akane
2018/08/22
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2018/08/22
ジェームズ・コミー著『より高き忠誠 A HIGHER LOYALTY』より
2015年7月6日、FBIにインテリジェンス・コミュニティの監察総監から照会があった。この監察総監は、アメリカの広範なインテリジェンス・コミュニティに潜むリスクや脆弱性を洗い出すことを主な目的として、議会によって設置された独立機関である。照会では、ヒラリー・クリントンが国務長官在任中に、私用の電子メールシステムで秘密情報を不適切に取り扱ったのではないかという問題が提起されていた。7月10日、FBIはこの問題に関する捜査を開始した。オバマ政権の司法省(ロレッタ・リンチ長官)は、捜査のサポートを検事らに指示した。FBIによるほかの多くの捜査と同様に、この捜査も私のレベルよりもはるか下で始まり、私がそれについて知ったのは副長官からのブリーフィングを通じてだった。
基本的な事実関係は単純だった。ヒラリー・クリントンは私用のサーバーとメールアドレスを用いて、国務長官としての指示を出していた。このサーバーが稼働したのは就任から数カ月後のことだ。就任後最初の数カ月間、これも私用のAT&Tの「ブラックベリー」の電子メールアドレスを用い、その後、新たに設定した私用の「clintonemail.com」のアドレスに切り替えていた。ヒラリーは職務をこなすために、国務省の職員と電子メールのやりとりをしていた。監察総監はそのうち数十件の電子メールのなかで、秘密扱いのトピックが話題にされていることに気づいたのである。
これまで、クリントンの私用メールやFBIによるその捜査についてはいろいろなことが言われてきたが、FBIによる捜査の焦点がそもそもどこに置かれていたかについては忘れられがちだ。捜査の中心は、クリントンが国務長官の職務のために私用メールを使うと決めたこと自体ではなかった。彼女を擁護する人たちはよく、この件がいかに深刻な問題であるかをごまかそうとして、彼女の前任者のひとり、コリン・パウエルもブッシュ政権の国務長官時代に私用メールアカウント(彼の場合はAOL)を使っていたことを引き合いに出す。まるでそれがこの調査と関係があるかのように。だが、それはまったくの見当違いだ。パウエルの場合は、そのAOLのアカウントで当時秘密とされていた情報について議論していたことを示す証拠は何ひとつ残っていない。ところがクリントンの場合は、それをしていたことを示す証拠が数多くあるのだ。
秘密情報は、開示された場合にどの程度の損害をアメリカにもたらす恐れがあるかによって分けられている。秘密度が低く、知られるとアメリカの安全保障に多少の損害を与える恐れがある情報は、「秘(Confidential)」に分類される。それより秘密度が高く、開示によってアメリカの安全保障に「深刻な」損害を与えかねない情報は、「極秘(Secret)」。そして秘密度が最も高く、開示によって国の安全保障に「きわめて重大な」損害を与えかねない情報は、「機密(Top Secret)」とされる。この秘密保全制度に違反する者に対しては、セキュリティ・クリアランス(秘密情報の取り扱い資格)の剝奪や免職といった行政処分が下される可能性があり、最も深刻なケースでは刑事訴追もありえる。諜報活動に関するさまざまな法令によって、国家安全保障にかかわる情報を盗んだり、それを受け取る資格のない人物に渡したりすることは重罪とされている。こうした重罪を定めた法令が適用される例として最も多いのは、スパイ行為が発覚した場合や、秘密情報をジャーナリストに流してそれが公開された場合だ。一方、秘密情報がらみの軽犯罪を定めた法令は、それよりも頻繁に適用されている。そうした軽犯罪には、秘密情報をしかるべき施設やシステムの外に出すことなどがあり、最高で禁錮1年が科される。ただ、軽犯罪の場合でも、司法省はずっと以前から捜査官に対して、当該政府職員が秘密情報の取り扱いに関して、不適切なことをしているという自覚があったことを裏づける強力な証拠を集めるように求めてきた。
