─リスクを最も恐れると思われる人々─を取りこんで埋め合わせるのが、わたしたちの戦略だった。

 

一〇月二八日より前は、この戦略がうまくいくはずだった。有権者はトランプが不適任で、戦争をしかねないと心配していた。いっぽうわたしは、冷静で適任で、安全だと思われていた。だがコミーの手紙が、このイメージをひっくり返した。有権者たちは、わたしが大統領になってもさらなる調査があり、場合によっては訴追もありうると考えるようになった。それはフロリダの有権者が言った通り、〝不安〟だろう。両方の候補者が危険に見えるようになったら、変化を求める気持ちが再び浮上し、浮動票はトランプか第三政党に移動した。

 

コミーの手紙から一週間ほど経った時点で、統計学者ネイト・シルヴァーによると、全国世論調査でわたしのリードは三ポイントほど落ち、わたしが当選する確率は八一パーセントから六五パーセントに下がった。激戦州では、わたしのリードは一・七ポイントにまで落ちた─ウィスコンシン州のような州でまだ統計が取られておらず、ダメージはもっと大きくなる可能性もあった。

 

選挙日直前の日曜日の午後、コミーはまた別の手紙を出して、七月の結論を変えるような新たな証拠はないと説明をした。だが、もう遅かった。もしかしたら、二番目の手紙はむしろトランプ支持者をさらに煽り、わたしに不利な状況を促進したかもしれない。投票先が未定の有権者たちも、さらに二日、電子メールと調査の記事を目にすることになったのだから。

 

コミーの二番目の手紙が報道されてから数時間後、トランプはミシガン州での大会で怒りをぶちまけた。「ヒラリー・クリントンは有罪だ。自分でもそれを分かってる。FBIも知ってる。さあ、一一月八日に投票所で正義が下されるかどうかは、国民次第だ」集まった群衆はこれに応えて叫んだ。「彼女を投獄しろ!」

 

トランプの元選挙運動マネジャーのコーリー・レヴァンドフスキは、コミーの手紙でトランプの運命が変わったことを認めている。「選挙まであと一一日というところで、驚くべきことが起きた」と、彼は言った。新しい著作、『バノン 悪魔の取引─トランプを大統領にした男の危険な野望』で、〈ブルームバーグ・ニュース〉の記者ジョシュア・グリーンは、トランプの選挙運動データ・サイエンティストたちはコミーの手紙の影響が「極めて重要だった」と考えたと述べている。選挙日の五日前に書かれた内部メモに、「クリントン支持が低下し、ミスター・トランプに有利に動いた」とあり、「結果にかなりの影響が出るだろう」としている。悲しいことに、その通りだった。

 

選挙中ずっと保守的な見方をしていた前述の統計学者シルヴァーは、「選挙が一〇月二七日に行なわれていたら(コミーの手紙の前日ということ)、クリントンが次期大統領になっていただろう」と結論づけた。選挙予測サイト〈プリンストン選挙コンソーシアム〉を運営するサム・ワン教授は、コミーの手紙のことを「終盤戦における重要な要素」と呼び、投票先が四ポイントも変化したのを明らかにした。

 

コミーによって投票先を変えたのは選挙日の投票者の〇・六パーセントだけで、その変化は「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」でしか生じなかったが、それでも選挙人団をわたしからトランプへ移行させるのには充分だった。

 

ノーベル賞を受賞した経済学者であり、『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニストであるポール・クルーグマンは、トランプのホワイトハウスから新たな怒りが発信されるたびに、皮肉な調子で「ありがとう、コミー」といってツイッターを始める。コミーは七月に公然とわたしを非難し、一〇月二八日に突然調査を再開しておきながら、トランプとロシアについては何も発言しなかった。こうした行為がなかったら、何もかもが違っていただろう。コミー自身がのちに、選挙結果に影響を及ぼしたことでちょっと吐き気を覚えたと言った。それを聞いて、わたしは気分が悪くなった。

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WHAT HAPPENED 何が起きたのか?

WHAT HAPPENED 何が起きたのか?

ヒラリー・ロダム・クリントン /髙山祥子 訳

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