クリントンのケースではまず、秘密情報の扱いが不適切だったかどうかという点では、明らかに「イエス」だった。彼女とそのチームが4年間に交わした多数のメールのなかには、当時「極秘(Secret)」に分類されていたトピックを扱った関連メールが36件あった。また、「機密(Top Secret)」に指定されていたトピックについても、計8回、あるときは暗にほのめかすように、あるときは公然とやりとりしていた。彼らは秘密文書を送り合っていたわけではないが、問題はそこではない。たとえこれらのメールのやりとりにかかわった人たちがみな、情報の適正な取り扱い資格を持っていて、その情報を知る必要のある人だとしても、そうした資格を持つ人は、秘密情報用ではないシステムで機密情報を扱えば、秘密情報規定に違反することを心得ておかなくてはならなかったのだ。機密にかかわるやりとりは全体のごくわずかだったとはいえ、どう見ても不適切に思えた。なにしろ、公開されるとアメリカの安全保障に深刻な損害を与えかねない情報にかかわるメールが36件、きわめて重大な損害を与えかねない情報にかかわるメールが8件あったのだ。したがって、クリントンの私用メール案件の核心にあるのは次のような疑問になる。彼女は私用メールを使ったときに何を考えていたのか。単に不注意だったのか、それとも犯罪の意思があったのか。彼女にやってはいけないことをやっているという自覚があったと立証できるか。
誰かの頭の中にあることを突きとめ、立証するのはどんなときでも難しい。この捜査の最初から私の念頭にあったのは、数カ月前に捜査を終えたばかりの元CIA長官、デイビッド・ペトレイアスの件だった。ペトレイアスは2011年、きわめて慎重な扱いを要する機密情報を多数書き込んだノート数冊を、当時不倫関係にあった女性作家に渡していた。クリントンのメールの相手とは違い、この作家は適正な秘密情報取り扱い資格も持っていなければ、その情報を知る必要がある正当な立場にあったわけでもない。その情報には、たとえばデリケートに扱わなければならないプログラムをめぐってオバマ大統領と行った協議についての覚書も含まれていた。ペトレイアスはなんといってもCIAのトップ、つまり国の秘密を預かる機関の責任者だった。彼は政府内のどんな人間にも劣らないほど、自分のしたことが過ちであると承知していたはずだ。その女性作家には、秘密指定の文書の重要なページを写真に撮ることすら容認していた。ペトレイアスは自分の行為についてFBIの捜査官に虚偽の供述をしたが、それこそ自分がやってはいけないことをしていると自覚していることの証拠といえよう。このように、ペトレイアスのケースはクリントンの場合よりはるかに悪質であり、はっきりとした証拠があった。にもかかわらず、FBIにあからさまに噓をついたあとでも、司法省は彼が司法取引に応じたことを理由に軽罪ですませてしまったのだ。2015年4月、ペトレイアスは罪を認め、罰金4万ドルと保護観察2年を受け入れた。
ペトレイアスの秘密情報の不適切な取り扱い自体は、軽罪に問われるのが妥当で、過去の事例とも整合性がとれている。だが、FBIに対する虚偽の供述については重罪に問われるべきである。私は、司法長官のホルダーに対してそう強く主張した。マーサ・スチュワートやレオニダス・ヤング、スクーター・リビーの例を思い起こしたのだ。たとえ退役将軍やCIA長官であっても、事情聴取中についた明白な噓に対して責任を取らせなければ、それが前例となって、その後も同じ罪を犯した者を収監することが正当化できなくなると訴えた。私は当時もいまも、ペトレイアスに対する処遇は階級を考慮したダブルスタンダードだったと考えている。リッチモンドのバプティスト派の若い黒人牧師のように、それが貧しい人間や無名の人間であったなら、重罪に問われて刑務所送りになっていたに違いない。
一方、ヒラリー・クリントンのケースは、保守系メディアが彼女にまつわる誇張された醜聞やたわいのない暴露話を交えながら、ひっきりなしにあおり立ててはいたものの、少なくとも私たちが当初知っていたことから判断するかぎり、不適切に扱われた情報の量や分類レベルという点で、ペトレイアスのケースとはほど遠いように思えた。たしかに、クリントンは秘密扱いのトピックをめぐって、秘密情報向けではないシステムでメールをやりとりしていた。だが、メールの相手はみな、適正な秘密情報取り扱い資格を持ち、その情報を知る正当な必要性もあったと考えられる。そのため私たちは、結果を予断していたわけではないが、クリントンの件に関しては、最終的に司法省の検察官が起訴する案件にはなりそうもないと思いながら捜査していた。もちろん、政府内の人間がクリントンにそんなことはしないほうがいいと忠告している決定的なメールが見つかったり、クリントンがペトレイアスのように事情聴取中に捜査官に噓をついたりすれば、話は変わってくるだろう。ただし、それもすべて、テレビのトークショーや政治家の一般受けする発言のレベルを超えて、私たちが合理的な疑いを残さず立証できるかどうかで決まることだった。
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